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ホツマツタエにみる終末 [ホツマツタエ]

なんだか最近「終末」というワードが気になります。
聖書には、よく知られているようにヨハネの黙示録などに終末、この世の終わりの預言が書かれていますが、他の書ではどうなんだろうと思いました。

「ホツマツタエ」に終末はどう記されているのか。

こちらのサイトのホツマツタエはどういうものかよくわからないのですけど、なにか気になります。
「最高神からの最期の福音」
「ホツマツタエ (天の巻 4~6)」
http://hirohifumiyamato.blog.fc2.com/blog-entry-42.html

これを読むと、世界は人間が生きていけるように大地、水、風、太陽などがちゃんと用意された。
しかし人間はそれに感謝せず、その環境を壊している。
想像をはるかに超えた大艱難は起こる。
生きている意味は何か考えること。
お金は重要なことではない。
真実を悟ること。
この世はマトリックス。
心を磨くこと。

そういうことかな。
仏教も大本教もこの世は修行の場だと言ってたような。

いくつかピックアップすると、
目指すものは古代の大自然。

まだわからぬ者たちをなんとかせねばならない。

囚われから解脱した者たちが事実を伝える。

古の者(大地の者)が言動を記し 人々にとって何よりの力になる。

血を見なければわからぬ者は 必ず暗闇を見る。

何を意味し どんな役割を果たすのか 人間として また 聖杯に招かれたものとして 全力を尽くして学ばなければならない

大変動が起きない限り 理解できず 協力して物事を成し遂げようとするものは少ない

想像をはるかに超えた大艱難は起こる。

与えられた期間は終わり 大地は浄化をいたす

地は動き 穴を開き 美しくも力強い自然は不気味にも見えよう 語ることができないほどの 激変した気の流れの姿

嫌な思いをしたり困り果てたり 身をすり減らして働いたり 人を殺したり 辛いであろう
思うまま好き勝手する者 そのいいなりになる者
血を見なければわからぬか

突然現れる大きな世の変わり目に備えよ

地球の大地や海の環境に人は守られ生きている

全てを本来の姿に戻す

本来の意味と全く異なった現在の仕事
神との交信を遮断し密閉した毒々しい寂れきった世界
そんな世は終わり 全世界を満たす

真を知ることは扉を開く鍵となり
もっとも重要な実である

真の到達点は 引き起こされる心(魂)によって行き着くがゆえ
自分のことばかりを考える者は たどり着くことはできぬ

自然と一体となり 神人合一となる
特別な存在感を現し 神気をまとい
人知を超えた全ての記憶を呼び起こす

人間として大きな意味のあることは 富むことでも人の上に立つことでもない
一心に学ばれよ
世界の異変に気付いた時からでは手遅れになるぞ
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ことら総合研究所:古史古伝、大鏡等 [ホツマツタエ]

ことら総合研究所より転載
http://kotora888.art-studio.cc/kotorabase201.html

古史古伝、大鏡等

 真偽の程は皆様が御検証下さい。大鏡も作者不詳です。
古史古伝が何故学会から異端扱いされるかといえば、学者が神代文字を認めたくない事が大きな原因かもしれません。
今までの学説が覆るからです。
しかし、神代文字は既に存在が証明されています。

 12代垂仁天皇の創始された伊勢神宮文庫には太安万侶と稗田阿礼が書いた文書が保存されているのです。
稗田阿礼" この2名は間違いなく日本に実在した人物です。稗田阿礼とは、ご本人が参られ「ひえだのあら」とお読みするのが正しいそうです。
しかも、かなりな知的水準の人であったはずです。
何かが原因で強引に漢字で新しい歴史書を書かねばならなかったのです。
そして、漢字伝来前には日本には文字は無かった事にしなければならなかったようです。
今もその力が働いているのです。

 アメリカが第2次大戦に参加してきたのは中国が助けてくれと泣きついたのも原因です。
そして、東京はアメリカの爆撃で神代の宝物は多数が焼けて無くなりました。
太安万侶や稗田阿礼の書いた神代文字はハングルに似ているものがあります。
その脇に慣れないような感じで、漢字の署名がしてあります。
きっと漢字で新しい日本史を作るのは本意で無かったかもしれません。
一説には、日本の本来の天皇家は大陸から来た中国人にだまし討ちにあって滅びてしまったと言う話もあります。
ヤマトタケルが熊襲の王を女装してだまし討ちにし、熊襲を征服したのは有名な話しです。
その後、日本では髪型も中国の辮髪を真似たのか丁髷ちょんまげになりました。
そして文明開化では列強国から脅され中国も日本も西洋風の髪型に成ったわけです。

 丁髷は古くは古墳時代の人物埴輪にも見られるそうですので、紀元前から大陸の人間が相当数来ていたようです。 帰化人戦略家が何処の国の者かは何となく判ります。ちょんまげが日本の主流になったのは桓武天皇のときの桓武平氏以降と思われます。
桓武天皇の母の父が百済の人でした。当然、坂上田村麻呂なども同じだったのです。ちょんまげが洗脳的に流行ったのかもしれません。

そして、この帰化人たちの子孫も神代文字を否定した様です。事実を知っているからです。
やがて日本は大宝律令で中国を模した租庸調など沢山の税金を毟り取る国に成って行きます。
祖は米です。農民の収穫の3%だったそうです。調は繊維製品、加工食品、特産品などを一定額を現物で納付、庸は初めは仕丁の衣食の戸数割、後に人頭税と成った。
 やはり、かっての税金を取らなかった天皇の時代は庶民の心から消したかった様です。
多くの日本人の心の底にはこれらの中国を模した重税を開始した帰化人への恨みが渦巻いていると言う人も居ます。
 それが20万人の中国人を殺した1937年(日中戦争開戦の年)の南京大虐殺などにも繋がったのだそうです。
中国の租庸調は780年両税法(年2回税金をとった。)の発布で廃止されました。
古史古伝の多くは真実を伝えたくて書かれた文献です。批判的立場の方が多いのですが、過去の遺跡や証拠からもすべてを否定するのは不可能です。

文書名 内     容
竹内文書      宇宙創生から神武天皇以前の皇統系譜を詳述。 皇祖皇太神宮所蔵
九鬼くかみ文書   出雲王朝の存在と正当性を主張。
宮下文書      富士高天原王朝の存在を徐福が記録。「富士文書」、「徐福文献」とも言う。宮下家所蔵。
上記うえつふみ    神代文化を詳述したもの
秀真伝ほつまつたえ 韻文体で書かれた大物主系の文献。平田篤胤の研究対象。
物部文書       蘇我氏との争いに敗れ、東北地方に亡命した物部氏のルーツを記したもの。
大鏡         作者不詳。文徳天皇から後一条天皇までの代の事を大宅世継と夏山繁樹という二人の150歳を超えた老婆が語り、若い侍が批評する。 話題は藤原氏の栄華である。栄華物語には無い辛らつな史論が展開されている。 3巻本、6巻本、8巻本がある。
その後に今鏡(小鏡、続世継とも)が150年の事を記述。増鏡、水鏡とともに4鏡と言われる。いずれも作者は本人の記述が無い。


※記紀成立以前に様様な文献が存在していた事は、記紀にもはっきりと記されている。
記紀が何故正史かと言えば、その編集を天皇が命じたからである。
古史古伝が事実としても、権威ある文献と内容が違えば正史を正当なものとせざるを得ないからである。
株の提灯記事の様に学者も古史古伝の悪評を金で嘘を書いた者も居た様である。
古事記は第40代天武天皇の勅語がはじめだったのである。
それまでにも多数の神代文字の文献があったのである。それが古事記の元なのだから当然である。
その大事な文献は多くが焚書された様である。
こうして地球人類は代を重ねる毎に退化してきたのである。
サルが人に成るなど教えている星はない・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー転載ここまで

霊木 先代旧事本紀大成経 [ホツマツタエ]

かつて巨大な木が存在したというyoutubeがある。

それは聖書のエゼキエルにも、日本の古文書ホツマツタエにも樹齢6万年の霊木として出てきている。
霊木は50代目まであり、神武天皇の即位の頃までは存在した。

神武天皇は初代の天皇で、紀元前660とか712年とかぐらいの生まれらしい。

先代旧事本紀大成経によると、初代天皇から何代かの天皇は龍ぽい特徴がある。

ということは、初代天皇は爬虫類的宇宙人か、そのハイブリッド。
進んだ科学力で、霊木を切り倒し、その存在を隠したかもしれない。

そしてキリスト教の地では神と名乗り、日本では天皇と名乗ったかも。

「『この地球に山や森は存在しない』 (前編)」
https://www.youtube.com/watch?v=aW14RAJ35vs


「八幡書店 増補完訳 秀真伝」
http://hachiman.com/books/89350-233-6.html
宇宙樹「天の真栄木」の謎 ホツマによれば、天地開闢の時に遡る天の真栄木という樹齢6万年の霊木があった。この宇宙樹は、60年に一本の枝を生じ、6万年で実を結び、枯れるとそのつど植え継がれた。50代目の天の真栄木は神武天皇の即位の頃まで存在したが、そのまま実を結ぶことなく絶滅した。つまり神々の時代の終焉とともに、この霊木も絶滅したのである。これは霊主体従の時代から体主霊従の時代への宇宙的時間軸の転換を意味しているとも考えられる。


「先代旧事本紀大成経 龍っぽい特徴を持つ天皇」
http://kusunoki-456.blog.so-net.ne.jp/2017-04-08

丹波国の訶沙郡(かさのこほり) [ホツマツタエ]

「神代の風儀 ホツマツタエ」鳥居礼 1987年 たま出版

P.162に日本書紀に大嘗祭(だいじょうさい)のことが書かれていると。
大嘗祭は、その趣旨において、毎年行われる新嘗祭と同じだが、天皇が即位ののちはじめておこなわれるものを、大嘗祭といい、毎年行われるものを新嘗祭といって区別する。
ただし平安時代のはじめまでの記録では、大嘗祭と新嘗祭の区別がなわれていなかった。
ご1代初の新嘗祭は特に、践祚大嘗祭という。
新嘗祭でありながら、践祚大嘗祭の特徴である、ユキ・スキの国を卜定したことがわかる。
ユキ・スキの国を定めたことが書かれているのはこれ(天武天皇2年)が最初である。
天武天皇5年9月に
「新嘗のために国郡を卜(うらな)はしむ。斎忌(ユキ)は尾張国の山田の郡、次(スキ)は丹波国の訶沙郡(かさのこほり)」

丹波には、すごい古代史が隠されていそう。

丹波国の訶沙郡(かさのこほり)とはどこのことでしょう?
「『丹後の地名』へようこそ!」
http://www.geocities.jp/k_saito_site/index.html
という素晴らしく充実したサイトを発見しました。

丹後国は713年にできましたが、それまでは丹波国でした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/丹後国
和銅6年(713年)4月3日に丹波国の北部、加佐郡、与謝郡、丹波郡、竹野郡、熊野郡の5郡を割いて、「丹後国」として設置された。

「加佐郡が消える」
http://www.geocities.jp/k_saito_site/kasagun1.htm
これによると、平成の大合併(2006年)で加佐郡の名前が消えたそう。
いくつか抜粋します。

しかしこのカサの地名は、そんな丹後に羞じない、いかにも丹後の一部ですと密かに主張しているように私には思われる。この地名は途方もない歴史を秘めている。丹波人すべての歴史を秘めていると私は思う。

失礼ながら「加佐」地区とカッコをつけさせてもらうが、その現在の「加佐」地区は郡内唯一の式内大社を有する地区であり、由良川水運を担うまさにその場所である。古来より大切な地区であった事は事実であるが、しかし古代のカサはここを指さないと私には思える。

ではどこが本来のカサなのか。 結論から書けば簡単な事で、私は笠水うけみず神社(西舞鶴地区の公文名に鎮座。カサミズとは読まず、ウケミズと読む。どうしてもそうは読めないと思う。私はカサミズとかカサノイズミと読むのが本来だと思っている)。この笠水の笠こそが加佐の地だと断じる。

カサの郡名を先人達はどう理解したであろうか。
丹後の豊受大神との関連、『風土記』残欠の田造郷(田辺郷)が、その中心地の笶原山(現在は愛宕山と呼ばれる)の山麓付近がカサの本地だとするのは深く記憶しておきたい。

なお京都白川家に伝来したと称する「丹後風土記」残欠は、カサ地名の由来について、
 
伽佐郡(かさのこほり) 伽佐郡は旧くは、笠郡の字を用いて,、宇気乃己保利(うけのこほり)と読んでいた。宇気(うけ)と称する所以は往昔、豊宇気大神(とようけのおおかみ)が、田造郷笶原山に留まり座して、人民等は其恩頼を受けた、故に宇気(うけ)と曰う。笠は一に伽佐(かさ)と読む。今世に,あやまりて伽佐乃己保利(かさのこほり)と曰う。

丹後国府は一般には宮津市府中とするが、『和名抄』刊本には丹後国府を加佐郡に在りとし、「上七日、下四日」としている。加佐郡家とも位置は不明である。

『日鮮同祖論』
次に、丹後国加佐郡のことであるが、丹後国は和銅六年に丹波国の五郡を割いて始めて置かれた国であるから、天武天皇白鳳五年紀には丹波国訶紗郡と見え同国与謝郡も顕宗天皇紀に丹波国余社郡とある。この与謝の地は四年間天照大神の鎮座ましました処で(倭姫世紀)、天椅立は伊射奈芸大神が天に通ふため作り立てたまうものといふ古伝説(丹後国風土記)もあり、此辺は古代史上研究すべき値の多い地方である。天橋立は、嘉祥二年三月興福寺の大法師等の奉賀の長歌にも匏葛天能椅建践歩美、天降利坐志志大八洲と詠み、又釈日本紀にも兼方案之、天浮橋者天橋立是也といっているが、丹後国風土記には(中略)と見えて、二神の故事を語り伝へている。この由緒ある土地に、加佐郡・久志浜・与謝海・阿蘇海など、天孫降臨の筑紫にあると同型の地名を発見することは、偶然の暗合とは考へられない。

「元伊勢(加佐郡分のみ)」
http://www.geocities.jp/k_saito_site/motoise.html
元伊勢と呼ばれてきた社は各地にあるが、丹後にも当然ながら多い、ここではまず加佐郡内のものを取り上げてみます。
田邊郷には、もう一つ大切な社が鎮座してる。元伊勢ともされる、笶原やはら神社である。
入口鳥居に掲げられた扁額も写しておいた、読みにくい、神額は清和天皇宸筆ということで、「総社笶原魚居匏宮」とある。  魚居はマナイ、匏はヨサと読む。

その神額には総社ともある、時代が合わないような感じもあるが看板に偽りなければここが国府の位置になるわけだが、なぜかそんな看板は完全無視で当社は無格社となっていて、何とも過去の史家達は何を考えていたのであろうか、これにも何かそれなりの歴史がありそうである。 式内社笶原神社の比定には三社あって、それで決まらなかったのであろうか。現在でもここを式内社とするには公認はない。こんなにキチっと文献が残っている社を除いて、どこにこれ以上に有力な社があるのだろうか。

奈良時代のはじまり、丹後国の誕生と共に生まれた神社がこの笶原神社であった。彼に児が3人あり、兄の千嶋は先に引いたように与謝郡領となり、籠神社の祝ともなった。弟の千成は加佐郡領となり、笶原神社の祝ともなった。もう一人は千足といい、丹波直等祖也とあり、天照玉神社(福知山市今安)の祝、天田郡領となった。  この兄弟の後裔が近世、姓を坂根と改めたそうである。

従って、式内社・笶原神社は加佐郡の中心地で、郡衙に近く、かつ坂根・嵯峨根サンの分布する地であろう。 すべての資料はここ笶原神社を指す。坂根氏は現在は白糸浜神社(舞鶴市浜)の宮司であるが、元はこの笶原神社のご神職だそうで、海部氏とも名乗っていたようである。隣の桂林寺の寺領を寄進したと伝わる佐武ケ岳城の坂根修理亮、坂根氏はやはり元々このあたりの領主であったと思われる。

 この時に再生した笶原神社は普通の村々の神社ではない。人民のイデオロギー面での支配と国家の安泰を祈願するための、新生した中央集権国家のための郡家と並ぶ、あるいはそれ以上のようやく分断したばかりのこの地の支配の拠点としての、国家による国家の国家のための笶原神社である。そうした国家使命を負った戦略的政治的神社である。式内社の笶原神社は加佐郡の心臓であった当地をおいてはない。人もめったには行かないような所に、大事な支配のくさびをなぜおいたりするだろう。私は政治は嫌いだが、もし当時の政治家なら当然ここに置くだろう。

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このあたりには羽衣伝説もあるし、丹波、丹後、大変におもしろそうです。

元伊勢・元出雲・丹波桑田宮・出雲大神宮・月読神社 [ホツマツタエ]

八幡書店
「増補完訳 秀真伝」
http://www.hachiman.com/books/89350-233-6.html
東西分治伝承
ホツマ神話によれば、ニギハヤヒは、仙台の日高見国を進発し、鹿島から舟で難波に上陸し飛鳥宮に君臨。これに対して、ニニギ命は筑波に新治宮を造営、さらに太古からの聖地・逢壺の富士山麓に移り、一大灌漑工事によって富士五湖を造成したという。
このような王統並立と東西分治の伝承は、富士文献における国常立尊の丹波桑田宮と国狭槌尊の富士阿田津宮との関連を想起させ、記紀神話の固定的な王統伝承とはまったく異質の王権伝承が、民族の太古的記憶の深層に刻印されてきたことは興味深い。

富士文献における丹波桑田宮?
京都には桑田郡というところがあったようです。

丹波桑田宮で検索すると一番に表示されたのがここ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/出雲大神宮
出雲大神宮(いずもだいじんぐう)は、京都府亀岡市千歳町にある神社。
「元出雲」の別称は、出雲大社が出雲大神宮からの分霊とする社伝(後述)に由来する。いわゆる出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」を称していたため、江戸時代末までは「出雲の神」と言えば出雲大神宮を指していたとされる。
祭神の大国主命については、一般には出雲国の出雲大社(杵築大社)から勧請したとされている[1]。ただし社伝では逆に、出雲大社の方が出雲大神宮より勧請を受けたとし、「元出雲」の通称がある。社伝では、『丹波国風土記』逸文として「元明天皇和銅年中、大国主命御一柱のみを島根の杵築の地に遷す」の記述があるとする[2](ただし、社伝で主張するのみでその逸文も不詳)。

これによると、島根県の出雲大社より丹波の出雲大神宮の方が先だとか。

国常立尊も大本教関連のことででてきた名前です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/大本
出口なおには、厳霊・国常立尊の神示がお筆先(自動筆記)による直接内流によって伝えられた。

亀岡と綾部は大本教の中心地でもあります。

京都府の神々
http://kamnavi.jp/ichirankyo.htm

小川月神社
http://kamnavi.jp/yamasiro/ogawa.htm
『丹波国桑田郡小川月神社 名神大社』によれば、「神代よりの旧地なり」と記しており、つづいて、「出雲神社と同等にして桑田郡第二の大社也 月読神社は往昔 豊受皇大神宮外宮 天照皇太神宮内宮 当国餘佐郡今丹後国真井原に 今神守領 遷座の末社也(中略) 月読神社は 両宮丹波鎮座の末社にして神代よりの旧地なり」とあるが、創建の時代やその後の変遷については詳らかではない。
こちらの小川月神社・月読神社も相当に古そうです。

げぴこのいっちょおもらい
「丹波国の一宮・出雲大神宮へ参拝」
http://mochimochipurin.blog.fc2.com/blog-entry-29.html
こちらはとてもわかりやすくまとまっています。

三重県の伊勢神宮の元である元伊勢があるのも丹波、島根県の出雲大社の元となる元出雲があるのも丹波。
丹波は古代日本の重要な地であるということ。
どちらも今メジャーではない。
ということは丹波が重要な地であることを隠したい勢力がある。


追記
元伊勢にも、元出雲にも真名井がある。

元伊勢
https://ja.wikipedia.org/wiki/籠神社
奥宮(境外摂社)
  真名井神社(京都府指定文化財)

元出雲
https://ja.wikipedia.org/wiki/出雲大神宮
境内には「真名井の水」と呼ばれる湧き水がある。マグマの接触変成岩層から湧き出している。古来より御神水と崇められてきたという[10]。


http://www.bible-word.org/content/マナ/
40年間荒野を旅したイスラエル人に、神が与えられた特別の食物。マナは、白い種のような、またフレークのようなもので、甘い味がした、と聖書に書かれています。

「◆ 一度は食べてみたい・・・かな? ( ̄▽ ̄;)」
http://blog.goo.ne.jp/watapi_1968/e/4866b6ae2320f464f4333335e3fd408f
マナの可能性のあるものがいくつか挙げられています。
木に、露が乾いたあとに残る薄い鱗、カイガラムシの排泄物、などなど。 一方、マナが超自然的なものだと主張する人たちもいます。主な根拠としては、見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。」(出エジプト記:16章4節)という箇所からくるものです。また、40年間にもわたって群衆の腹を満たし続けたことからも、自然のものではないという主張をあげています。

秀真伝・ホツマツタエの古木と聖書の巨木 [ホツマツタエ]

八幡書店
「増補完訳 秀真伝」
http://www.hachiman.com/books/89350-233-6.html
宇宙樹「天の真栄木(あめのまさかき)」の謎
ホツマによれば、天地開闢の時に遡る天の真栄木という樹齢6万年の霊木があった。この宇宙樹は、60年に一本の枝を生じ、6万年で実を結び、枯れるとそのつど植え継がれた。50代目の天の真栄木は神武天皇の即位の頃まで存在したが、そのまま実を結ぶことなく絶滅した。つまり神々の時代の終焉とともに、この霊木も絶滅したのである。これは霊主体従の時代から体主霊従の時代への宇宙的時間軸の転換を意味しているとも考えられる。

「ホツマツタエ」という古文書には、樹齢6万年の霊木の記述があるのですね。

このあいだ知ったYoutubeの
『この地球に山や森は存在しない』 (前編)
https://www.youtube.com/watch?v=aW14RAJ35vs
を連想させます。

「柱状節理、テーブルマウンテンは巨石の化石?」
http://kusunoki-456.blog.so-net.ne.jp/2017-05-17-1
こちらに書きましたが、上のYoutubeに書かれていた旧約聖書エゼキエル書31に
丈は高く、梢は雲間にとどくほどの巨木の記述があります。

同じものなのではと思います。
そうするとやはり、ホツマツタエは封印された真実の歴史ではと思います。

「ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:天の真榊の理屈と由来【1】」
http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_885.html

初めに言(ことば)があった [ホツマツタエ]

「ホツマツタエ」という古文書には、古事記や日本書紀のもとになったとみられる話が書かれているだけでなく、もっと深く本質的なことが書かれているらしい。

「神代の風儀 ホツマツタエ」鳥居礼 1987年

「ホツマツタエ」には天地開闢(かいびゃく)のことが記されており、日本語の48音の一音一音を神として考え、その神々が天地開闢にかかわっているとある。(P.10)

また天上高天原から、人となって地上に宿り、死後神となって地上に生まれ出ずるという、固有の転生観、死生観にもとづいている、この生死も48音神の言霊の神々の神力によってなされる。(P.23)

言霊(ことだま)というように、言葉に力があると。

朝日新聞6月24日の文化・文芸欄に、東京にある聖書図書館が30日に閉館するとの記事の中で、

広く読まれている(聖書の)現代語訳の冒頭は「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」だが、(現存する最古の日本語聖書)ギュツラフ訳は「はじまりにかしこいものござる。この かしこいもの ごくらくともにござる。この かしこいものは ごくらく」と訳されたと。

私が資料として持っている聖書は新共同訳のハンディバイブルですが、はじめにことばがあったなんて書かれていません。なぜ?

創世記
天地の創造
初めに、神は天地を創造された。血は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

「ホツマツタエ」と「聖書」から、「初めに言(ことば)があった」。そういうことですね。


「旧約聖書」の創世神話は、日本の伝承が伝わったものだという説も。

平田篤胤は「霊の真柱」の中で「はるか西のはてなる国々の古き伝えに、よのはじめ、天つ神既に天地をつくりおわりてのちに、つちくれを二つ丸めて、これを男女の神とし、その男神名をあだむといひ、女神の名をえはといひへるが、これ二人の神して、国土をうめりといふ説のあるは、全く、皇国の古伝の訛りと聞こえたり」とさえいっているのです。すなわち、イスラエル民族の伝承である「旧約書」の創世神話は、わが国の古典に記されたいざなぎ・いざなみの伝承が、変化して伝えられたものである、とものべています。(P.29)

日本はシルクロードの終着点と言われ、いろんな文化や人が西方や南方からやってきたとされているが、こういう考え方もあるのですね。


「オンラインで読める聖書ってあるのでしょうか?日本語版と英語版があるとうれしいです.」
http://q.hatena.ne.jp/1066019813
基本的に聖書というものはギリシア語底本を用いて各国語に翻訳されてきていますので、英語版を底本とした翻訳作業が適切であるかどうかは私にはわかりません。 私はギリシア語が読めないので、英語は米標準訳、欽定訳、日本語は聖書協会の文語、口語、共同訳、日本聖書刊行会の新改訳、そしてカトリック系のエ・ラゲ訳を全て相互に参照しながら読みました。同じ聖書で同じことを書いているのに、それぞれにずいぶん受け取るイメージが違うんですよ。翻訳ですからね。

私は古代?のギリシャ語がある程度読めますし,ギリシャ語の聖書も所有しています. ですから新約にかんしては,宗派によって意図的に曲げられている解釈なども笑いながら許容できます.

あ、そうそう。Q資料。これは実に興味深いですね。4福音書の中で異色なのはヨハネだけで、マタイ、マルコ、ルカはほとんど同様のことが記述されていますから、最も初期に完成されていたとされるマルコ福音書とこのQ資料が並行して存在し、それらを元にマタイ、ルカ両福音書が書かれたという説も、これはありそうかなあと感じます。というか、4福音書よりも前に書かれていたらしい各書簡とQ資料の整合性なんていうのも、ぜひ検証してみたいところですね。

新世界訳をお持ちとは…。 少し補遺です。 Q関係では近年の本では、 失われた福音書―Q資料と新しいイエス像 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4791753216/ がスリリングでした。学会的にもあまり異端説でもないようです。 コンコーダンスは調べ治したのですが、日本語ではいいものがあ りません。 あと、「トマスによる福音書」は読まれましたか。講談社学術文庫 から廉価版が出ています(荒井先生のが)。 余談ですが、聖書は、オリエント文化の風土の観点で見ていくと、 面白いものです。例えば、旧約では人を土の器に例えるのですが、 同時代の陶芸を見ると、失敗作は壊して泥に戻すのですね。ああ いうイメージなのか、と。


1年たって読み返すと,ここでの皆さんの議論が凄く中身が濃くて最高ですね. そういえば私はギリシャ語聖書を60マルクで買いました. なのに注釈は英語... クリスチャンじゃないので平気でいろんな宗派の聖書を集めて比較しています. ギリシャ語で読むとオリジナルの解釈に強い主張を持つだけで新しい宗派が出来るのがよくわかる気がします.
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