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オウム真理教団と死海教団の終末思想 [聖書]

終末を待ち望むのはどんな人か

もうこんな世界終わって欲しいと思うのはどんな人だろうかと考えると、政権にごまをすって国税庁長官にしてもらったり、嘘をついておいしい仕事を回してもらっている人は、そんなことは思わない。

終わって欲しいと思う人は、この世界が不正にあふれていることに気づき、しかもそれがあまりに巨大で自分たちでは変えようがないと思う人なんではないだろうか。

この世界を正すとしたら、まず歴史教科書を書き換え、先生に正しい歴史を教え、本当かどうか確かめる態度を養い、テレビと新聞の人事を一新し、腐敗した政治家、裁判官、検察官、警察官、学者、医者の一掃が必要だと思われる。

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最近読んだ本のどちらにもオウム真理教のことが書かれていたので不思議な感じがした。

ひとつは「死海文書のすべて」ジェームズ・C・ヴァンダーカム 秦剛平 訳 青土社 1995年
もう一つは「終末思想はなぜ生まれてくるのか ハルマゲドンを待ち望む人々」越智道雄 大和書房 1995年

「死海文書のすべて」のP.361「訳者あとがきにかえて」のところ
1947年に死海の近くの洞穴で見つかった大量の文書が、2000年ほど前の聖書であることがわかり、このあたりにいたクムラン教団との関係があるらしい。

東京で「地下鉄サリン事件」が発生した本年の三月、訳者はシリア砂漠を横断するたびの途次にあったが、現地のホテルでは、朝も夜も、そして深夜も、テレビのチャンネルを片っ端からまわしつづけては、東京発のホットなニュースを追っていた。そしてそれを見ながら、この狂気の集団を死海(イスラエル)の西岸の荒野(クムランと呼ばれる地域)に居住していたある宗教集団と結びつけ、この集団にこいつらのサリン製造工場のひとつでももたせてやれば、2000年前のオウムじゃなかろうかと想像したりしていた。
この連想は死海文書の研究者たちからは不謹慎な妄想だとして一喝のもとに退けられるだろうが、訳者がこともあろうに旅先でこのような妄想にふけったのは、クムランの共同体を支える神学思想(終末思想)と彼らが想定した近未来の最終戦争のシナリオが脳裏をよぎったからである。

「終末思想はなぜ生まれてくるのか」のほうも、旧約聖書、新約聖書、ブランチ・デヴィディアン、オウム真理教団と死海教団の終末思想について書かれている。

死海教団は、イエスと同時代の終末待望型カルトであるエッセネ派の拠点とみられている。
クムランの洞窟群は禁欲的な教団の共同体で、信者らは私財と肉欲を捨てて心身の浄化に打ち込んでいた。その動機は「終末が間近に迫り、生身のメシアとあいまみえる」という激しい期待だった。
哲学者フィロンや歴史学者ヨセフス、百科事典編纂者のプリニウスが、エッセネ派についての記述を残している。
聖母マリアと縁続きのバプテスマのヨハネは、このエッセネ派だったことがほぼ確定している。
学者によっては、同時代人だったイエスもこの信者だった可能性があると主張するものもいる。(P.20)

「死海の巻物がエッセネ派の図書館の蔵書だった」ことは定説化された。
クムランの「弟子の手引き」に守られた「終末の予告」と「メシアの到来」は、同時代に布教していたイエスの教説と重なり合う。
エッセネ派こそユダヤ教からキリスト教への進化過程に生じた一分枝といえるのではないか。
「死海の巻物こそ、ユダヤ教とキリスト教の「ミッシング・リンク」を提供する」とエドマンド・ウィルソンはほのめかした。(P.21)


しかし、死海教団は終末預言に裏切られた。指導者モレー・ゼレクの死後40年で邪なものが滅ぼされ終末がくると信じていたが、終末はこなかった。
指導者の死後40年で終末到来という考え方は、キリストの処刑=復活=再臨というキリスト教の教義とある程度呼応する。(P.25)


「終末論はキリスト教の中核をなすので、これは当然西欧文明の中核的要素となる。西欧文化に触れる場合、この終末論に則った歴史観に触れずにすますわけにはいかない。単純な終末論を基礎にしたテレビ映画「スター・ウォーズ」が今日最も有名な作品となったのは偶然ではない」(アイラ・チャーナス「ドクター・ストレンジゴッド 核兵器の象徴的意味」 1986年)(P.28)


エスカトロジー(終末論)という言葉が使われだした1840年代は、アメリカでは「再臨派(アドヴェンティスト)」を興したウィリアム・ミラーが「世界が1843年に終わる」と予言、それが外れると「1844年に終わる」と修正、それも外れて、結局ミラーの信者らは翌45年に「われわれは千年王国の到来を信じるがいつくるとはいえない」と予言を先送りした。1993年、テキサスのウェーコ郊外で「集団自爆」したブランチ・デヴィディアンは、この再臨派の「分枝(ブランチ)の分枝」である。(P.29)


終末がいつくるかは誰も知らない。それを知っているのは父なる神だけ。
旧約の冒頭に来る創世記と、新訳の最後に来るヨハネの黙示録の配置は、完全に「合わせ鏡」になっている。(P.30)


オウム真理教のやったことすべてを肯定するのでは決してなく、私は修行はごめんだと思うし、行動が制限されるのも勘弁して欲しいと思うが、すべてを否定するのではなく見るべきところはあるように思う。
なぜオウム信者が信者になろうと思ったのか、そこらへんかな。


この間も書いたけれど、進化論では人類の発生が説明できないなら、誰かが生き物を作ったということになり、創世記もまんざらうそでないということになる。
支配者層の腐敗が目につき、洪水が各地に起こり、難民があふれと世界は終末に近づいているように思えるけど、どうなんだろう。まだまだ続く・・・なのかな。
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終末はくるのかこないのか [聖書]

聖書正典、外典、偽典などを読んでいると、終末が近づくと悪がはびこり、地も震え、人々は苦しむ。そのとき救世主が現れ、悪を一掃し、残った人々は幸せに暮らすとか、あるいは次の世では幸せに暮らすとかいうことが書かれています。

今の世は、義の人がいるにはいるけど、悪の人に押さえつけられてどうしようもない状態。
政治家も、裁判官も、警察官も、公安も、国税庁も、学者の世界も、医者の世界も、テレビ局、新聞社、芸能界、などなど多くが悪になってしまったんじゃないだろうか。

芸能界もほとんど半島系か創価学会系というネットのうわさ。
はげてる二人のお笑いコンビは月収400万円で、一時期は1千万あったとテレビで言っていた。
このふたりが半島系かどうかは知らないけれど。
月収400万円なら年収4800万円。
税金はどれぐらいだろうか。半分税金でとられたとしても、月収200万円なら毎日でも外食できる。

これらの人々を一掃することなんて不可能なんじゃないかな。
それなら神のような超越した力によって悪を滅ぼしさって欲しいと終末を待望する気持ちになります。
はやく終末が来て欲しいなと。

だけど、そのような終末はやってくるんでしょうか。
こないままずっとしいたげられたままになるってことはないでしょうか。

この世界の裏側に気づいてから、進化論というのはうそっぱちだと主張する人々がいるのを知りました。
突然変異を繰り返しながら進化するなんてことはありえないのだと。
言われてみれば、DNAという設計図に基づいて体が作られるのだから、機能がかけることはあっても追加されていくことはないんじゃないかなと。

では命はどこから誕生したのか。
単細胞生物だとかから、順々に進化していったのでないとしたら、どうやって生まれたのか。

だれかが作ったのか。
宇宙人が作ったのか。
宇宙人が作ったとすれば、その宇宙人はだれが作ったのか。
多種多様な生き物、植物、分解者や菌類それをひとつひとつ作ったのか。
なぜあんなに海の水は塩辛いのか。

DNAをたどっていったら、アフリカのたったひとりの女に行き着いたとNHKで言っていた。
それは本当なんだろうか。

創造主がいて、たくさんの種をつくったのだとしたら、終末もくる。
創造主が終わらせる。

進化論がありかなしか、そこをはっきりさせればいいんだと思う。

しかし、私が生きている間に終末はくるんだろうか。
ここ最近悪が急速にはびこっているのを見ると、終末は近い気もするけれど。
シリアのようにぼこぼこにされて、着のみ着のまま海を渡ったり、歩いてヨーロッパにいった挙句、難民キャンプも人が溢れて入れなくて、どうしようもなくて、難民が多すぎてヨーロッパも助けきれないという状況は、ほとんど極まっているように思う。
これからどうなるのか。
子供がいい大学にいけたとしても、人のためになる企業活動はあるにはあるけど少なくて、官僚になったとしても上の人たちのために嘘をつかないと生きていけなくて、学者になったとしても真実を隠すことをしないと生きていけなくて、そんな世界。
年金はもらえないと思ってた方がよさそう。

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正しくあれというメッセージ [聖書]

「聖書外典偽典4 旧約偽典2」教文館のエチオピア語エノク書のところを読んでいて感じるのは、正しくあれというメッセージです。

天界にアブダクションされたエノクは、いろんなことを教えられる。
天使たちの堕落、巨人の誕生、天文学、暦法などなど。

そのほかに繰り返しエノクに伝えられるのは義しく(ただしく)あれということ。
聖書正伝にあるような割礼しろといったりするような変なことは要求しないのですよね。
ただ正しい行いをしろと。

悪人の霊魂は火に焼かれ、義人には祝福がまっている。
悪人の行いにより命を落としたとしてもその霊魂は祝福される。

「人類への警告」
https://www.youtube.com/watch?v=Ejxp5HnaA5I
罪人の魂が火で焼かれるビジョンを見たという話。

お金と正義とどちらをとるかを子供たちと話していて、子供達が、生きていくためにお金の方を取るといったので残念だなと思いましたが、安倍首相擁護の官僚の人とかはそっちの考えなんだろうなと思います。

死んでからしかわからないことがある、そんな気がします。
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ノアは人間には似ても似つかなかった [聖書]

聖書外典偽典4 旧約偽典Ⅱ 教文社 1975年を読んでいます。
この巻には、ヨベル書とエチオピア語エノク書が含まれています。
訳者は村岡崇光さん。
そんなには売れないであろう、しかし重要な意味を持つ書を翻訳し、発行されるかたに感謝します。

聖書を読み始めた時は、聖書なんて、キリスト教なんて、人々を支配するためのツールだとばかにしながら読んでいました。
聖書外典や偽典などの存在を知り、読むようになると、こっちは清らかで信じられるように思います。

「これらの書が西方キリスト教会の主流に属さない教団の原語でしか伝承されてこなかったのは、主としてそこに含まれている神学、教義のあるものが、正典確定に至るまでの正統的教理になんらかの形で抵触するとみられたからであろう」と、はしがきには書かれています。

聖書正典のほうは、まゆにつばをつけながら疑いながら読まねばならないのだと思います。
なにが隠されているのかと考えながら。

以前にもノアの方舟のノアは950歳になって死んだと書きましたが(創世記9:28)、エノク書106には、ノアの容姿について書かれています。
体は雪のように白く、またバラの花のように赤く、頭髪ことに頭のてっぺんの髪は羊毛のように白く、眼は美しく、彼が目を開けるとそれは太陽のように家中をくまなく照らし、家全体が明るくなった。
ノアが産婆の手を離れて立ち上がると、口を開いて義の主を賛美した。
人間には似ても似つかず、天使たちの子に似ていて、とにかくつくりが尋常ではなく、私たちと違って眼はお天道様の傘みたいで、顔はキラキラ光っている。

エノクからの家系は
エノク メトセラ(メトシェラ) ラメク(レメク) ノア
という順番になっており、エノクは神に取られた(アブダクション)されたあと、一度戻って来て天界のことを子孫に伝えています。そしてまた天界に戻って行った。

ノアがこんな普通でない様子なので、父親のラメク(レメク)はびっくりして、おじいさんのメトセラ(メトシェラ)にひいおじいさんのエノクにどういうことか聞いてくれとたのみ、そしてそして地の果てにいるエノクのところにメトセラ(メトシェラ)が聞きに行き、エノクが答えているのですね。

どうしてこれが偽典とされたのか。
興味深いところです。

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リヴァイアサンの元ネタは聖書だった [聖書]

「旧約聖書外典」の第4エズラ書を読んでいたら、ベヘモートとレビアタンというものがでてきました。
ベヘモートはバハムート、ベヘモス、ビヒモス、ベヒーモス、ベヘモットともいうよう。
レビアタンは、リヴァイアサンともいう。

「ベヘモス」
http://www5.cncm.ne.jp/~ryuji-t/kenkyu/behemoth.htm

「リヴァイアサン」
http://www5.cncm.ne.jp/~ryuji-t/kenkyu/leviathan.htm

1世紀頃『第四エズラ書』(関根正雄訳『旧約聖書外典』下巻icon/講談社文芸文庫)
 そののち、あなたは二つの生きものを生かしておかれました。その一つはベヘモートと名づけ、他の一つをレビアタンと名づけられたのです。あなたはこの二つを別々のところにはなしておかれました。なぜなら水があつまったあの第七の区域は、これら二つの生きものをいっしょに入れておくことができなかったからです。あなたはベヘモートには第三日目に水の干あがった土地、つまり多くの山のある陸地を住みかとして与え、一方レビヤタンには第七の区域、水のある場所をお与えになりました。あなたはあなたのよしとされる人が、よしとされる時に食べるためにこれらの生き物を生かしておられたのです。

聖書が元ネタになっているお話は多いのだなと思いました。
上記サイトを見ると、その多くは聖書正典ではなく、外典偽典のほうに載っているのですね。
前200年頃『ヨブ記』(正典)
1世紀頃『シリア語バルク黙示録』
1世紀頃『第四エズラ書』
1世紀頃『預言者の生涯』ダニエル
8世紀頃『エチオピア語エノク書』

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創造主に対して感謝の心を持つべき [聖書]

神なんてと思っていたけれど、日本で巨人の骨がみつかったことを知り、このようなものの存在は進化論では説明できないと思うのですよね。
「ネフィリム 巨人は日本にもいた 岩手一関」
http://kusunoki-456.blog.so-net.ne.jp/2017-08-09-1
陰謀論者の中では進化論なんてうそっぱちといわれていましたが、確信がもてなかったのです。

そうすると聖書など古い文書にあるように、宇宙人が人間や巨人を作ったり、人間が堕落したから一旦滅ぼしてやりなおしってこともありのように思います。

人間や動物たちが地球で生きていけるように、空気や水や食べ物を生み出し、環境を整えてやった。
しかしその創造主である神に人間は感謝せず、好き勝手にしている。

「旧約聖書外典 下」講談社文芸文庫
第4エズラ書を繰り返し読むうちに、創造主に対する感謝の気持ちがわいてきました。
我々を生み出したもの、環境を整えてくれたものに対する感謝を持つべきではないかと。

しかし、聖書に出てくる神はすべて同一人物かというとそうではないと思う。
バチカンによって、都合のいいことを書かれているところもあると思う。

8:1「至高者はこの世を多くの者のためにつくられたが、来るべき世は少数者のためにだけつくられたのだ。(中略)創造されたものは多いが救われるものは少ない。」

悪がはびこり、終末がきたのち、義しいものだけが次の世にいける。

8:50 この世に住んでいる人々はおごり高ぶって生きているので、終末の時には多くの悲惨なことを味わうであろう。だが、お前は自分のことをよく考えて見るがよい。そしてお前と同じような人々の受ける栄光をたずね求めなさい。お前のためには、パラダイスの門が開かれ、生命の木が植えられ、来世が準備され、豊かな富が用意され、安息が予定され、めぐみが確保され、知恵がみたされているからだ。悪の根はお前に対しては封印され、病は消え失せ、死は隠され、地獄も逃げ去り、腐敗は忘れられ、悲しみは過ぎ去り、最後には不滅の宝があらわれるであろう。
だからほろびゆく多くのものについてはもういっさいたずねるな。かれらもかつては自由を与えられたのに、至高者を軽んじ、その律法をあなどって、その道を捨てたのだ。そればかりか、かれらは主の義人たちをふみつけ、心の中で神はいないといった。


大本教でも、良い心のものだけが次の世にいけると言っている。

アヴァンギャルド精神世界
「冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。」
「クリスタル・ピープル」
2005-08-07 06:40:08
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/b20dd393359b48d7a5ac2c5b2e93def0
「この神(艮の金神=宇宙の創造神)が、あっぱれ表面(おもて)になりたら、世界を水晶の世に致すのであるから、改心を致したものから早く致すぞよ。水晶の神代になれば、此の世は思ふようになるぞよ。水晶の霊魂を改めて、神が御用に使うぞよ。身魂(みたま)の審判(あらため)を致して、神が綱を掛けるぞよ。綱掛けたら神は離さぬぞよ。」(大本神諭 天の巻 第一輯/東洋文庫)

「水晶魂を選りぬいて、霊魂の調査致すぞよ。絶対絶命の世になりたぞよ。世界のものよ。改心いたされよ。世が変わるぞよ。ビックリ致すことができるぞよ。改心次第で助けるぞよ」 「今度お役に立てるのは、水晶魂の選り抜きばかり。神が憑(うつ)りて参るぞよ。」 (大本神諭 天の巻 第二輯/東洋文庫)

このように、これから世の大峠、世の中の立て替え立て直しをするのだというが、それを担うクリスタル・ピープル(水晶魂の人)は、どこにいるのだろうか。 「昔から結構な霊魂(みたま)の高い神様ほど、世に落ちてござるぞ。」 (大本神諭 天の巻 第一輯/東洋文庫)とあり、社会的には、下層にいることが示されている。

魂がクリスタルであればあるほど、この世は生きにくいはずであるから、成長するにつれて、社会に対する不適応が表面化するだろう。だから、たとえば引きこもりの人(ニート)の中にだってクリスタル・ピープルがいる可能性は十分にあるのだと思う。そして現代社会にうまく適応している人ほどクリスタルな魂ではないのだと思う。ただしニートすべてがクリスタル・ピープルだなどと言うつもりはない。


「第4エズラ書」解説 によると、(P.303)
この書物の名称はローマ・カトリック協会の公認ラテン語聖書ウルガタに用いられている名称であって、16世紀のジュネーブ聖書以来の英訳(外典)では第2エスドラス書と呼ばれている。ところが、ギリシア語訳(七十人訳)で第2エスドラスといえば今日正典となっているエズラ・ネヘミヤ記の名称であって、きわめてまぎらわしい。
しかも、ウル型で第4エズラ書は現在の多くの訳本のように15章によってなる一巻であるが、後代のラテン語本は(1)1-2章、(2)3−14章、(3)15-16章、と3部に分け、それぞれ「第2エズラ」「第4エズラ」「第5エズラ」とよんでいるので一層わかりにくい。

2010-10-28
「第4エズラ書とエレミヤ書とロズウェル事件」
https://ameblo.jp/002ameblo/entry-10690045929.html
2010-10-29
「ロズウェル事件」
https://ameblo.jp/002ameblo/entry-10690895304.html#main

この第4エズラ書はいつ正典ではなく、外典に含まれることになったのか。

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旧約聖書外典:第4エズラ書 [聖書]

「旧約聖書外典 下」講談社文芸文庫

第4エズラ書は興味深いです。

エズラはなぜ人間を作ったのか主に問うています。

アダムにたったひとつだけ守るべき戒めを与えたのに守らなかった。彼だけでなく彼から生まれる子孫の全てに死ぬべき運命を与えた。
ノアとその子孫だけ助け残りは洪水で滅ぼしてしまった。
人間が堕落したからだというけれど、シオンに勝ったバビロンの住民たちも堕落しているのに滅ぼされない。
なぜイスラエルはひどい目にあわされるのか。
どうして私は生まれてきたのか。
生まれて来なかったらこのような苦しみを見ないですんだでしょうに。
これほど多くの労苦の結果成長した人を突然滅ぼされるとしたら、いったい人は何の目的でつくられたのですか。

使いの天使が答える。
空虚なものは空しい人々のためにあり、豊かなものは豊かな人々のためにある。
今見ることのできない町が現れ、いまはかくされている国があらわになる。

至高者は一つの世ではなく、二つの世を作った。
義しい者の数は多くはなく、むしろごくわずかであり、一方不敬虔なものはおびただしくいる。
救わる少数の者のために非常に喜んでいる。一方わたしは滅びゆく多数のものについてはすこしも悲しまない。彼らは霧のようなもの、炎や煙に似たものであり、火で焼かれてまもなく消滅してしまうものだから。

一人の人が死ぬべきだという決定的な命令が至高者から発せられると、霊魂は肉体を離れてそれを与えた方のもとに帰るのだが、そのとき霊魂はまず至高者の栄光をほめたたえる。もしその霊魂の持ち主が至高者をあなどり、その道を守らず、律法を無視し、神を敬う人々を憎む人である場合には、その霊魂は落ち着く場所を与えられず、苦しみのうちに流浪し、なげき悲しみながら、7つの道をさまようのだ。

至高者はこの世を多くのもののためにつくられたが、来るべき世は少数者のためだけに作られたのだ。
大地は土器を作るための粘土を多く産出するが、黄金のとれる砂はごくわずかしか産しない。創造されたものは多いが、救われるものは少ない。

畑があってこそ種があり、花があって色があり、仕事があって産物がある。農夫があってこそ打穀場がある。
今やこの世界には欠けるもののない豊かな食卓とつきることのない牧場が備えられているというのに、そこに住むために創られた人間はくさった生き方をしているではないか。
わたしの大地を見た。どうだろう、そこに入ってきた人間どもの悪巧みによって危険に瀕しているではないか。
生まれた値打ちのないようなものはいくら多くてもみなほろびるにまかせるがよい。


エズラは夢を見た。
海から立ち上がった人が雲に乗ってやってきた。
巨神兵のように口から火を吹いて多くの人間を焼き尽くした。
焼き尽くしたあと、この人は山からおりてきておだやかな人々をよびあつめた。

世の終わりを見る人はなんと不幸なことか。
しかし世の終わりを見ることができずに死ぬほうが不幸である。

海の中から立ち上がってきたあの人こそは、至高者が何代もの間とっておかれた人である。
彼は至高者の創造されたものを救い、生き残ったものをみちびくであろう。

さてお前の見た一群のおだやかな人々のことだが、これらはホセア王の時代に捕囚となってひいてゆかれた十の部族なのだ。アッシリアの王シャルマネサルが彼らを捕虜とし、川を越えて異国に連れ去ったのだ。しかし彼らは自分たちで別な企てを持ち、多くの国民をはなれて、人間がかつて住んだことのない遠いところに行って、さきに時刻にいた時には守らなかった律法をそこでは守ろうと考えた。彼らは長い道のりを旅しなければならなかった。その旅は一年半もかかった。その土地の名はアルザレト(もう一つの国)という。

エズラは主に与えられた飲み物を飲んで、悟りの言葉を語り始めた。
施工者が五人の書記に悟りの力を与えたので、彼らはエズラが口授することを交代で書き始めた。
その文字は彼ら自身も知らない文字であった。
四十日の間に94巻の書物が書き上げられた。
初めに書いた24巻を公開して、全てのものに読ませよ。
後に書かれた70巻については、賢いものにだけ与えるためにしまっておけといわれた。
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主(宇宙人)が人間を作ったのなら、たしかにその宇宙人は創造主である。
主は全ての人を救うつもりはない。
義しい者だけを救う。
死ぬと霊魂は肉体から離れる。
終わりの前には不正がはびこり、悪は極まっている。

メッセージを受けて、大変な量のことを筆記していく。
大本教の教祖出口なおのおふでさきというのと同じように思います。

アルザレトってなんとなく日本だったりしてなんて。
人間がかつて住んだことのない遠いところ、その旅は一年半もかかった。


八尾(大阪府)に始まる【日本建国・創建史】
「【アルザレト・もう一つの国】(第四エズラ書)とは【元始・ヤマトクニ】(秀真国)の事で在る…」
http://linkis.com/amba.to/v1mQu

おしゃれ宇宙人blog
【哲学】 日本神道とユダヤ教と・・・宇宙人? 【検証】
http://kado777.blog84.fc2.com/blog-entry-352.html
創造主達は、人間を滅ぼしたのは過ちだと判断し、自ら介入することをやめたんだね^^
これが宇宙文明の法則というやつで、文明が発達すれば、暴力から離脱できない文明は
自分らの世界を滅ぼすだけのテクノロジーを持った時点で、直ちに滅びの道を歩む・・・
つまり、異星人たちが介入する必要は無いということに気づいたんだね。
『他の惑星までたどり着ける科学力 = 自滅するほどのエネルギーを持つ』 という事? おK?
創造主らは、地球から撤退する際、人間に最低限暮らしていける技術を教えたのではないか?
いつか、人類が自力で科学を発展させ、ある 「特異点」 に達するとき、創造主・・・つまり異星人らは 地球に帰還し、人類と 「再会」 するのである・・・ その為の 『契約』 をする必要がある。
『エズラ第四書』 という古文書には彼らが神の助けを得ながら 「アルザレト(最果ての地)」 を目指した・・・という伝承がある。
もうおわかりだろうか? 「大和(ヤマト)」 とはヘブライ語で 「ヤーウェの民」 である。
彼らを導いたのは 女性のエロヒム・・・すなわち 『天照大神(アマテラスオオカミ)』 であり。
日本へと遠征した王とは今の天皇家の祖 『神武天皇(じんむてんのう)』 である。
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聖書外典にこそ知るべき情報がある [聖書]

聖書は何人かが語ったことがらが書かれていますが、かつて聖書に含まれていて、今は含まれなくなったものがあることを知りました。
それが聖書の外典とか偽典とかいうそうです。

支配者層にとって、人々を操るのに都合の悪いものを聖書からはずしてしまったということのよう。

すなわち外典、偽典には知るべき重要な情報が隠されているということです。

「地球の支配者は爬虫類人的異星人である」太田龍 によると、
ニケア公会議以前には「エノク書」という著作が存在し、聖書の一部を構成していた。バチカンはこれを禁書とした。(P.182)

「第一エノク書」がエチオピア(コプト語)で発見されて、その英訳本が出版されたのが1912年、「第二エノク書またはエノク書の秘密」のスラブ語版の存在が1892年に西欧に知られ、1896年英国オックスフォード、クラレントン・プレスからR・H・チャールズの編集で出版された。「第三エノク書またはヘブライ語版エノク書」が英訳されたのが1928年(フーゴ・オデバーグ訳、ケンブリッジ大学出版部)
ジョージ・C・アンドリューズは「エノク書」に描かれていることは、現在UFO研究家の間で「アブダクション(地球人が宇宙人に誘拐されること)」と呼ばれている現象そのものであると述べている。(「我々の中に住んでいる異星人」55ページ)
エノク書によれば、エノクは二度、天国に連れて行かれている。一度目は天国で神々から本360巻分にもあたる知識を与えられて地上に戻り、それを人々に伝える。二度目は天国に行ったまま帰らなかったという。(P.184)

フランボワイヤン・ワールド
「エチオピア語エノク書に描かれた終末」
http://flamboyant.jp/eschatology/esc012/esc012.html

講談社文芸文庫の「旧約聖書外典 下」1999年をみると、エノク書の全部は訳されていなくて、抄訳だそうです。
「スザンナ」
「ベールと龍」
「ソロモンの知恵」
「第四エズラ書」
「エノク書」
これらが書かれています。

訳して発行していただいた方々には感謝します。
こういう方達がいて真実を知ることができる。
国立大学から文学部の定員を減らすということは、こういう研究者を減らしてしまうことになり、大変な損失になるでしょう。
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ネフィリム 巨人は日本にもいた 岩手一関 [聖書]

聖書を読んでいると、「ネフィリム」という言葉が出てきました。

創世記6
さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだものを妻にした。主は言われた。「私の霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから」こうして人の一生は百二十年となった。
当時もそのあとも、地上にはネフィリムがいた。これは神の子らが人の娘たちのところに入って産ませたものであり、大昔の名高い英雄たちであった。

ネフィリムってなに?と思って調べると、巨人だそうです。

20170809-2.png
20170809-1.png
「2008年6月14日岩手・宮城内陸地震震度6強」発生!:一関の崖で巨人化石が見つかっていた!?
http://quasimoto.exblog.jp/23124994/

巨人の骨が海外でいくつか見つかっていたが、日本でも2008年に一関の崖にあったのが地震でがけがくずれ、それがテレビで偶然映ったそうです。
一関は岩手県の第2の都市だそうです。
気仙沼の内陸にあって、海はない街のようです。

巨人がいたことは歴史で習わないし、巨人の骨があったことは隠蔽される。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ネフィリム
『創世記』第6章1~4節によれば、地上に人が増え始め、娘たちが生まれると、神の子らは人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。こうして神の子らと人間の娘たちの間に生まれたのがネフィリムであった。彼らは大昔の名高い英雄たちであったという。
『民数記』第13章32~33節ではカナンを偵察したイスラエルの一隊が、「そこにすむ民は巨人であり、ネフィリムである。彼らアナク人はネフィリムの出だ」とモーセに語る場面がある。
『ヨベル書』7:21~23によれば、巨人たちが人の娘をめとり、そこからネフィリムが生まれたとされる。ネフィリムは「みな仲たがいをして共食いをし、お互いを殺しあった」という。この箇所ではネフィリム以外にエルバハ、ネピル、エルヨという三種の名称があげられているが、それらも巨人をあらわしていると考えられる。
『第一エノク書』7章では地上に降りて人間の娘と交わった天使たち(グリゴリ)によって、巨人が生まれたという。巨人の体長は3000キュビット(1350m、ギリシア語の『エノク書』[1]では3000ペーキュス[2])もあり、人間たちの食物を食べつくすと共食いを行ったという(7:5)。

手持ちの聖書で調べてみると、『ヨベル書』と『第一エノク書』は聖書に載っていませんでした。
民数記13:25
四十日ののち、彼らは土地の偵察から帰ってきた。パランの荒れ野のカデシュにいるモーセ、アロンおよびイスラエルの人々の共同体全体の元に来ると、彼らと共同体全体に報告をし、その土地の果物を見せた。彼らはモーセに説明していった。「わたしたちはあなたが遣わされた地方に行ってきました。そこは乳と蜜の流れるところでした。これがそこの果物です。しかし、その土地の住民は強く、街という街は城壁で囲まれ、大層大きく、しかもアナク人の子孫さえ見かけました。ネゲブ地方にはアマレク人、山地にはヘト人、エブス人、アモリ人、海岸地方およびヨルダン沿岸地方にはカナン人が住んでいます」
カレブは民を静め、モーセに向かって進言した。「断然上っていくべきです。そこを占領しましょう。必ず勝てます。」しかし彼と一緒に行った者たちは反対し、「いや、あの民に向かっていくのは不可能だ。彼らは我々よりも強い」といい、イスラエルの人々の間に偵察してきた土地について悪い情報を流した。「我々が偵察してきた土地は、そこに住みつこうとするものを食い尽くすような土地だ。我々が見た民は皆巨人だった。そこで我々が見たのはネフィリムなのだ。アナク人はネフィリムの出なのだ。我々は自分がいなごのように小さく見えたし、彼らの目にもそう見えたに違いない」

「進撃の巨人」は実話を元にしているということですね。
その巨人たちはどうしてほろびたのでしょう。


ちらっと写っている家の形と川沿いということから、探してみるとここではないかと思われます。
厳美町
〒021-0101 岩手県一関市
38.970933, 140.970180
一関ICから西に342号線をいく。

シャンティ
「巨人と地底世界」
2017/02/01(水) 23:10:02
http://tenten888.blog.fc2.com/blog-entry-113.html
コメント欄には「〒021-0101 岩手県一関市厳美町下真坂48付近の河川」とまで書いた情報もある。

シャンティフーラ
[YouTube 他]「進撃の巨人」は実在した?5m超の巨人の化石を発見! 〜巨人が存在した事は疑いようの無い事実、人類の覚醒を阻むために隠蔽されてきた〜
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=97331
岩手・宮城内陸地震(2008年6月14日) 岩手県内陸南部で発生した、マグニチュード7.2 最大震度6強の地震で起きた岩手県一関の崖崩れの映像です。 現場からの中継で映り込んでしまったとされる巨人の骨。 骨の無い映像と見比べてください。 あなたにはどちらが本物のように見えるでしょうか。

「【衝撃画像】人類は食料だった?!世界中で発見されたとされる「巨人・ネフィリム」発掘画像たち」
http://guppy.a-ch.net/test/read.cgi/oldnews/1381375183/l50
41 :名無しさん:2013/10/10(木) 17:47:35 ID:???
一関のヤツは岩手宮城内陸地震の時のな。
この辺昔は骨寺村って地名だったんよ。

ソラと雲のおもい
2011.01.11
岩手一関・中尊寺 夫婦岩 巨釜半造
https://plaza.rakuten.co.jp/sorakumoomoi/diary/201101110000/
「気仙沼市の半島にある巨石群の一部で、足をあらわしているそうです。 南米やムー大陸から、(イシキの)悪者(=津波)がくるので、足で蹴飛ばして跳ね返すために、巨石群になったそうですが、淵に悪者が住み着いて困るので消滅して欲しいと言ってきたのは、、室根山の巨人達でした。

室根山に巨人伝説があるのですね。
〒029-1201
岩手県一関市室根町折壁室根山2

一関市厳美町下真坂48から真東に室根山があり、その距離は30キロもなさそう。

骨寺村荘園遺跡
http://www.honedera.jp/outline/index.html
一関市厳美町の本寺地区は、その昔、「骨寺村」と呼ばれた荘園で、 中尊寺の経蔵別当の所領でした。

http://www.honedera.jp/outline/origin.html
骨寺村の由来
絵図に「骨寺跡」「骨寺堂跡」という文字と、建物の礎石のような図像が描かれています。かつてここに骨寺という寺があって、絵図が描かれた鎌倉時代の後期には廃寺になっていたことが分かります。今はその跡も確認できませんが、その寺の名前が村の由来になったと考えられます。 骨寺とは珍しい名前ですが、亡くなった人の骨の一部を特定の聖地に納める風習(分骨)があります。この骨寺はそのための場だったのではないでしょうか。
髑髏(どくろ)伝説
鎌倉時代の『撰集抄』という説話集に、平泉郡にいた一人の娘が、天井裏の髑髏から法華経の読み方を習い、その髑髏を逆柴山に葬ったという話があります。その髑髏は、比叡山の高僧第18代座主の慈恵大師良源の髑髏で、葬った場所が慈恵塚だと本寺では伝えられています。このことが、骨寺村という名前の由来であるともいわれています。

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20170810-2.png
画像はこちらのサイトから。
http://blog.goo.ne.jp/pea2005/e/c5a4123b61da8efd08add3bbce907c84
見えにくいですが「骨寺跡」「六所宮」「堂山」「白山寺崎」とかあります。
調査では骨寺跡の痕跡はみつからなかったと。

骨寺村とはかなり珍しい名前です。
やはり巨人の骨からでしょうね。
亡くなった人の骨の一部を特定の聖地に納める風習(分骨)があります。」
この特定の聖地とはどこでしょうか。

現地から骨寺村荘園交流館まで500メートルぐらいのようです。

骨寺村は中世の道などの配置が残されたままの土地で、古地図と一致するのが貴重なところのようです。
画像を見ると、この地区は田んぼの区画整理がされていないところが多くあるようです。
もしかしたら掘ったら巨人の骨が出るかもしれないから、掘らずにおいておいたと妄想するのもロマンがあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:骨寺村荘園(一関本寺)2.jpg

「一関本寺の農村景観」(骨寺村荘園遺跡)写真コンテスト審査結果発表
http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,71963,91,6,html
ドローンによる空撮の写真。不整形な田んぼが広がり、手前から奥 へと道が続き、向こうに山並みが見える広い感じの田んぼと民家の混合が非常に美しく上手に撮られている。

google mapの航空写真で現地を見るとよくわかりますが、342号線沿いに東側の集落を見ると、川沿いや山際を除いてびっちりと区画整理されていますし、49号線で北にいくと、整理されていないところもあるけど、されているところもある。西側の山王山温泉瑞泉郷のある地区も区画整理されていません。

そうすると、なぜ骨寺村のあたりだけ区画整理されていないのか謎ですね。

http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,75935,91,6,html
●岩手県一関市埋蔵文化財発掘調査報告書第22集(総括報告書) [32187KB pdfファイル]
http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/6,75935,c,html/75935/20170510-153012.pdf
によると、「骨寺(ほねでら)」が「本寺(ほんでら)」になったよう。

現地から川沿いに西の方を見ると、高圧線の下ぐらいになにか見えます。なんでしょう。

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8/11追記

室根山を検索すると、なんと昔は鬼首山といったようです。
これは巨人がいたことを裏付ける強力な事柄です。

いわての山々 室根山
http://www.bunka.pref.iwate.jp/shizen/yama/data/13.html によると

■名称(読み方) 室根山(むろねさん)
■別名 東小富士
        鬼首(オニカベ・オニコウベ)山
        桔梗山
        卯辰山 など

■名前・別名の由来 安永4年書上「元正天皇養老二年九月御勅願。紀州牟婁郡音無河より御舟にて御下向。(宮城県)本吉郡唐桑村鮪立(しびたち)御上り、室根山へ勧請」「これより鬼首山を改め牟婁峯山と称し、以後は室根山。けだし紀州牟婁より熊野本宮勧請をもってなり」(室根村=現在の一関市『室根山』)という説のほか、ムロは館(むろみつ、海津の官舎)や、熊野神社の御室(むろみつ、御森)からついたなど、諸説がある。

8/12追記
鬼首山を改め牟婁峯山(むろねやま)と称すことになった養老2年っていつなのか調べると、なんと西暦718年でした。
それが記されたのが安永4年=1775年。
718年とは随分と古いことなので驚きましたが、養老年のころはどのような時代だったかをみると、
20170812-1.JPG
私が中学の時に使っていた「世紀別 中学歴史地図・年表」東京法令出版 昭和55年改定新版のものです。
なんとこのころに諸国に風土記を作らせ(713)、古事記が作成され(712)、日本書紀(720)が作成されたとあります。
歴史の捏造がなされたころと同じくして、地名の変更も行われているのですね。
養老律令ができたのが718年。

https://kotobank.jp/word/養老律令-145911
古代法典の一つ。藤原不比等らが養老2 (718) 年『大宝律令』を修正,撰定したもの。律は 10巻 12編,令は 10巻 30編から成る。同年に成立したとする説と,編修事業に着手したとする説とがある。

「多くの天皇の母は藤原氏」
http://kusunoki-456.blog.so-net.ne.jp/2017-04-16
「角川日本史辞典」の大王・天皇表(舒明ー今上)までの天皇の父親、母親、即位年月日、退位年月日の表をみると、97人の大王・天皇のうち、母親が藤原氏なのは64人もいました。
実に66パーセント。
藤原氏が母親で一番古い天皇が、聖武天皇。
聖武天皇は724年即位。

安永4年のこの資料とはなんでしょう。

鬼首で検索していると、鬼首村が宮城県にあることを知りました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/鬼首村
鬼首村(おにこうべむら)は、昭和29年(1954年)まで宮城県玉造郡の北西部にあった村。現在の大崎市鳴子温泉鬼首にあたる。

20170812-2.JPG
クリックすると拡大します。
この地図は「マップル岩手県」より。
地図を見ると、岩手県一関 骨寺村荘園遺跡から宮城県大崎市の鬼首は近く、どちらも栗駒山のまわりに位置します。
室根山と宮城県鬼首とのなかほど、やや北寄りに骨寺村荘園遺跡が位置します。
巨人の活動範囲と考えることができそうです。


みちのく中央磐井歴史物語
「室根山・みちのくの真実を明かすお山」
http://iwaigaku.com/contents.php?c=chair&p=108&sc=8
<無漏(むろう)恵ね山観音寺>
  「無盡(ムジン)意ニの唱導変成普門品 悉皆解脱 無漏むろ恵ね観音」
<計仙麻神体山 室根祖霊山>
     「計仙麻社の奥津宮城の鬼首の山 神統一つ遠山は呼ぶ」
<遠山鬼仙国>
     「室根本 鬼首物語 歴史なり 日高見鬼国 書紀の正傳」
<鬼首山と室根山の間>
     「風俗の鬼首山 王法計仙麻山 佛法 牟婁峯へ問導く」

8/13追記
http://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/honji/files/MURONE.html
「室根山由来記」[LINK] - 本地垂迹資料便覧
牟婁峯山本宮由緒
夫より神勅に随て鬼首山を八方に踏分け此山峯の八合目に御社地を卜し御宮御造営有りしは養老二戊午年九月十九日の事なりき 此時鬼首山を更めて牟婁峯山と称し玉ふ 後世室根山と云ふ 蓋し紀ノ国牟婁より御廟を遷し奉りし故なり 熊野大権現を此時より牟婁峰山大権現と申し奉ると云ふ

木造聖観音立像(もくぞうしょうかんのんりゅうぞう)~室根地域~
http://www.city.ichinoseki.iwate.jp/index.cfm/18,8310,132,159,html
―今を去ること1330年ほど前、「朝一時山(あさいっときやま)」と呼ばれていた室根山には、身の丈八尺(2.4メートル)もある、髪が縮れ赤ひげの鬼のような山男たちが住んでいました。この山男たちが人々の生活を脅かしていたので、里人の願いにより、朝廷では953騎を派兵し、討伐を行いました。討伐した首領の首を山の中に埋め、以来、「朝一時山」は「鬼首山(おにくびやま)」と名を改められました。山男の2人の副首領の首二つのうち、一つは里に埋め「鬼地塚」と名を付け、一つの首は都に送られました。後に、この戦いで死んだ多くの者を弔うために、都に送られた首がこの地に戻り、首塚と供養塔を建てるとともに、聖観音を勧請し、宝物として太刀やお経が納められたのです―
 この時が和銅3(710)年正月17日で、「南流山慈眼院観音寺」、現在の南流神社の始まりと「慈眼院南流山観音本地品」に記されています。
 南流神社の本尊は、見ると目がつぶれるとされていたことから、永遠にその姿を見ることを禁じられ、人々の目に触れることはありませんでした。しかし昭和22年、日蓮宗の行者の「この仏が世に出る時が到来した」との言葉を受けた当時の南流神社別当、吉度義雄さんの手によって、荒コモに巻かれちりの積もった観音像が発見されたのです。それがこの木造聖観音立像です。
登録日: 2007年5月1日

南流神社は室根山の4キロほど南にある。
1330年前(2007-1330=西暦677年)には、室根山は「朝一時山(あさいっときやま)」であったが「鬼首山(おにくびやま)」と名を改められましたとあるけど、それが養老2年(718年)には「むろねやま」になったなんてことあるだろうか。
718-677=41
たった41年で山の名前が変わったりするだろうか。
つじつまがあわない気がする。
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アダムは930歳で死んだ [聖書]

聖書を読んでいると、登場人物が異常に長生きなのに驚きます。
しかし、アダムとイブの話でも、ノアの方舟の話でも、それがマスメディアに取り上げられる時、その年齢については一言もふれられません。

創世記5によると、死亡年齢は
アダム:930歳
セト:912歳
エノシュ:905歳
ケナン:910歳
マハラルエル:895歳
イエレド:962歳
メトシェラ:969歳
レメク:777歳

エノク:365年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった。(創世記5:24)

このエノクに起こったことは、宇宙人によるアブダクションであると考えることができます。

ノアが500歳になったとき、セム、ハム、ヤフェトをもうけた。(創世記5:32)
ノアが600歳の時、洪水が地上に起こった。(創世記7:6)
ノアは洪水の後350年生きた。ノアは950歳になって死んだ。(創世記9:28-29)

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「地球の支配者は爬虫類人的異星人である」太田龍 2007年を読んでいたら、
太古より地球の支配者は異星人である。
宗教は異星人による人間支配の道具だった。
と書かれていました。

この本を購入したときは、そこまで理解できなかったけど、今はそうだと理解できます。

聖書の記述から異星人に関するすべての文章が体系的に削除された。
これはローマ・カトリック教会のニケア公会議(西暦325年)において行われたと。
ジョージ・C・アンドリューズの「異星人 友と敵」(1993年)に書かれていると。

先日の池上彰のテレビで、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の聖地はエルサレムで、それでまたもめているということでしたが、これで対立を作っているようです。