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門衛としての教師/偽装の「真実」「現実」を吹き込む [子育て]

「竜であり蛇であるわれらが神々 下」デーヴィッド・アイクより抜粋

P.433
門衛としての教師/偽装の「真実」「現実」を吹き込む

イルミナティのアジェンダにとってきわめて重要なのは、門衛たちが自分は何をしているのか全く知らないまま、「大儀なるもの」に尽くすことである。その端的な例としては、教師、ジャーナリスト、医師、精神科医、政治家、科学者、銀行員といった「専門家」クラスに勝る存在はない。むろん中には例外もいて、偉大で、ときに勇敢なそれらの専門家は、真相を知り、その上でシステムが強いる影の内側で自分のできることをしようとする。だが私がここで取り上げるのは、例外(はみ出しもの)が超えてはならない一般的ルールである。「教育」システムの出現は、人間社会の前進を示す大きな一歩として歓迎されてきた。だがそれはインターネットのようにもろ刃の剣であり、教化洗脳と書かれた片刃は、啓発啓蒙と書かれたもう一方の刃より格段に鋭かった。確かに「教育」とは、こどもたちが一定のレベルまで読み書き計算を身につけることであり、根本的には好ましいことである。だが「教育」システムとは、操作するものの夢なのである。もし、あなたの望む通りの方向で物事を考え、あなたの計画にふさわしい世界観を持つ大人を作り出そうと思えば、どういうやり方が理想的だろう?まだ幼い3、4歳のうちに彼らを確保し、彼らが週に5日受ける教育をその子供時代を通じて、ときには20代に入っても支配することではないか。教化ににこれほど優れた仕組みは望めないだろう。そして、それが実際に行われている。アルベルト・アインシュタインは「私の学習を妨げた唯一のものは私の教育だ」と言っている。私たちは教育など受けていない。信念体系(システム)ーそれもマトリックスのーを教化されているのだ。教師は伸び盛りの頭脳の門衛となって現実とは何か、歴史とは何か、正しいのは、間違っているのは何かを教える。そしてこれらの教師は自分たちがそういうことをしているとは露ほども思っていない。

教師がどのように生み出されるか考えてみるがいい。まず学校や大学の試験で優秀でなくてはならない。もっと率直に言えばシステム流の真実と現実を吸収するスポンジであらねばならず、それらを試験の答案用紙に正確に表現できなくてはならない。それから教員養成専門の大学に行き、自分たちにプログラムされてきたのと同じ「真実」と「現実」で子供達を教化する方法を習うのだ。ちなみに同じように学校や大学で優れたスポンジとなり、条件付けの度合いを調べるシステムの試験に通って初めて、医師、科学者、ジャーナリスト、(たいていは政治家も)になるべく勉強する資格が得られる。システムの試験に合格するのが得意な人たちは単に自分の教化レベルを確認しているだけであり、その心理的独房は、大半の人の内部で無性なままに肉体的生涯を終えるのだ。自分で調べ、一人で考え、疑問を抱き、吹き込まれた「規範」とは異なる現実を言い出す子供(若者)は試験に合格せず、「教室の破壊的勢力」と呼ばれる。彼らが難問をぶつけてくるのかって?そのとおり、いい気味だ。政治学、歴史、銀行経営、商取引、科学、そのほかのすべてで、若者が教わっていることの多くはたわごとだと証明できるものだ。だがイルミナティはそれを信じ込ませたいのであり、肝心なのはそこのところだ。教師はカリキュラムなどというものに従って教えるが、その言葉はアイク用語翻訳辞書によると、「イルミナティ版一般大衆に信じ込ませたい現実」という意味である。これは「教育」ピラミッドのトップによって決定され、下位層すべてに押し付けられる。教師はこのカリキュラムに従うか、さもなければほかの仕事を探すしかない。この方法で、彼ら「専門家」階級はすべて制御されており、おらゆる反逆分子は排除される。教師は教えるように言われたことを教える。ジャーナリストは編集長に支持された範囲内で記事を書く。編集長は社主に支持された範囲内で編集する。科学者は公認の「科学」の領域内における現実及び可能性の一種を述べる。医師は医学界の厳しい指示内で外科的または薬物療法を患者に施す、さもなければ、さもなければ、さもなければ。どこを見てもそういう状況が蔓延している。トップにいるわずかな人間が指令を出し、残りは言われたことをやる。それはこのピラミッドのずっと下方の教師と生徒の関係でも同じだ。子供達は人生のごく早い段階で、耳にしたことに疑問を抱かずにただ受け入れていれば、人生はかなり扱いやすいということを知るのだ。

私はまだ幼い時に、学校とは、明日のクローン人間が磨かれ、生み出される場所だと本能的に知った。つまり最初から反逆分子だったわけだ。学校の試験の主なものに合格したことは一度もないし(受けたこともない)、大学や専門学校に通ったこともなく、勉強はすべて自分なりに時間や条件を決めてやってきた。教師という存在はイルミナティにとって、とりわけ重要な門衛である。というのも私の経験からすると、圧倒的大多数の教師は、広大な世界について驚くほど何も知らされていないからだ。大半の教師が知っているのは、知らせても良い調整済みのことにすぎない。見聞の広い教師、ジャーナリスト、科学者、医師、政治家などは、マトリックスに最も不要の存在なのである。現実に何が起きているかを知っていることは、優れたキャリア戦略とは言えない。システムは教化用マシンであると知らされ、そうだとはっきり理解している教師がシステムに反抗したらどうなるのか、教えてくれるはずだ。この「教育」システムは手入れの行き届いたベルトコンベヤーで、ベルトの一方の端で無垢な頭脳を吸い込むと、もう一方の端からプロフラム化された大人を輩出していく。中には独自の思考過程を損なわずに生き延びるものもいるが、それはめったにないことである。残りの人間にとって唯一の望みは、彼らを「教育」した教化洗脳から彼ら自身を離脱させながら大人としての人生を送ることだ。アメリカ合衆国や世界のほかの国々では、家庭ですでに自分の子供を教化している親が第2、第3の仕事につき、貯蓄をし、倹約して、我が子が間違いなく専門学校や大学でよい「教化」を受けられるようにしている。あらゆる人間があらゆる人間を教化しようと自分の役目を果たすに連れ、車輪は果てしなく回って彼らをいつまでもおりの中にとどめおく。その仕組みは見事としかいいようのないほどに作られており、彼らは純粋に自分たちの子供に最善を尽くしていると信じているのである。

**********抜粋ここまで

自分自身も50年近く学校教育というものを信じていました。
よく勉強して偏差値の高い学校に行くことが価値があることだと。
でも習ったことは言ってみれば高度なドリルができるようになっただけであって、自分で考えるようには全然なっていなかったと思う。
考えているつもりで、それはドリルの範囲内でしかなかったなと。

歴史を日本史と世界史に分けられているのも、彼らのやり方なのですよね。
分けずに一緒に学べば、日本が鎖国をしていて開国を迫られている時に、中国も朝鮮も同じように鎖国をしており開国を迫られていることをしれば、敵が誰か容易にわかるのに。
日本史と世界史と分けることで歴史をわかりにくくさせているのですよね。
でもそれを先生が自分の判断で一緒に教えると学校からはつまみ出される。
決められた通りにおしえなければならない。

繰り上がりの足し算でもそうです。どうしてそうわかりにくいやりかたをすすめるのか。
どうして小学生の時数字をかける順番を決められているのか?ナンセンスなのに。
どうして学校ですでに教えられた漢字しか使ってはいけないのか。
どうして子供の名前の一覧表が漢字とかなのまじったおそろしいことになっているのか。
一年生のうちは名前はすべてひらがなで、二年生からはすべて本当の名前の通りにすれば子供達は覚えてしまうのに。
どうして先生の代わりに、子供が当番で授業の進行役を務めるのか?
いまどきの先生はこう教えましょうといわれたら、そうするものだと思ってやるようです。
こんなやり方はおかしいと思う先生もいるはずで声をあげて欲しいのですが。

幼稚園では筍の絵を描きましょうとなったら、みんな同じような絵を描きます。自分はこんなの描きたくないとか違うものを描きたいとかは許されないのですよね。
そして幼稚園の出し物では、白雪姫が同時に五人、王子様が同時に五人といった、おそるべき平等主義によってとんでもない劇になり、小学校の音楽会ではどの曲に対してもたくさんの楽器を使います。
どんな曲でも、大太鼓、小太鼓、ピアニカ、リコーダー、カスタネットなどたくさんの楽器を使用します。
心を揺すぶられる音楽とは程遠いおそるべき「合奏」がなされます。
音楽って、曲によって使用する楽器は異なるだろうと思うのですが。
「がんばったね」としかいいようのない恐ろしい音色。

学校現場では恐ろしいことがすすめられています。

夜遅くまでの塾通い [子育て]

私は今は子供を学習塾にはやらせてません。
九九がしっかりできてなかった時は、数年だけ公文に通わせましたがそれだけです。
というのも、学校にいったり、部活をやるだけで、子供はかなり疲れていると思うのですよね。
でもまわりがやっているからと、遅くまで塾にやったりするのは、かわいそうすぎると思うのです。
私だったら気持ちが擦り切れるなと思うのです。

たぶん親は良い大学にいかないと将来大変になると思って行かせているんでしょうが、勉強する子は家でもするし、しない子は塾に行ってもしないし。

競争を煽られている気がするのですよね。
塾は人を集めたいから、基本的には不安を煽るやりかたをする。
みんな流されているんじゃないかなと。

外が明るいうちに家に帰る。
これだけでもどれほど幸せなことか。

大学に入ってからも使わない、一生使わない受験でしか使わない知識をただ詰め込む。
センター試験の内容を変えれば、とても有意義なものになりそうですが。

ドラマの「就活家族」を見ましたが、これはとてもよくできていて、面白かったです。
有名大学でないと、エントリーさえ受け付けてもらえないのですね。

塾に行かせてくれたらよかったのに、なんて言われる日が来るのでしょうか。
でもなあ。

不登校は甘い物が原因かも [子育て]

不登校は甘い物が原因
http://remedy.noor.jp/?p=31

**********引用初め
一番最初に気付いたのは
「甘いものは精神疾患に関係ある。」
という事でした。
「食事と心」
今回はこの事について書いていきたいと思います。
「甘いもの」が「心」に関係する。
と話すと、多くの人が驚き、ほとんどの人が信じません。中には怒る人もいます。
でも、これは事実です。
甘いもの(糖質)の過剰摂取は血糖値を不安定にし、体内の大切なミネラルやビタミンの欠乏を起こし、その結果、精神不安定や気力のなさを引き起こします。
私の手元には不登校やひきこもりで学校に通えず、家でほとんどの時間を過ごす子どもたちの血液検査データがあります。
その子どもたちに共通することは
○血糖値調節障害(低血糖症)
○栄養欠乏
です。本当に同じような数値になるのが、見ていても驚いてしまうくらいなのです。
ではなぜ、これらが精神的な不定愁訴に結びつき、学校に行きたくないという事になってしまうのか。
**********引用終わり

そういえば前にうつと甘い物とは関係があるという本を読んで、そのときに不登校もそうであると読んだのに、すっかり忘れていました。
夏休みに大量にお菓子をもらい、カルピス5本セットをもらい、アクエリアスを何本ももらい、
ふだんあまりたべないものを毎日大量に食べたり飲んだりしていました。
普段はジュース類はまったく飲まないようにしているのに。
甘い食べ物だけでなく、ジュース類も血糖値が急激にあがってよくないんだとか。

お菓子やジュースばかりほしがり、娘はここ最近ごはんをしっかり食べていなかったことにきづきました。
甘い物は週末だけに、心を鬼にしてがんばらねば。

無理矢理幼稚園に連れて行くのはアリなのか [子育て]

幼稚園にいきたくない娘を無理矢理引っ張ってつれていきましたが、
ほんとにこれでいいのかな。
心に傷がつかないかな。
人を無理矢理力で動かしていいんだということを学ばないかな。

自分だったら、いきたくないところに無理矢理連れて行かれるのはいやだな。
幼稚園の先生も、保育園の先生も、泣いている子をつれてきてくれたら、あとは面倒見ます、OKですと言ってくれるけど、10分もすればあきらめて、泣き止んで、楽しく遊んだりするそう。
まわりのお母さんもそういうけど、ほんとにいいのかな。

幼稚園からずっと不登校で、小学校も中学校もいかなかったらと思うとおそろしいし、
今は休んでてもさすがに1、2週間もすればいくのではないかと思うけど、甘いかな。

無理矢理連れて行くのを続けていたら、そのうちあきらめておとなしくいくようになると思うけど、
たぶん去勢された動物のようになっちゃうのではないかと恐ろしい。
小学校、中学校、高校とおとなしく学校に行って、40歳ぐらいにバーンと爆発するかも。

そんなこと幼稚園の先生はしったこっちゃないし。

あたたかーく接してあげていれば、そのうちいくのではと思うけどなー。

娘がいやがっても主人がどうしても連れて行きたいようなので、連れて行ったけど、
自分一人なら休ませてたな。かわいそうだから。

幼稚園でお休みするぶんは、別にかまわないところもあるけど、
小学校とかでそういうことになったらと思うと、とても恐ろしい。

とっぴに感じるかもしれないけど、お菓子の食べ過ぎがあるかもしれない。
私はお菓子を食べ過ぎると、何も家事をしたくないくらい、無気力になることがある。
それかもしれないな。

子供が走るのを禁じるママ [子育て]

子供を幼稚園に送り迎えしているのですが、
子供が道で走るのを禁じてて、子供が走り出すと「○○ちゃんとまってー」などと、
自分の子供だけでなくうちの子にまで言うママがいて、困っています。

交通量は多くなく、住宅街の中の道なので、大丈夫なのですがね。
ほとんど車は通らないし。
スーパーとか人が多いところじゃないし、全く走っても大丈夫なところなのですが。

こどもって健康なら自然に走り出す。
そんなもんだと思うのですが。
それを走るのを禁じていると、走る能力はつかない。
子供にもストレスがたまります。

親からみえないところにいってはいけない。
横断歩道のまえまできたら、とまって親を待つ。
道が交差しているところではいったんとまる。
それをあらかじめ注意しておけばいいとおもうのですが。

その子の走るのをみていると、運動不足のせいか、走る能力ができていなくて、
入院してた子供のような、筋肉も骨も体自体がしっかりしていない印象をうけます。

最近のおかあさんは、子供をほとんど公園にもつれていかないから、
すごく子供は運動不足。
子供がかわいそうです。
なるべく毎日外で遊ばせないとね。

自分の子供にけがをさせたくなくて注意するのはかまわないけど、
うちの子はほおっておいてほしい。

ジャングルジムもうちの子はかなりうえまで、いけるけど、
そのうちの子は、ジャングルジムも2段までぐらいしか上ってはいけないといわれているから、
すごく不満そうです。

登りたい気はあるのに、かわいそうです。

でもそのママは私のことを放任して何も注意しないママだと思っているんだろうな。




お父さんのシャツにアイロンをかける小5 [子育て]

子どもたちに、お手伝いをするとお金を上げることにしました。
皿洗い、せんたくものたたみなど、1回1回カウントします。
すればするほどおこづかいが増える仕組み。
1回10円です。

小5のおにいちゃんが、すごくお金が欲しいみたいで、
せっせと手伝ってくれます。

なんとここ3週間ぐらい、夕食の皿洗い全部やってくれています。
洗濯物もたたんでくれるし、夫のシャツのアイロンまでかけてくれるし、(できるんだ!)
私はこうやってブログ書いたりできるわけです。

小2の子はあんまりやらないものの、掃除機をかけるときもあって、
「できるんだ」
なんておどろきました。

子どもにはできないとばかり思って、自分で全部やっていたから、毎日夕方からはすごく忙しかったのですが、
とても楽になりました。

子どもにも家事のスキルがつくし、一石二鳥です。

子どもがお手伝いしてくれるお母さんて、とても子育て上手ぽいわーなんて。
実際は子育て上手とはいかないわけですが。

ありがたいことです。

「カルトの子」は育児書ではないけれど [子育て]

米本和広著「カルトの子」は、育児書ではないけれど、
育児についていろいろ考えさせられた。

親から引き離され、教義に反したことをすると破滅すると教えられ、育った子どもたち。
その子たちの環境は不幸そうに思える。

うちの子はどうだろう。
いっしょに暮らしているけど、幸せだろうか。

十年以上も幼児と一緒で、だんだん疲れてきて、子どもがなにか言ってきても、
「今忙しい」
「今疲れている」
「自分でやって」
そんなことを錦の御旗のようにかかげて後回しにしてきたけど、
疲れてても、子どもを傷つけないように少しは努力しないといけないなと思えてきた。

それでこのあいだから、せっせと午前に午後に公園に連れて行ったり、
休日には主人がまだ寝ているときに、公園につれていったりと努力するようになってきた。

こどもの幸せってなんなのか。
もっと子どもの気持ちを大切にしてあげたいなと思えるようになった。

そうはいっても、公園から帰ってきて、さてゆっくり休憩したいと思っても、
「読んで」って本を持ってこられると、「一緒に公園に連れて行ってあげたやん」って
ああしんどいなって思う。

カルトに入った人たちというのは、たいがいまじめに生き方を考えているひとだそうである。
チャラチャラと不真面目に遊んでいる人は、そんなのにははいらないよな。

たいがいは昼間家にいる子育て専業主婦が勧誘にあって、はまり、
主人を巻き込んで一緒にはいるか、離婚するか、しているそうである。

その専業主婦も説明に「主人の帰りの遅い専業主婦が」となっているのである。

この一文にうっときました。
ひとりで子育てのこといろいろと悩んでいるのである。
子どもたちとだけ一日の大半をすごす。
晩ご飯食べて、お風呂にはいって、歯を磨いてやって、寝かせて、ずっとこどもと自分一人である。
そして深夜に疲れきった旦那が帰ってくる。

主人の帰りが遅いのはもうどうしようもないこととして、あきらめているけど、
ほんとうはこれは異常な状態だと思っている。

でも「転職して帰りが早くなったらそれでいいのか」と聞かれると、
転職ー>給料減である。路頭に迷う。とても恐ろしい。転職してほしくはないのである。

帰りが遅いのはしょうがない、主人だってがんばってくれているんだから。

話が脱線してしまったけれど、この本を読んでどの育児書よりも効いた気がします。
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カルト的子育て? [子育て]

米本和広著「カルトの子」を読んでいろいろ考えさせられた。

自分の意志ではなく、親によって、宗教の施設に入れられて親からはなされ育てられる。
そのこと自体はもちろん問題だけど、
それよりも自分の育て方がカルトと似通っていると気づかされたこと。

本の巻末に資料として
「1998年11月三重県が実施したヤマギシ学園の児童・生徒へのアンケート」
が載っているのだが、ほとんどが
テレビを自由に見たい
ゲームをしたい
友達の家に遊びにいきたい
ここからでたい
お小遣いがほしい
買い物がしたい
おじいちゃんおばあちゃんにあいたい
服を自分で選びたい
であった。
一番多いのは、テレビを見たいというものであった。
たしかにここの子はなにも楽しいことがなくてあんまりである。

だけど、そういう規則にしたい気持ちもわかる。
私も一時期子どもたちがあまりにだらだらとテレビを見るので、テレビ禁止にしていた。
今は一日2時間程度。
ゲームもゲーム廃人にでもなったらと思って禁止していたけど、
ちょこちょこ許している。
見る番組を自由にすると、
仰天衝撃事故クラッシュナントカナントカみたいな刺激がきついものを見ている。

人が車にひかれたり、なぐられたり、火だるまになったり、飛行機がつっこんできたり
そんなのばっかりである。ここんところ毎日そればっかり。
そんなものをみてどうなるんだろう。
小学生や末っ子4歳がそんなのを見るのはよくないのではないかな。
(チャンネル変えさせました)

たいてい「大きなけがを負ったが命に別状はなかった」でしめくくられる。
命に別状がなかったら見ている方も気がらくだからだろう。
だけど、そのあと歩けなくなっても、寝たきりになっても、体の一部がなくなっても
「命に別状はなかった」になる。
当人にとっては一生を変えてしまうできごとなのに、見ている方には刺激のきついショーになってしまっている。
良質な番組はいろいろあるけど、ほとんどの番組は馬鹿番組である。
民放のほとんどの番組は見る価値のない番組である。

ゲームだってそうである。
やらなくていいもの。なのにやりたがる。
目だって悪くなるし。心の中がゲームでいっぱいになってしまう。

子どもが何かしたいと思う気持ちは大切にしたいけれど、テレビとゲームは難しい。

全く自由にして子どもへの悪影響はないだろうか。

子育て期に宗教に入る [子育て]

子育てをきっかけに宗教に入られるひとも、おられるのではないでしょうか。
独身のとき、子どもがいないときは、宗教に興味がなくても、
子育てで壁にぶち当たってなにかを探し求める。

私は片足つっこんでいました。
ひとつは天理教系のもので、宗教のことはいっさい言わずに
「子育てのことで悩みはないですか。
いっしょに子育ての講演会を聞かれませんか」
というさそいではじまりました。
最初は月に1回の講演会。
そのうち週に1回の地区の小さなお話会にさそわれるようになり、
また週1回神戸市の本部らしきところにさそわれるようにもなっていました。
子供会にもさそわれ、それは参加しなかったものの、
多いときは、週に2、3回でかけることになって、おでかけ疲れするほどでした。
しかもすべて会員さんの無料送迎つきです。
お金はいっさい払っていないので、ありがたいことではあります。
今は月に一回の講演会に時折行く程度。

子育てのときって、悩みが多いんですよね。
乳児の頃は、こっちがくたくたなのに、赤ちゃんが泣いてないて、こっちももう泣きたいぐらい。
頭がどうにかなりそうってくらい追いつめられて、
少しの間赤ちゃんをおいて、コンビニにでも行けたら、気分転換もできたかもしれないけど、
私がいない間に息ができなくなっていたら、とか思うと少しの間も留守にできなくて。

少し大きくなって、主張するようになると、
このコップはいや、このストローはいや、このざぶとんはいや、はみがきはいや、
ごはんはいや、おかしおかし、ジュースジュース。
子どもの質問に答え続けていると、自分が考えたいことがなにも考えられない。
散らかった部屋を見るとイライラするのに、片付けても片付けても、
どの部屋に行っても散らかされている。
子どもが工作するのが好きだから、ガムテープとか、セロテープとか、ナイロンひもとかじゃんじゃん
使ってしまって、使いたいときなくなってしまっている。
いいお母さんになりたいのに、いらいらいらーっとする自分が抑えられなくて、
なんて自分は悪い母親なんだって。

どうにか助けてほしいと宗教に答えが見つかればと思うんだけど、見つからない。
もっともっと自分を捨てて、家族のためにつくしましょうと言われる。
自分がしたいことができないってそんなことかんがえちゃいけないって。
主人がいごごちいいように全力を尽くせと。
主人が歯磨きするときは歯ブラシに歯磨き粉つけてあげなさい。
風呂に入ったら、背中を流して上げなさい。
自分の主張は通しちゃいけない。
そして子どもにはやさしくと。
そうすれば万事うまくいきますと。
歯ブラシも背中流すのもやってないけど、
一時期はそれに近いことをやっていて、確かにそうすれば家族は気分いいからうまくいってたけど、
自分はなにもない。
すりきれるだけ。
なにもかもがまんして、つらかった。
言っていることはそうまちがいではないんだろうけど、そうはできない。

もうひとつは朝起き会。
3回ほど行って、朝早いのに挫折。

いつもいつもおだやかで、やさしいお母さんになりたいと思っているのに、そうなれない。
難しい。

宗教もいろいろ [子育て]

エホバの証人というと、「ものみの塔」「目ざめよ」という冊子を配って布教されているとか、
子どもに輸血させなくて子どもがなくなったというようなことしか知りませんでした。

婦人公論2010年3/7号によると、
エホバの証人には「この世との交わりは控えましょう」という方針があるそうで、
子どもの部活動は原則禁止なんだそうです。
びっくりです。

取材、文は米本和広さん。
何冊か著書があります。

イスラム教徒がコーランを生活の規範としているように、
エホバの証人は「聖書」に書かれた通りの生活をしなければならない。
サタンの支配下にある腐敗したこの世との交わりはさけ、異教の影響を受けた文化・習慣は
さけなければならない。だそうです。

七夕、誕生会、節分、クリスマスなどの行事に参加できないそう。
学校には行けるけど、行事には参加できない。
漫画も読めない、テレビも音楽番組は禁止のようですね。
年賀状禁止、神社のお祭りに参加するの禁止。

宗教と言ってもいろいろあるんですね。
自らすすんで入った人はいいですが、その子どもはつらいような気がします。
楽しみがなにもないように思えます。

聖書に興味を持って話を聞いているうちにだんだん染まってきてきてしまうのでしょうか。

私が子どもにやっていることもちょっと近いかなと思ったりします。
今はテレビは1日1時間まで。
ゲームは土日に2時間程度。
添加物の入ったお菓子は土日のみ。
ときどき緩くなってしまうけど。

子どもがゲームやっていると、いつかは殺人ゲームやら、泥棒ゲームやらやるだろうし、
一日中ゲームのことが頭から離れなくなるだろうし。
自主性にまかすと、一日中テレビ見てごろごろ、うだうだやってそう。

ゲームなんて、この世からなくてもいい。
テレビもくだらないものはなくてもいい。
6月以降3ヶ月以上経つけど、自分からはほとんどみていない。

厳しすぎるのかな。
それともまっとうなのかな。
悩ましいです。

村上春樹の「IQ84」も宗教、とりわけカルトと呼ばれるものが大きなテーマになっているそうです。
まだ読んでないので、ぜひ読みたいです。