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「饒速日命」をなぜ「にぎはやひのみこと」と読むんだろう [神社・神話]

饒速日命について違う角度から調べてみようと思い、図書館に行って、「饒」という字を調べました。
(こんなに巨大な漢字辞典があるなんて今まで気づかなかったんですが、一冊の厚みが10センチのものが14巻ありました。完成までおそろしく時間がかかったでしょうね。大変ありがたい恩恵を受けています。)

大漢和辞典 諸橋轍次著 大修館書店
昭和34年初版発行 平成6年修訂第2版第三刷発行

こんなに漢字があるんだと驚きながら調べると、
「饒」の読みは、「ぜう」、「ねう」 だけで、「にぎ」と読むとは出てきませんでした。
20170421-1.JPG

なんで「にぎ」って読むってでてこないんだろうと思って探していますと、

漢字の読みには、呉音、漢音、唐音なるものがあると知りました。
呉音なる言葉があることは聞いたことがありましたが、それがなにかはよくわかっていませんでした。

http://ameblo.jp/prof-hiroyuki/entry-11330813745.html
よく知られている様に、音読みには音を輸入した時代順に「呉音」「漢音」「唐音」、その他に「慣用音」が有ります。そして、特に「呉音」「漢音」はほぼ全ての漢字が有しています。

最初に呉音が仏教と共に伝来・伝播したのですが、実際に渡唐してみると唐では別の発音(漢音)が。 そこで朝廷は、改めて漢音を「「正しい音」とする様に指導したのですが間に合わず・・・というのが、呉音・漢音が「併用されている」大まかな経緯です。

「京」が「きょう」と読んだり「けい」と読んだり、
「男」が「だん」と読んだり「なん」と読んだりする違いがあるわけがやっとわかりました。

それで、「饒」の「ぜう」が漢音で、「ねう」が呉音となるそうです。
それでも「饒速日」は「ねうはやひ」で、「にぎはやひ」にならない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/呉音
末子音(韻尾)、とくに /ŋ/ を表す規則が一定していない。呉音でも -ウ や -イ が添えられることが多いが、公(ク)のように省略されているものもある。双六(スゴロク)のようにガ行音を充てたものもいくらか見受けられる[1]。
脚注
^ 日本固有の地名や人名にも同様の字音を当てているものが見られる。相模(サガミ)、相良(サガラ)、愛宕(アタゴ)、鳳至(フゲシ)など。

「呉音の特徴としてガ行音を充てたものがある」と、そういうことですね。
双六ーそうろく+ごー>すごろく
相模ーそうみ+がー>さがみ
だから「ねうはやひ」に「ぎ」が加えられて「にぎはやひ」になったと。

解説を書いてくださっているサイトがたくさんあって、たどりつけました。
はーすっきり。

厳島神社:中近東の建物で高麗の女を祀る [神社・神話]

「戦国意外史」 八切止夫 読売新聞社 昭和44年

これによると、
広島県厳島神社の建て方は、今日の建築史でも明白に指摘されているように大陸的である。
それが中近東であることも明瞭である。
そして鯛漁で有名な備後福山の海面の仙酔島にも、アラビヤスタイルの極彩色のものがある。

世に「平家納経」として名高い33巻の平家一門の経巻や願文が国宝として宝物になっているこの厳島神社の社殿というのは、平清盛が造営し奉納したものとされている。
だから宝物殿に今ある平家の公達のおびていたという太刀も、これまた、まるで日本刀とは違う。
さやに入っているから外見ではわからぬが、刀身はサーベルで、トルコで三日月刀と共に現存する棒刀そのものである。

「フロイス耶蘇教通信」には、「この宮島の神は、高麗の女らを祭りたるものなりというが、人民これを知らず参拝するもの多し」と、ゼズス派のパードレのフロイスは、戦国時代にその御神体のすっぱ抜きをやっている。

もちろん明治の「大日本神祇史」には、そんなことはでていない。
それには、(厳島文書及厳島道芝記)によるとして、「推古帝の御代、神託により内舎人佐伯鞍職が安芸恩賀島に神殿を造り、田心(たごり)姫の命ら二神を祀る」となっている。
ところが今でも韓国では上着を「チョゴリ」といい、裳を「チマー」というが、高貴な裾長きは、「タンゴリ」とも三韓征伐の頃はいうとる。

とすると、天照様の姫であったというこじつけの説もあるが、「タゴリのみこと」とは「タンゴリを着たみこと」かもわからぬ。
**********

タンゴリってこれのことでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/韓服
タンウィ(唐衣)
前後に長い垂れのあるチョゴリ。王侯貴族女性の第二礼装。これもチマチョゴリの上に着用する。

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http://glidia.blog.fc2.com/blog-entry-1572.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/厳島神社
祭神は次の3柱[4]。3柱は「宗像三女神」と総称される。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)

https://ja.wikipedia.org/wiki/タキリビメ
天照大神と素戔嗚尊の誓約により誕生した「宗像三女神」の一柱で『古事記』では多紀理毘売命、『日本書紀』では田心姫(たごりひめ)・田霧姫と表記される。別名奥津島比売命(おきつしまひめ)だが、『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としている。 神名の「タキリ」は海上の霧(きり)のこととも、「滾(たぎ)り」(水が激しく流れる)の意で天の安河の早瀬のこととも解釈される。日本書紀の「タゴリ」は「タギリ」が転じたものである。

舞楽 厳島神社に伝わる古典
https://www.youtube.com/watch?v=q0n6bBfUD-g
いろんな舞をダイジェストで。
説明もありよくわかります。
左方舞と右方舞があり、左方舞は赤色系、右方舞は緑色。
それぞれ発祥地がちがい、左方舞はインドや中国から伝えられた、右方舞は朝鮮半島から。


2017宮島厳島神社・元始祭 「陵王」
https://www.youtube.com/watch?v=5NfzVJJgBpA

2017宮島厳島神社・元始祭 「 納曽利 」
https://www.youtube.com/watch?v=8BnjcfT4qxU
2017/01/03 世界遺産宮島・厳島神社で行われた、元始祭の映像です。「陵王」の、番い舞に当たるが「納曽利」です。雄雌2匹の龍がたわむれ遊んでいるとこを表現した舞であり、昇天する姿を模していると言われます。「双龍舞」とも言われています。

2017宮島厳島神社・元始祭 「 胡徳楽 」
https://www.youtube.com/watch?v=-5wjN5HX3Tc
2017/01/03 世界遺産宮島・厳島神社で行われた、舞楽奉納の映像です。客人4人にお酒を振る舞うのですが、瓶子取りは、目を盗んで独酌で酒を飲み千鳥足で舞台を退出する滑稽な舞です。

宮島・厳島神社 桃花祭 舞楽 「蘇利古(そりこ)」
https://www.youtube.com/watch?v=a7Z326j8_K0
2016/04/15 宮島 厳島神社 桃花祭で行われた舞楽奉納「蘇利古」の模様です。朝鮮においては 酒を造る際、竈(かまど)と井戸を清める風習があります。そうした姿を舞にしたもので竈祭舞(かまどまつりのまい)ともいわれています。奇っ怪な衣装で、「死神か」と、勘違いしてしまいそうです。

2017宮島厳島神社・元始祭 「狛鉾」
https://www.youtube.com/watch?v=zPb9kx534jQ
2017/01/03 世界遺産宮島厳島神社で行われた、舞楽奉納・元始祭の映像です。茶色の着物姿(インドや中国、西アジアから伝来)で左楽房から始まる左方舞の「太平楽」に対して、対舞になるのが「狛鉾」です。右楽房・緑色の着物姿で(朝鮮半島・シベリア方面から伝来)の舞になります。高麗の貢ぎ物を運ぶ船が、五色の彩色をした棹で船を操り港に入る有様を舞にしたと言われています。

宮島 厳島神社 桃花祭 舞楽 「蘭陵王(らんりょうおう)」
https://www.youtube.com/watch?v=OD3PLJD48o8
2016/04/15 宮島 厳島神社 桃花祭で行なわれた舞楽奉納「陵王」の模様です。約1400年前の中国・北斎の国王、蘭陵王・長恭(ちょうきょう)は、あまりにも美しい容姿であったので、戦時の際、自軍の士気が揚がらない為、恐ろしい形相の面を付けて指揮を執り、周の大軍との戦いに勝利しました。その姿を舞にし、武勲を称えたと伝えられています。

**********

なぜ厳島神社の御神体が高麗の女らだと、フロイスは言ったんでしょうか。どこで知ったんでしょうか。
人民はこれを知らずに参拝していると。

建物は中近東、祭神は高麗。

なぜだろうと思ったら、舞は両方を取り入れているのですね。
中近東ルーツの左方舞と朝鮮半島ルーツの右方舞。

まだまだたくさんありますが、このお面は何を表しているのでしょう。
人間ではないような。
「陵王」って「龍王」かなと思ったり。

「狛鉾」の「こま」は「高麗」のことかな。

「厳島神社の神は変遷している」
http://miya-jima.net/page/130.html
まとめ
●10世紀には伊都岐島大明神が祀られていた。
●12世紀に海上神殿が収蔵された時もおそらく、伊都岐島大明神が祀られていた。
●鎌倉時代に現在、祀られている市杵島姫神を含む宗像三女神に変わった。

(旧約聖書+新約聖書)のゴッドは同じ存在ではない [神社・神話]

情報の洪水の中で、何が真実でなにを知るべきなのか。
誤誘導する情報が多い中で、知るべきなのは何か。
あちこち文献を読み、ブログを読み、直感を働かせて、ある程度あたりをつけないと、真実の情報にたどりつくキーワードは得られない。


「ほとんどの神社が宇宙から来た爬虫類生命体「龍」を祀っている?」
「天孫降臨/神武の驚くべき正体 日本古代史の闇」第一部 コンノケンイチ(今野 健一)
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-223.html#end

内容は「「先代旧事本紀大成経」、「デヴィッド・アイクの爬虫類人」、「日本のいちばん醜い日」(鬼塚英昭)、「天皇の金塊」(高橋五郎)、「出口王仁三郎」、「日月神示」、「聖書」から組み立てられた類例のない推考」とのことで、著者しか生み出せない大胆なる天皇論、歴史考察であった。複数回に分けて引用する。
日本の古代に降臨した神々は、私たち人類とは基本から異なる、異星の爬虫類生命「龍(ドラゴン)」だった。それを私たち日本人は神と崇めてきた。
同じく、キリスト教の聖書(旧約聖書+新約聖書)のゴッドは同じ存在ではなかった。旧約聖書のゴッドは日本に天孫降臨してきた異星の爬虫類生命「龍」と同一で、新約聖書のゴッドこそ人類のルーツに直結するゴッドだった。互いは基本から相反する異質の神だったのである。

古代中国の歴代皇帝は「顔は龍」で、さまざまに変身できるとされている。人間の姿から角と輝く龍の目を持ち、鱗が生えたトグロを巻く体と形容されている。
同じ意味が、「本紀大成経」が述べる神武天皇から16代までの天皇の容姿で、角と輝く龍の目を持ち、鱗と尻尾が生えてトグロを巻くとある。
・・・・・(中略)・・・・・
歴代の中国皇帝も、自らの権力の象徴として「龍」の名を多用してきた。
秦の始皇帝の別名は「租龍(そりゅう)」で、漢の高祖は龍と人間の間にできた子だという。そして皇帝の顔は「龍顔」で、王座は「龍座」と称された。中国における龍は、この世の権力と宇宙霊力の象徴でもあり、創造主の代名詞だった。



「大群衆が目撃した巨大UFO、そしてファティマ第三の予言とは 2014.01.05」
「天孫降臨/神武の驚くべき正体 日本古代史の闇」第二部 コンノケンイチ(今野 健一)
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-224.html#end
バチカンには「奇跡現象認定委員会」が存在し、奇跡現象の審査は厳重をきわめる。そして、これまでバチカンに正式に認定された奇跡現象は「ラ・サレットの奇跡」「ルールドの奇跡」「ファティマの奇跡」の3つだけである。
*その日ファティマ一帯は、爆発しそうな状況にあった。ヨーロッパ全土から7万~10万人もの大観衆が続々と詰めかけ、極度の興奮状態で運命の時刻を待ち構えていた。そのなかには、ヨーロッパの主要な国の新聞記者、科学者の顔もあった。
そして彼らは観た。降り注いでいた雨がピタリとやんで、空を覆っていた雨雲からぽっかりと青空がのぞき、太陽のようなものが天頂に姿を見せた。その太陽は明るく輝いていたが、不思議なことに少しもまぶしくない。 すると突然、太陽が震え始め、ぐらぐらと動きだし、燃え盛る車輪のように回転しながら、四方八方へ無数の色の光線を発した。そのために雲や地面や樹木や岩が、そしてすべての群集が幻想的な色彩に染まっていった・・・。
その原因の第一は、バチカン司教も宣言したように、7~10万人の大群衆の頭上で起きた奇跡現象は錯覚でも幻覚でもない、まぎれもない現実の出来事だった。となるとイエス・キリストの母マリアを象意として人類を「わが子よ」と呼びかけていたことは、新約聖書のゴッド(神)は宇宙に実在し、その直系のルーツが人類となる。
ここで重要なのは旧約聖書ではなく、新約聖書のゴッドということである。

Youtube SPECでの「ファティマ第三の予言」の内容





「日本人は各神社で、レプティリアン「ヤハウェ」を敬虔な心で拝んでいた? 2014.01.07 」
「天孫降臨/神武の驚くべき正体 日本古代史の闇」第三部 コンノケンイチ(今野 健一)
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-226.html#end

その証拠の一つに、キリストの教えは635年に中国に伝わり、長安に「大秦景教流行中国碑」の石碑も建てられていることである。
空海も「マタイによる福音書」を長安から日本に持ち帰っており、「大秦景教流行中国碑」のレプリカも高野山にある。このようにキリスト教と仏教の根っこは同じだったようである。

第1章で述べた、応神天皇の容姿を思い出していただきたい。次のようであった。

身長は2メートル90センチ、肘に鞆の形があり。眼の形は弓を張ったような三角形、顔の真ん中の角は天に向かって弓に矢を番えているようだ。胸に72本の青い毛が牛の尾のように生えており、長さは馬の尾のようだ。強く生えているので、決して抜けない。

応神天皇は初代の神武天皇から930年を経ているが「龍」の容姿は十分に保っている。 日本に来たガド族は応神天皇のレプティリアン・パワーと合体し、「申命記」が予言したように日本の民衆に「ヤハウェの正義と審判を行なった」のである。
*その秦氏が、伊勢神宮の創設にかかわっていた。ある面では日本固有の「神道」、その象徴である神社すべては秦氏から始まっているのだ。日本固有と思われてきた神道は、秦氏が持ち込んだものだったのである。 そうした意味ではユダヤ教も神道も唯一神、となると伊勢神宮はユダヤ教のゴッド「ヤハウェ」を祀っていることになる。
・・・・・(中略)・・・・・
こんぴらさんの名で親しまれる「金刀比羅宮」は、もとの名を「旗宮」、すなわち「秦宮」という。全国の「白山神社」や「愛宕(あたご)神社」を開いたのも秦泰澄(たいちょう)である。
八幡神社もそうで、八幡とはユダヤのことで、八幡は本来ヤハタと発音し、それがイエフダー~ユダヤとなる。八幡神社もユダヤの神「ヤハウェ」を祀っていたのである。
日本人は各神社で、レプティリアン「ヤハウェ」を敬虔な心で拝んでいた。異星から来た爬虫類生命体とも知らず・・・・。



「あなたの神、主は焼き尽くす神、妬む神である 2014.01.10」
「天孫降臨/神武の驚くべき正体 日本古代史の闇」第四部(最終回) コンノケンイチ(今野 健一)
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-230.html#end

*筆者は以前から、東京大空襲で全都が焼け野原と化したのに、皇居に一発の弾丸も落ちなかったことが妙に胸に引っ掛かっていた。それについて書かれた本にも、出会ったことはない。

日本の戦国時代も、敵の首魁(しゅかい)の住む本丸「城」を攻撃目標とした。東京全都に32万発の弾丸が落ちて火の海と化したのに、皇居に一発の弾丸も落ちなかったのは妙と思わないだろうか。無条件降伏なのに最高責任者の天皇は裁かれず、天皇制が継続されたことも奇妙だった。
東西ドイツのように国が分断されず、戦争責任のない朝鮮半島のほうが38度線で分断されたのである。なぜだろう。そこには英王室を代表する、レプティリアン血流の意志が働いていたとしか思えなかったのである。

レプティリアンの特徴は、感情面があまり発達しておらず、ワニやトカゲのそれとあまり変わらない。哺乳動物と同じようには感じないのだ。だが知的感覚は鋭く、科学技術を造り出したり、利用することには非常に適している。彼らの精神の働き方をたとえれば、コンピューターだ。ある程度までは効果的に働くが、感情が乏しいので限界がある。だから自分たちと同じ周波数を持つ、哺乳種族の染色体(DNA)を欲しがっている。
また感情のバランスを欠く彼らの精神構造は、この上なく残虐な行為をしながら、犠牲者たちに何の哀れみも感じることがない。それが喜びなのだ。だから彼らの系統は戦争を起こし、何千万人を殺害したり、不自由な身体にすることができるのだ。

さらに、あえて引用しなかったが、「アポロ月着陸に対する著者の見解」等に疑問に感じざるを得ない文面も多々あった。私は「人類は月に行っていない」と思っているが、著者は「人類は月に行っており、月着陸疑惑報道自体が演出である」と、述べている。

それはさておき、よくぞここまで、時代、国家、宗教、思想を越えて、異なる著者及び著書の見解・記述から、「天孫降臨の真実及び、爬虫類系宇宙生命体(旧約のゴッド)と哺乳類系宇宙生命体(新約のゴッド)は対立している」といった、“著者独自の見解”を導き出すことができたものだと思う。
「旧約のゴッドと新約のゴッドが異なる存在である」とのことだが、このことについては、以前、太田龍氏も「キリストが非難していたパリサイ・ユダヤ勢力が、キリストが信仰していた本来の神を、パリサイ・ユダヤが信仰するヤハウェにすり替えた」と記していたが、表現の方法が違うだけで両者は同様のことを述べていると思われる。

『新撰姓氏録』ー外国人が意外に多い [神社・神話]

写真は「新撰姓氏録の研究 本文編」佐伯有清 昭和37年 吉川弘文館
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秦忌寸
秦の始皇帝の子孫。弓月王。与田天皇14年日本にきた。、、、
秦の民92部族18670人を連れてきた。、、、
蚕を飼い、絹を織る。岳のごとく、山の如く。朝廷に蓄え積む。天皇これを喜ぶ。号を賜るうずまさという。、、、

https://ja.wikipedia.org/wiki/弓月君
弓月君は百二十県の民を率いての帰化を希望していたが新羅の妨害によって叶わず、、、無事に弓月君の民が渡来した
弓月君は朝鮮半島を経由しているものの、秦氏の系統は『新撰姓氏録』において「漢」(現在でいう漢民族)の区分であり、当時の朝鮮半島の人々である高麗(高句麗)、任那、百済、新羅とは区分を異にしている。
三国志』魏書辰韓伝によれば朝鮮半島の南東部には古くから秦の亡命者が移住しており、そのため辰韓(秦韓)と呼ばれるようになったという。
中国の西、ウイグル、カザフスタンの辺りに弓月国(クンユエ)という国が存在しており、そこからはるばる日本に渡ってきたという、佐伯好郎説も存在する。

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饒速日命が天から降りてきた時の従者だったものの子孫。

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山城国
物部氏 饒速日命の子孫。

20170418-4.JPG
百済国人の子孫。百済国人の子孫。百済国人の子孫。、、、

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高麗国人の子孫。高麗国人の子孫。新羅国人の子孫。新羅国人の子孫。新羅国人の子孫。、、、

「日本は単一民族」ってぜんぜんうそやん。
平安時代初期にはすでに、めっちゃきてるやんと思いました。

ここに載っているのは京と、五畿だけだそうですが、この分だと日本中混じり合ってそうですね。

「新撰姓氏録」が作られた目的は、なんでしょう。
だれがどういうルーツをもつのかわかりにくくなりつつあるときに、作られたものなんではないかなと思います。


https://ja.wikipedia.org/wiki/新撰姓氏録
**********引用開始
『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)は、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑。
京および畿内に住む1182氏を、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に分類してその祖先を明らかにし、氏名(うじな)の由来、分岐の様子などを記述するものであるが、主として氏族の改賜姓が正確かどうかを判別するために編まれたものである。後述するように、記載氏族が限られているとはいえ、日本古代氏族あるいは日本古代史全般の研究に欠かせない史料である。
現存する『新撰姓氏録』は、目録だけの抄記(抜き書き)であって本文は残っていないが、所々にその残滓が認められるとともに、若干の逸文が知られている。なお、本書の対象とする範囲は京(左京・右京)と五畿内に住む姓氏に限られており、また「序」にはそれすらも過半が登載されていないと記している。
本書には、全部で1182氏姓が記録され、その出自により「皇別」・「神別」・「諸蕃」に3分類されている。
皇別[編集]
筆頭にあげられた「皇別」の姓氏とは、神武天皇以降、天皇家から分かれた氏族のことで、335氏が挙げられている。代表的なものは、清原、橘、源などがある。皇別氏族は、さらに、皇親(「真人」の姓(カバネ)をもつ氏族)とそれ以外の姓をもつ氏族に分かれる。
神別[編集]
「神別」の姓氏とは、神武天皇以前の神代に別れ、あるいは生じた氏族のことで、404氏が挙げられている。神別姓氏は、さらに、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨した際に付き随った神々の子孫を「天神」とし、瓊瓊杵尊から3代の間に分かれた子孫を「天孫」とし、天孫降臨以前から土着していた神々の子孫を「地祇」として3分類している。
「天神」に分類された姓氏は藤原、大中臣など246氏、「天孫」は尾張、出雲など128氏(隼人系の氏族は天孫に分類される。)、「地祇」は安曇、弓削など30氏がある。
諸蕃[編集]
「諸蕃」の姓氏とは、渡来人系の氏族で、秦、大蔵など326氏が挙げられている。諸蕃氏族は、さらに5分類され、「漢」として163氏、「百済」として104氏、「高麗」(高句麗を指す)として41氏、「新羅」として9氏、「任那」として9氏がそれぞれ挙げられる。
また、これらのどこにも属さない氏族として、117氏が挙げられている。
**********ここまで引用

剣を抜いて撃殺?漢字廃止論の怖さ [神社・神話]

「国史体系 第七巻 古事記 先代旧事本紀 神道五部書」
発行所 国史体系刊行会
発売所 吉川弘文館、日用書房
昭和11年発行

漢文で、返り点とかあります。
ぱらぱらと流し見。

先代旧事本紀はいろんなバージョンがあるらしく、10巻のものと72巻で「先代旧事本紀大成経」といわれるもの、31巻のものとかあるそうです。
こちらに載っているのは10巻のもの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/保食神
保食神(うけもちのかみ)は、日本神話に登場する神である。『古事記』には登場せず、『日本書紀』の神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。神話での記述内容[1]から、女神と考えられる[2]。
天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。

月夜見尊は汚らしいと怒った。
「是時月夜見尊憤然作色曰。穢哉。」

日本書紀では保食神(うけもちのかみ)は、月夜見尊に殺されたように読めます。
この先代旧事本紀2巻では、
「抜剣撃殺。然後復命。」
復命って生き返ったのかと思いましたが、命令に従ってした事の経過・結果を命令者に報告することなんだそうです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

wikipediaによれば、「先代旧事本紀は、現在では大同年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~906年)以前に成立したとみられている。」とあります。

1100年も昔のものをちょっとは読むことができる。
漢字って素晴らしいと思います。

以前にも「漢字廃止論の危険さ」で書きましたが、
http://kusunoki-456.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04-2

明治期にも、昭和の戦後にも漢字をなくそうとする動きがありました。
これで学校で漢字が教えられなくなり、刊行物から漢字がなくされると、もうこんな古代のものは一部の研究者しか読めなくなっていたわけです。

学校教育で、毎年教えられてたくさんの漢字を読み書きすることができ、中国の文献だって、少しは読めるわけです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/柴田武
柴田 武(しばた たけし、1918年7月14日 - 2007年7月12日)は、日本の言語学者、国語学者。東京大学名誉教授、埼玉大学名誉教授。文学博士(東京大学)(1969年)。愛知県名古屋市生まれ。
方言地理学、社会言語学などの研究を続け、「日本の方言」(岩波書店)などを著した。『新明解国語辞典』(三省堂)や『類語大辞典』(講談社)の編纂にも参加した。長く、NHKテレビ『日本語再発見』に出演し、1985年、NHK放送文化賞を受賞。私的な側面では国字ローマ字論の第一人者であり、財団法人日本のローマ字社の理事長を長らく務めた。
太平洋戦争終結後、1948年(昭和23年)に「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という偏見から、GHQのジョン・ペルゼル[1]による発案で、日本語をローマ字表記にしようとする計画が起こされた。そして正確な識字率調査のため民間情報教育局は国字ローマ字論者の言語学者である柴田武に全国的な調査を指示した(統計処理は林知己夫が担当)。1948年8月、文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)により、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み書き能力調査」が実施されたが、その結果は漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率が非常に高いことが証明された。柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、「識字率が低い結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱね[2]、日本語のローマ字化は撤回された[3]。この話は2010年9月23日放送のみんなでニホンGO!で取り上げられた[4]。

国字ローマ字論の第一人者に調査させるGHQの卑劣さと、
国字ローマ字論の第一人者であるのに、自分の主張に沿わない調査結果をごまかさない柴田 武。
これぞ日本人って気がします。
足を向けては眠れません。

「漢字を廃止した韓国は今になって後悔?=「日本でさえ漢字を廃止することはできなかった」「韓国の歴史書は全部漢字で書かれてるのに」―中国ネット」
http://www.recordchina.co.jp/b151187-s0-c60.html

ハングル専用の弊害:「漢字を廃止した韓国」で知的荒廃が起こっている」
http://nettaro-note.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-59b0.html
・韓国の漢字廃止は1948年に大韓民国が成立し、公用文は「原則的にすべてハングルで書くべし」との法律が制定されたことに始まる。しかし政府の推奨にも関わらず、公用文、新聞、専門書などからは依然として漢字がなくなることはなかった。漢字廃止には専門家たちの反発が大きかった。
・韓国の学校教育で「漢字廃止・ハングル専用政策」がとられるようになったのは、1968年春から。(当時の韓国では小学校4年から漢字を教えていた)
・漢字廃止政策以後の韓国では、教科書をはじめ、新聞・雑誌・書籍からレストランのメニューに至るまで、漢字はほとんどその姿を消してしまっている。
韓国語は漢字を廃止したために、日常的にはあまり使われない、しかし概念や理念を表す言葉、各種の専門用語など、伝統的に漢語で表されてきた重要な言葉の多くが、一般にはしだいに使われなくなっていった。各種の評論・研究論文や新聞・雑誌の記事に、総じて書き言葉の世界に、語彙の恐ろしいまでの貧困化がもたらされた。
・現在の韓国人が書く文章は一般的に、簡潔、単純、直接的という傾向が強く、言葉の奥行きがきわめて浅い。
・現在、漢字教育を受けることなくハングルだけで育った者たちが韓国人口の大半を占めるに至っている

「ハングルの弊害は「知力の向上」が望めない」
http://ameblo.jp/hironk2005/entry-11555595300.html
こうした現象の大きな原因の一つが「漢字廃止」である。私が中学生だった1970年の春、韓国は学校で漢字を教えることをやめた。私の世代以降は“ハングル専用世代”となり、50年近く経った今日では約8割の国民がハングルしか読めなくなってしまった。
韓国語の語彙は漢字由来の「漢字語」が約7割を占める。それを表音文字であるハングルだけで表わすのだから、日本語を平仮名だけで書くようなものだ。自ずと同音異義語の判断に迷うことが増える。
さらに恐ろしいのは文化の断絶である。古典や史料がどんどん読めなくなり、大学の研究者たちでさえ1960年代に自らの指導教授が書いた論文を読むことができないのだから、問題の根はとても深い。
 折に触れて漢字の復活が議論されたが、「世界一優れた文字を守れ」と主張するハングル至上主義者たちの反対に遭い、今や教師の世代に漢字を教えられる人材がいなくなってしまった。自分たちの大統領である「朴槿惠」はおろか、過去の調査では大学生の25%が「大韓民國」を漢字で書けないとするものもあった。


漢字を廃止して、また再開しているようですが、漢字を学校で教えられなかった世代はずっと教えられることがない。
先人が残した歴史を読むことができない。
これはとても大きな損失です。
韓国の方が「彼ら」の強い影響下にあることがわかります。

多くの天皇の母は藤原氏 [神社・神話]

藤原氏って多くの天皇の母親なんですね。
20170416-2.JPG
「角川日本史辞典」の大王・天皇表(舒明ー今上)までの天皇の父親、母親、即位年月日、退位年月日の表をみると、97人の大王・天皇のうち、母親が藤原氏なのは64人もいました。
実に66パーセント
藤原とつかなくても、実は藤原氏の出であるという人まではちょっとわからないので、実際はもっと多いかもしれません。

藤原氏が母親で一番古い天皇が、聖武天皇。
一番新しいのが孝明天皇。明治天皇の前の天皇です。

明治天皇の母の中山慶子を調べると、父は中山忠能。
中山忠能の父は藤原北家の花山院流権大納言・中山忠頼とあるので、この方も藤原氏の系列。

大正天皇の母、柳原愛子を調べると、
柳原家(やなぎわらけ、やなぎはらの読みは慣例)は、名家の家格を有する公家。京都十三名家。藤原北家の日野家の分流。
これもまた藤原氏の系列。

この二人を含めると、母が藤原氏系列は66人になります。

また、佐藤、加藤、斎藤、工藤、安藤、伊藤など、「藤」がつく苗字は藤原氏の流れなんだそうです。
http://style.nikkei.com/article/DGXBZO18679650S0A121C1000000?channel=DF280120166607&style=1
名字研究家の森岡浩さんによると、こうした「○藤」さんは、基本的に藤原氏の末裔(まつえい)であることが多いそうだ。ただ、平安時代に藤原一族が朝廷の要職を席巻したため、藤原とは別の名字を名乗る必要が生じ、自分の領地や職業と、藤原の「藤」を組み合わせた新しい名字をつくったらしい。
 それなら、実力者、藤原氏の一族であることを示しつつも、藤原氏と区別した名字を名乗れるからだ。 身近にもその苗字の人はたくさんいます。

地域名+藤や、職業名+藤となっていて、地域的に偏りもあるそう。
藤原氏の一族であることを示しつつも、藤原氏と区別した名字を名乗れる
結局は苗字を変えて、重要職を独占していたってことでしょうか。

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20170416-1.JPG
こちらは名数表というそうです。
六家集とはどれをいうか、七卿落ちとはだれをいうかとか、まとまっていておもしろいです。

八部衆
https://ja.wikipedia.org/wiki/八部衆
八部衆とは8つの種族という意味である。これにはいくつかの説がある。通常に用いられるのは『舎利弗問経』を基本に、『法華経』や『金光明最勝王経』などの説により、天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆の8つを指す。
ただし、奈良・興福寺の著名な八部衆像の各像の名称は上述のものと異なり、寺伝では五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼(くはんだ)、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)と呼ばれている。
なお、四天王に仕える八部鬼衆は、これらの八部衆と名称も類似し一部重複するので間違われやすいが基本的に異なる。ちなみに八部鬼衆は、乾闥婆・毘舎闍・鳩槃荼・薛茘多・那伽(龍)・富單那・夜叉・羅刹の名を挙げる。 法華経の序品(じょぼん)には、聴衆として比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷(出家在家の男女)などの「人」のほかに、この八部衆を「非人」として名が連ねられている。

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八部衆とは8つの種族という意味。
宇宙からやってきたのは、一つの種類ではなく、龍・爬虫類タイプやら鳥頭タイプやら阿修羅のように多面のものもいるように思えます。

16代までの長命の天皇 [神社・神話]

「天孫降臨/日本古代史の闇」コンノケンイチ 著 徳間書店 2008年 を読んでいます。

カバーの内側に
「先代旧事本紀大成経」、「デーヴィッド・アイクの爬虫類人」、「日本のいちばん醜い日」(鬼塚英昭)、「天皇の金塊」(高橋五郎)、「出口王仁三郎」、「日月神事」、「聖書」から組み立てられた類例のない推考!
とあります。

上の中でかじったことがないのは、「出口王仁三郎」、「日月神事」です。
「デーヴィッド・アイクの爬虫類人」、「日本のいちばん醜い日」(鬼塚英昭)、「天皇の金塊」(高橋五郎)は読んだことあり。

デーヴィッド・アイクやデニケンの本を読んで以来、天孫降臨してきた神々は、人間ではなく宇宙人で、爬虫類タイプであろうと思うようになった私の考えとも一致し、かつ爬虫類人が世界を支配し、現在日本や世界を取り巻く裏の情勢も説明できるという、まさにこれと思う一冊です。

「記紀以前の資料による古代日本正史」原田常治著には、
神武天皇がいつ頃に天皇になったかを、17代天皇から32代天皇、33代天皇から48代天皇までの平均在位期間を調べて、そこから干支を含め計算して、西暦241年であるとしていました。
だいたい平均在位10−12年です。
これは天皇が人間であるとした場合です。

日本書紀によると、神武天皇の即位年は西暦紀元前660年に相当し、1代の神武天皇から16代の仁徳天皇までは在位期間が異常に長く、100年近い天皇もいます。
第1代 神武天皇 BC660
第2代 綏靖天皇 BC581
第3代 安寧天皇 BC549
第4代 懿徳天皇 BC510
第5代 孝昭天皇 BC473
第6代 孝安天皇 BC392
第7代  孝霊天皇 BC290
第8代 孝元天皇  BC214
第9代 開化天皇 BC158
第10代 崇神天皇 BC97
第11代 垂仁天皇 BC29
第12代 景行天皇 AD71
第13代 成務天皇 AD131
第14代 仲哀天皇 AD192
第15代 応神天皇 AD270
第16代 仁徳天皇 AD313
第17代 履中天皇 AD400
第18代 反正天皇 AD406
第19代 允恭天皇 AD412
第20代 安康天皇 AD453


「歴代天皇の年齢・在位年数」
http://ysigle.x.fc2.com/TNenrei.html
こちらのサイトより引用
**********引用開始
歴代天皇の年齢・在位年数
更新日:2008/11/28
<歴代天皇の年齢・在位年数(記紀の時代)>
天皇    年齢         在位年数 
      日本書紀 古事記 日本書紀
1神武天皇  127 137    75
2綏靖天皇  84    45    30
3安寧天皇  57    49    39
4懿徳天皇  77   45    33
5孝昭天皇  114 93    82
6孝安天皇  137 123    100
7孝霊天皇  128 106    75
8孝元天皇  116 57    56
9開化天皇  115 63    60
10崇神天皇 120 168    68
11垂仁天皇 140 153    100
12景行天皇 143 137    60
13成務天皇 107 95    60
14仲哀天皇      95    8
 神功皇后  100 100    69
15応神天皇 111 130    40
16仁徳天皇 142 83    86
**********ここまで引用

第6代の在位102年とか、第11代の100年とか長すぎないかというわけです。

17代以降で在位年数40年を越えているのは昭和天皇と19代だけ。
在位30年を越えているのも6、7人ぐらいです。
若くで即位して、30代ぐらいで上皇になっている方が多いようで、だから短いといえますが。

第1代から16代までの何人かは外見的に人でない、龍的な特徴をもっていたと書かれているので、だから長命といえる。

旧約聖書 創世記5
アダムは930年生き、そして死んだ。
セトは912年生き、そして死んだ。
エノシュは905年生き、そして死んだ。
ケナンは910年生き、そして死んだ。
マハラルエルは895年生き、そして死んだ。
イエレドは962年生き、そして死んだ。
エノクは365年生きた。
メトシェラは969年生き、そして死んだ。
レメクは777年生き、そして死んだ。
ノアは500歳になったとき、セム、ハム、ヤフェトをもうけた。

創世記7.6
ノアが600歳の時、洪水が地上に起こり、水が地の上にみなぎった。

長い、長すぎる。
人ではないですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/神武天皇
神武天皇の即位年は、『日本書紀』の歴代天皇在位年数を元に逆算[13]すると西暦紀元前660年に相当し、即位月は「春正月」であることから立春の前後であり、即位日の干支は「庚辰」である。そこで西暦紀元前660年の立春に最も近い「庚辰」の日を探すと、西暦では2月11日と特定される。その前後では前年12月13日と同年4月12日も庚辰の日であるが、これらは「春正月」になり得ない。したがって「辛酉年春正月庚辰」は紀元前660年2月11日以外には考えられない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/天皇の一覧

先代旧事本紀大成経 神社リストの国名を素人翻訳 [神社・神話]

「先代舊事本紀大成經七十一 神社本紀」に書かれている神社リストがどこの場所かわかりにくいので、国名を翻訳してみました。

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sendaikuji/taisei.htm
このリストを元にさせていただきました。
エリアの分け方は「先代舊事本紀大成經七十二 國造本紀」から。

万葉仮名って「よろしく」を「夜露死苦」と書いたり、キラキラネームにあるような「心愛」を「ここあ」と読むような感じだなと思いました。

たとえば、「山跡」が「やまと」、「伍顏」が「いが」と、「淡道」が「あわじ」となり、訓読みでなく、音読みでつけているようなところもある気がします。

東海道、南海道、西海道というのは、海からのルートではないかと思います。

「魏志倭人伝」にでてきた「伊都」「末盧」をみつけてうれしく思いました。

「おうしこうち:凡河內:のちに河内、摂津、和泉に分割される」こういうパターンは難しいです。

古地図などをみつけて、判明次第随時加筆していきます。
素人翻訳ですので、間違いはあると思います。
ここはこうではないかと思われるところがあったら、教えてください。


参考:
奈良女子大の「奈良時代郡郷里名一覧」
http://nwudir.lib.nara-wu.ac.jp/dspace/bitstream/10935/365/1/17_05_02.pdf

https://ja.wikipedia.org/wiki/国造


畿内
山跡國:やまと:大和
葛城國:かつらぎ:葛城
凡河內國:おうしこうち:凡河內:のちに河内、摂津、和泉に分割される
河泉國:かせん:河内と和泉
背津國:せっつ:摂津
山代國:やましろ:山城

東海道
伍顏國:いが:伊賀:「伍」はいつつと読むことから?
伍瀨國:いせ:伊勢
島間國:しま:志摩
尾張國:おわり:尾張
土穗國::穗: 三河国東部
參河國:みかわ:三河
邦門國:ほと?はと:播豆(波豆):三河国
遠湖國:とおとうみ:遠江
駿河國:するが:駿河
衣香國:
盧原國:いおはら:盧原:駿河国西部
出維國:いず?:伊豆?
大嶋國:おおしま:大島
相模國:さがみ:相模
羽鳰國:
陸摽國:むさし?:武蔵?
父忍國:ちちぶ?:秩父?
陸野國:むさしの?:武蔵野?
洲石國:
泡端國:あわ:安房
上海國::上総?
下海國::下総?
就葉國:ちば:千葉:下総国南部
日中國:
岩城國:いわき:磐城
岩背國:いわしろ:
甥襲國:むさ:武社:上総国北東部
射甚國:いじむ:伊甚:上総国東部
知馬國:つくば:筑波
飯饒國:にいはり:新治:常陸国西部
茨城國:いばらぎ:茨城:常陸国中部
日高國::高?:常陸国北部
來目國:くじ:久自:常陸国北中部

東山道
淡海國:おうみ:近江
額田國:ぬかた:額田:近江国北東部
箕野上國:みのかみ?:美濃
箕野下國:みのしも?:美濃
卑田國:ひだ:飛騨
木襲國:きそ:木曽
科野國:しなの:信濃
洲輪國:すわ:諏訪
兜岩國:
上毛野國:かみつけの:上毛野
背野國:
下毛野國:しもつけの:下毛野
名為國:なす?:那須
白河國:しらかわ:白河:福島県域南西部
畔搜國:
馬來國:
親治國:
思兼國:おもし?:思:陸奥国北部
凌忍國:
至來國:しく?:伊久:陸奥国中部
染羽國:しめは:染羽:陸奥国南部(福島県域中東部)
浮田國:うきた:浮田:陸奥国南部(福島県域北東部)
神野國:
津輕國:つがる:津軽

北陸道
若狹國:わかさ:若狭
高石國:
角鹿國:つぬが:角鹿:越前国南西部:のちの敦賀?
雁歸國:かが?:加賀?
乘戶國:のと:能登
雁來國:
三方國:
江沼國:えぬま:江沼:加賀国
羽咋國:はくい:羽咋:能登国南部
躬蚊國:
樁場國:
寒門國:さど?:佐渡
出羽國:でわ:出羽
出羽上國:でわかみ:出羽上
出羽卜國:でわしも:出羽下
高瀨國:

南海道
熊野國:くまの:熊野
城居國:きい:紀伊
淡道國:あわじ:淡路
粟葉國:あわ:阿波
狹長國:なが?:長?:阿波国南部
狹貫國:さぬき:讃岐
居好國:いよ:伊予
州見國:くみ?:久味?:伊予国中部
小市國:おち:小市:伊予国東部
風速國:かぜはや:風速:伊予国中部
遠狹國:とさ:土佐


西海道
豐前國:ぶぜん:豊前
菟狹國:うさ:宇佐
豐後國:ぶんご:豊後
伍通國:いと:伊都
旻方國:
築石前國:つくしぜん?:筑紫前
築石後國:つくしご?:筑紫後
松浦國:まつうら:松浦:(肥前国北部)魏志倭人伝の末盧
松津國::松津(肥前国東部?)
火前國:ひぜん:肥前
火後國:ひご:肥後
吾田國:あた?:飽田(肥後国)
日向國:ひゅうが:日向
大隅國:おおすみ:大隅
狹第國:さつま?:薩摩?
如城國:いき:壱岐
津嶋國:つしま:対馬

山陽道
明石國:あかし:明石
針間國:はりま:播磨
黃蕨縣國:きびのあがた:吉備県
黃蕨穴國:きびあな:吉備穴
黃蕨風國:きびのほむち:吉備風
飽饒國:あき?:安芸
葉莖國:はくき:波久岐:周防国北部
窠訇:すおう:周防:周防国東部
縑脫國:
穴門國:あなと:穴門:長門国西部


西山道
谿心國:
二間國:
見坂國:みまさか:美作
大伯國:たいはく:大伯
上道國::備前国北部
三野國::備前国北西部
下道國::備中国北部
第谷國:


山陰道
谿羽國:たんば:丹波
谿間國:たじま:但馬
稻葉國:いなば:因幡
帚樹國:ほうき:伯耆
出雲國:いずも:出雲
漢置國:おき:隠岐
石見國:いわみ:石見
一方國:
笠臣國:

2017.04.13追記
20170413-2.JPG

20170413-1.JPG
クリックすると拡大表示。
上の図は「最新版 角川 新版 日本史辞典」の「古代日本要図」2007年 第5版から。
これで少し位置は判明しましたが、まだ全然でてこない国もあります。

この辞典の第5版は、項目が1万6000項目ほどあり、初版発行後2000年11月に旧石器遺跡の捏造が発覚し、それに関する項目を2004年に修正を施したとあります。

全体のページ数1470ぐらいに対して、付録が充実していて340ページほどあります。
干支順位表
方位・時刻表
年中行事表
天皇表
院政表
摂政・関白表
女院表
官職唐名・和名対照表
諸家系図
琉球王統略系図
朝鮮三国王統図
渤海(大氏)系図
国郡県表
日記表
仏教宗派表
新宗教表
歴史的計量表(度量衡表)
名数表
公家官制表

などなど古代から現代まであります。

おもしろそうと思ったのが「日記表」です。
838年頃の「入唐求法巡行記」にはじまり、1868年明治の「静寛院宮御日記」まで、かぞえきれないほどあります。

「先代旧事本紀 大成経」を撮影したもの [神社・神話]

こちらで「先代旧事本紀 大成経」を撮影したものが見られます。
ありがたいことです。
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0257-004701

【正部】三十八卷。

目録(目次)が38コマからはじまります。そこまでは序文とか追加の文。

31コマには
臣秦の大連河勝謹て白・・・
天皇三十年秋九月望也
延宝七巳未季秋九月日
江戸室町三丁目戸嶋惣兵衛刊行

35コマ
豊受皇太神官神主
注進可早注次第上奏破却於偽書先代旧事本紀大成経新刊之?板間之?
(新刊の先代旧事本紀大成経は偽書だからなるべくはやく破却を上奏されるよう注進いたします?)

36コマ
大内人正六位上度会神主氏種
延宝九年六月十日

神主の大内氏種が注進?
延宝は1673年から。
江戸時代で霊元天皇の時代。

60コマには
九社大神の祭
五瀬大神(いせ)があります。
「五」は「いつつ」と読むことから字をあててますね。

先代旧事本紀大成経 伊勢神宮と、宇佐神宮がのってないー>日本会議へ [神社・神話]

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sendaikuji/taisei.htm
先代舊事本紀大成經七十一に、神社本紀という神社リストがあります。
これをみると最初に書かれているのは三輪大社、次に古降大社で、最後に「通計一百三十有四國,都和二百十有三社。內,三神社號闕」と書かれています。
「號」は号。
「闕」は欠けているという意味です。
風速國一神、第谷國一神は號闕とあるから、欠けている。
このリストを数えてみると、134国、199社でした。

国の数は一致しているけど、14社数が合いません。
羽咋国、出羽国、城居国、淡道国、粟葉国、火後国、飽饒國については二神または三神とあるところ、いずれもひとつ足りない。でプラス7しても206社、7社差がある。
欠けている3社を足しても209社。4社足りない。
熊野國二神とあるけど3つ書かれていて、洲石國一神とあるけれど2つ書かれている。射甚國一神も2つ。

ざっとみたところ、伊勢神宮と、宇佐神宮は記載されていません。
伊勢神宮の創建は内宮:垂仁天皇(第11代天皇)26年で、外宮:雄略天皇(第21代天皇)22年。
西暦でいう年号がはっきりしていない時代です。
wikipediaによると(904年~906年)以前には先代旧事本紀は書かれているということですから、この2社が書かれていないのはおかしいですね。
「先代旧事本紀大成経」は聖徳太子によって編纂されたとあるので、622年までに作られている。
伊勢神宮と、宇佐神宮は今と名前が違うんでしょうか。

(追記)
伊勢神宮ありました。
・伍瀨國三神:雲樁神社、菟道神宮、豐受神宮
豊受神宮が載っていました。これが伊勢の下宮ですね。

宇佐神社ありました。
豐前國一神:速艫神社
菟狹國一神:菟狹神社
豐後國一神:椎原神社
豊前と豊後にはさまれた菟狹。これが宇佐ですね。
(追記ここまで)

「伊勢神宮も秦氏が関係している」
http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11474323724.html
秦氏は渡来人であるのに、日本に神社を数多く建立しています。
宇佐八幡宮や伏見稲荷大社のみならず、松尾大社、金刀比羅宮、白山神社、日吉大社、諏訪大社、宗像大社、愛宕神社などもそうです。
そして、神社の頂点ともいえる伊勢神宮の創建にも秦氏が関わっていたのです。
伊勢神宮は、元々現在の場所にはなく、最初に祀られた場所は笠縫(かさぬい)神社のある所でした。
現在は、祠しか残っていないそうですが、建っている場所は奈良の秦楽寺(じんらくじ)の境内になっています。
ここは、古代から雅楽の拠点であり、秦氏の氏寺でもありました。
伊勢神宮は、伊勢に鎮座するまでに全国各地を転々と移動して来ましたが、元伊勢の創建にも秦氏が深く関わっていた事が分かります。
イスラエルとはイセラエルのことで、古代ヘブライ語で「 栄光なる伊勢」という意味だそうです。
イエスキリストを「イサ」と呼ぶ国もあるそうです。
伊勢神宮は、内宮に天照大神を祀っていますが、伊勢神宮の創建に秦氏が関わっている以上、天照大神も秦氏と無関係ではないでしょう。
余談ですが、秦氏の建立した広隆寺には弥勒菩薩があります。
国宝の第一号に指定されたお方です。
こちらの写真のキリストと弥勒菩薩の手のしぐさを見比べて下さい。
全く同じですね。
このポーズは中央アジアのキリスト教関連の遺跡でも見られるもので、当地の原始キリスト教徒やネストリウス派キリスト教徒が描いた宗教画の中でイエスがとっているポーズで、三位一体を象徴するポーズだと言われています。
広隆寺の弥勒菩薩が同じポーズをとっているということは、イエス・キリストが仏教の神々の中に組み込まれ、弥勒菩薩として信仰されるようになった結果とも考えられます。
広隆寺は仏教以外の宗教の寺院として建立され、後に仏教寺院に改変されたとする説は、かなりの信憑性をもって語り継がれている事実です。
仏教において弥勒とは“未来における救世主”を意味し、弥勒が下生することで犯罪・天災・戦乱のない至福の世界が訪れるとされ、キリストの再臨により地上に至福の「千年王国」が訪れるとする聖書の教えにそっくりなのです。
日本に伝来した大乗仏教そのものがキリスト教(原始キリスト教)の影響で成立したという説があり、現在ではかなりの信憑性が認められています。

なんと伊勢神宮、宇佐八幡宮や伏見稲荷大社のみならず、松尾大社、金刀比羅宮、白山神社、日吉大社、諏訪大社、宗像大社、愛宕神社などが秦氏の建立だったとは!!!
だからここにのっていないのですね。

伊勢神宮が日本の第一の神社とされ、
宇佐神宮は全国に4万社あまりある八幡様の総本宮で、
伏見稲荷が全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社で、
香川県琴平町の金刀比羅宮が全国に約600社ある金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)の総本宮となっている。

そして伊勢参り、金比羅参りという住民を煽動するキャンペーンの数々。
そして神社本庁が動かす日本会議。
ということは、彼らは今も権力をにぎっているということ。

だから「先代旧事本紀大成経」は偽書というレッテルを貼られている。

「秦氏の謎」
http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11472938020.html
「新撰姓氏録」によると、太古の日本に海を渡りやって来た大集団が記録されていた。
「弓月国(カザフスタン付近)の王が19万431人の民を引き連れて日本にやって来た」とある。
彼らの名は秦氏。
仁徳天皇に、秦氏は絹などのシルクロードの交易品を献上したという。
秦氏の中心的人物が、秦 河勝だった。
彼は、聖徳太子の側近として太子の功績に大きな影響を与えたという。
秦氏が本拠地としたのが京都。
広隆寺は、聖徳太子の為に秦氏が建立したものである。

コメントから
最近知ったのですが、飛鳥昭雄氏によると、秦河勝が聖徳太子自身の正体であり、また、小野妹子 ・蘇我馬子も別名ではないかと飛鳥昭雄氏は著書に書かれておりましたよ。 歴史を調べると調べるほどに、頭がごちゃごちゃになっているこの頃です。

いやらしい話ですが、団体としてまとめているからには必ず会員料みたいなものをとっているだろうと思ったらやっぱりそうでした。
国連や、IMF、世界銀行、ユニセフ、ユネスコなど世界機関と同様で、団体を組織し、お金を集め、上前を頂戴する。
やはりとってもユダヤ的なお金儲けです。
ひたいに汗して労働することを好まず、寄生的なことを行なってお金を得ようとする特徴があると。
「新聞とユダヤ人」に指摘されている通りです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/神社本庁
全国の傘下の神社で得られる神宮大麻(天照大御神の札)の初穂料のうち、半分が神社本庁の収入とされる。残りの半分は伊勢神宮の収入となる[24]。これによる2001年(平成13年)度の神社本庁の収入は約35億円だった[24]。なお、神社本庁は傘下の神社に対し、一定数の神宮大麻の頒布を求めており、規定数に達しない場合も傘下の神社は札を返さない、と週刊ダイヤモンドは報じている[24]。神社本庁は、神宮大麻の頒布を活動目的の一つとしている[25]。

「神社本庁傘下の各末社は神社本庁に上納金みたいなのを納めているのですか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1456395179
氏子が100戸以下の神社で、3万円前後です。
明治神宮だと数千万円になるらしく、金額に関して神社庁と対立。離脱する騒ぎになってましたね。

「神社庁からの脱退を考える(-_-)ウーム」
https://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/38575681.html
簡単に言うと、神社界の総元締めみたいな存在です。ウチの神社も傘下に入ってるわけです。 神社負担金を納めています。神職さん同士の組合組織をイメージすれば分かり易いかもしれません。
ところで、各都道府県の神社庁のトップの方々や職員の給与は、我々の「神社負担金」などからも支出されています。
そして、これといって「減給や罰則」がありません。
しかも、人事の面では、かなり保守的な組織です。

「神職の年収」
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1340187045
151 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/12/13(木) 07:00:12.64
本庁に属しているメリットは、神宮大麻を頒布させて頂ける。
遷宮の募財をさせて頂ける。
我慢強くなれる(研修を受けても中々袴の色を変えて貰えない)
全国約2万人の同業者からあなたは正しい神職だと認められる(本庁傘下のみ通用)
毎年、負担金を支払うのと交換に、幣帛料が頂ける。
神道政治連盟に自動的に加入出来る
日本会議(新興宗教との連携右系団体)の構成員になれる
神社の由緒とは関係無い、戦後設立の60余年の神社本庁の加入メリット。

176 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/21(金) 22:53:14.06
>>174 >>175 明治以前からの歴とした社家は世襲社家 >>158は世襲社家の分家筋だから世襲社家筋の家系 明治以後に旧士族などが府県社などに神官として派遣されて神職を世襲した家系は維新後新社家 戦後に養成機関を卒業して、別表神社に就職して、そこから別の民社の宮司になって神職を世襲した家系は戦後新社家
社家の相続者ではない次男や三男などが、実家とは別の神社の宮司になって神職を世襲した家系を新分社家
世襲社家や世襲社家筋の家系は在来種、近年の神社界で権力を掌握しているのは、維新後新社家・戦後新社家・新分社家の外来種、ブルーギルやブラックバスみたいなもの

198 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/22(土) 23:08:53.15
>>197 おいおい、「民社の世襲社家」だなんて…いい加減に薩長の刷り込み=洗脳教育から自由になっておくれよ。 地域の鎮守社に、本来は神職なんていなかった(要らなかった)んだよ。 その土地の方たち自身の手で廻りもちで潔斎して、神主を務めていた。それぞれの地域の作法でお祀りして。(これを「年神主(としかんぬし)」という。) それをブッ壊して、日本全国をくまなく線引きして氏子地域を勝手に決め、全神社にサラリーマン神職を派遣して統一祭式を押し付けたのが、薩長軍事政権とそれに連なる現在の神社本庁教=キリスト教式のエセ一神教。 そろそろ、こんなバカげた仕組みをひっくり返して、それぞれの地域の住民が自分たちの鎮守さんを取り返して、血の通った神さんとのおつきあいを復活させる時がきていると思うんだ。

199 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/24(月) 07:25:35.28
>>198 民社は奈良・平安以来の世襲社家で持っていたが、神仏習合や没落したりして江戸時代には少なくなっていたが、それでも存続していた家系はあった 明治になって神仏分離で別当寺の手から離れた神社、没落して神職が不在の神社、藩閥政府に目をつけられて神職が追放された神社に、藩閥政府の息のかかった旧士族などを神官に仕立てて入れた

206 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/25(火) 15:45:42.82
そして新社家と新平民(穢多・非人)とは多く出自を共有している。


208 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/25(火) 19:34:41.87
まあ、それ以外に多い事例として、神仏習合どころかれっきとした寺だったのを、薩長土人がムリヤリ神社に改変したとこに新社家を置いたのがテンコモリなんだよな。 大宰府天満宮(←天台宗安楽寺延壽王院門跡) 石清水八幡宮寺(真言宗東寺末。「宮司」はツネキヨで四代目。本当の別当家(新善法寺=菊王路家)は薩長の政策に抗して犬神人あがりの田中家によって追放される。) 鶴岡八幡宮寺(天皇御筆の「八幡宮寺」の勅額の「寺」の部分を、薩長エッタがノコギリでギコギコ切り落とし…。) 熊野那智大社(←熊野那智大権現。神職はおらず。) …等々。祗園・感神院(比叡山末。現在のいわゆる八坂神社。)などは言うに及ばず。 …長野の善光寺まで「善光神社」にされかけていたのだから、本当に恐ろしい。 (当時の善光寺上人さまであらせられた伏見宮誓圓尼公さまが「非道の薩長の輩に神佛を語ること能わず。退散すべし。南無阿弥陀佛」と身を挺してお守りになられたから、寺として存続した。)

209 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/25(火) 20:33:28.95
光格天皇は御即位前は僧侶兼山伏で、聖護院御門跡でした。 「修験道禁止令」なるものを出して山伏を弾圧した薩長穢多政府の新興宗教が、如何に御皇室の伝統を踏みにじるものであったのかを語る好例です。

212 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/26(水) 09:44:58.31
>>211 「こじつけ」は神社本庁側の言い分 統一祭式は、古社の独立性とその伝統の継承を否定して、国家神道体制下でヒエラルキー的関係に再編するための方便

233 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/05(土) 05:30:15.06
祟り神・伊勢社の内宮便所に隣接する足神さん(宇治神社)行ってみ。 薩長政権にムリヤリ挽き潰された二十五柱の土地神さんたちが封印されとるで。 この祭祀歪曲こそ恐ろしいで。

http://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/ise/ise.htm
一方、1531年に警護の的矢氏が九鬼浄隆に滅ぼされ、伊雑の神戸は九鬼氏に横領される。 このことにより伊雑宮は経済的基盤を失って没落していくことになる。 社会が安定してくると、伊雑宮は再興の訴えを度々起こす。その請願活動の中で、伊雑宮の重要性を強調するために、1646年には「伊勢三宮」という表現で内宮や外宮と同格であることを主張し始め、1658年には、ついに、伊雑は内宮の本家という主張を行なっている。
六芒星の石灯籠とは、伊雑宮前の道路や内宮前の道路に建っている石灯籠のことであり、六芒星のマークが彫られている。六芒星は籠目紋(カゴメモン)とも言われるものである。 なぜ、カゴメ紋なのかは不明であるが、一説には、伊雑宮の本来の神紋がカゴメ紋であるためといわれている。
私は、天智・天武天皇の時代に、神代文字の破棄と焚書と歴史の書き換えがあったと考えており、その裏で秦氏が関わっていたと考えている。この秦氏こそ渡来してきたユダヤ系氏族である可能性が高いので、天武天皇が行なった伊勢神宮の創生に秦氏の持っていたユダヤの文化が入っていても不思議ではない。

一部の日ユ同祖論者は、次のように主張している。 近く、伊雑宮が内宮と外宮と同列に扱われるときがくる。そのとき、熱田神宮から伊雑宮に草薙剣(クサナギノツルギ)が戻される。この草薙剣は旧約聖書のアロンの杖である。一方、外宮には、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)ではなく、籠神社の眞名井(マナイ)神社から移されたマナの壺が隠されていいる。さらに、内宮の八咫鏡(ヤタノカガミ)は、モーセの十戒石版であり、これで、伊勢神宮に旧約聖書の3種の神器が揃う。これらが、本神輿つまりアークに入れられてイスラエルに運ばれるとき、救世主が現れる。 そして、その救世主こそ、天照大神であり、イエス・キリストであるというのだ。 なんとも、荒唐無稽な話ではあるが、私は日ユ同祖論自体には捨てられないものがあると考えている。
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