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中川の手記 [オウム真理教]

「中川の手記」
https://ameblo.jp/aiyokutensi/entry-12214043462.html
1992年末、教団はサリンの大量生産を企てました。
(中略)
責任者は故 村井秀夫氏と上祐史浩氏で、
(以下略)

「中川の手記②」
https://ameblo.jp/aiyokutensi/entry-12214294069.html
実務を担ったのは土谷であり、実験室規模でサリンの製造を試みた。
化学薬品の入手については遠藤が担当。
1993年8月、土谷は亜リン酸トリメチルを出発物質とする4段階の製法で、20gの合成に成功する。 (後に5段階の製法となる。)
同じ頃、教団は第7サティアンのサリンプラントの建設を開始。
日産2トン、合計で70トンのサリンを製造することが決定する。
数百トンの化学薬品を入手する必要があったため、新実が中心となりダミーの薬品会社を設立した。

さらっと書いてあり、中川が直接関わっていない部分であるのだが、土谷は最初の成功までに1992年12月から1993年8月までという、8か月の月日を要している。

「中川の手記③」
https://ameblo.jp/aiyokutensi/entry-12214609204.html
1993年10月から11月にかけて、中川と遠藤が土谷棟でのサリン製造にかかわるようになる。
遠藤は、ジーヴァカ棟に自分の研究施設を移す。
上祐は、ロシアでの布教に従事する事となり、サリン関係の仕事から外れた。
同年11月と12月に、土谷棟でそれぞれ約600gと約3kgのサリンが合成された。

「中川の手記④」
https://ameblo.jp/aiyokutensi/entry-12214868264.html
1994年2月、約30kgのサリンを合成する。
この量は土谷棟で製造可能な限界をはるかに越えており、最終段階の反応は第7サティアンの中に業者から借りた反応釜を仮設して行った。

地下鉄サリン事件を井上が主導したと推測できるかも? [オウム真理教]

「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」2015年 講談社

どうもオウム真理教が伝えられてきたイメージと違うような気がして、関連本を読んでいます。

サティアンで生活していた三女。
信者の方は遊んでくれたり優しかったようです。
そしてオウム真理教から距離を取り、普通に学校生活やバイト生活を送りたかったが、素性がばれると、排除されることが多くあり、悲しかったと。

そして驚いたのが、三女は小さいとき夜尿症で、毎日のように父親(麻原彰晃)のベッドに眠り込んで眠り、毎日のようにおねしょをしていたが、父親がおねしょについてお小言をいったことはなかったということです。
そして三女が父親より先に寝ていると、父親は三女をおこさないように床の上に丸まってねていることもあったと。

それから「尊師の指示だからこれこれをしなさい」と誰かが言うとき、実際には尊師はその指示を出していないことが多々あったこと。

P.276
2005年以降に死刑事件の新實智光さんや早川紀代秀さんらの接見禁止が解け、面会ができるようになった。
新實智光さんは緊張しながらも笑顔で迎えてくれた。
早川紀代秀さんは、三女の健康を気遣い、自分たちがしたことで迷惑をかけてすまないとあやまってくれた。
林泰男さんは、「結婚はしないのか。孫の顔を見せて欲しい」と言った。
端本悟さんは、「命を繋いでいってほしい」とはげました。
しかし、井上さんたちには何度も面会を申し込んだが、再会できなかった。

P.73
幼い時にインド行きの空港で遊んで以来、井上さんに好感を持っていた。
あるときから印象がかわった。井上さんは父に近づく人を邪魔にするようになった。
父が「いや、それはまずいんじゃないか?」というと、井上さんが「いえ、大丈夫です。問題はまったくありません。すでに準備も整っています」と答えます。父の「そうか。お前がやりたいなら好きにしろ」という言葉でその会話が終わります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/井上嘉浩
この他、井上と中川の主張は地下鉄サリン事件に使われたサリンの原料を誰が持っていたのかについても対立している。中川は、井上の一審判決間際に、サリン原料が井上の使っていた東京杉並のアジトで保管されていたことを暴露し、高橋克也の一審公判の中でも井上による保管の様相を詳細に語っている。井上はこれを否定し、中川が持っていたと主張している[14][15]。この食い違いについて、中川は2014年5月14日の菊地直子一審公判において、「(井上死刑囚は)過去の裁判で対立した私に対して意地になって、反対のことを言おうとしている」とした上で「井上君の言っていることは事実ではない」と証言した
このような井上と他の幹部の主張の食い違いは、中川との間のみにあるのではない。重要事件における自らの立場は補佐役にすぎなかったと主張する井上は、新實智光とはVX事件でどちらが主導的だったのかについて[14]、また、林泰男とは地下鉄サリン事件の運転手役をどちらが指名したのかについて、真っ向から対立している[18]。


https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20150430-00045208/
一連の事件の真相解明においても、村井がいないために、詰め切れない部分がある。たとえば地下鉄サリン事件。実行犯らが事前に教祖から直接指示を受けたわけではなく、村井や井上を通じて指示が出されている。井上は、村井の指示を伝達したものと述べているが、村井の話が聞けず、それを確認する術がない

地下鉄にサリンをまく話が最初に出たのは、事件の2日前の未明、都内から上九一色村の教団施設に戻る、麻原専用リムジン車内。強制捜査が迫る中、対策を話し合う中での井上発言がきっかけだった。ただ井上は、村井が地下鉄にサリンをまくことを提案し、自分はサリンの使用に消極的だったため、教祖は「サリンじゃないとダメだ。井上、お前はもういい。村井、お前が総指揮でやれ」と命じたと証言している。これが、自身の関与を薄めるための創作や脚色なのか、それとも真実なのか、これまた確認のしようがない。同乗していた幹部らも、この場面については「聞こえなかった」「寝ていた」としてはっきりした証言をしない。この時に井上がサリンの中間生成物がある、と教祖に進言したとの見方もあるが、井上はそれを否定する。

サリンやその中間生成物は、1995年1月1日付読売新聞が、教団施設周辺からサリンの副生成物が検出されたと報じた直後に、教団は慌てて分解し、すべて処分したはずだった。ところが、この作業を行った中川が、メチルホスホン酸ジフロライド(ジフロ)を分解しないまま、教団施設内に隠し持っており、それを使って急遽サリンが作られた……というのが、検察側の見立て。判決もそれを受け入れている。

ところが、当初は検察の見立てを認めていた中川が、その後、ジフロを隠していたのは井上で、教団施設外のアジトにあったと暴露した。これにより、井上の事件での役割がもっと積極的なものだったのではないか、との疑惑が持ち上がった。だが井上はこれを否定。ここも今なお未解明だ。

これを読むと、井上が主導したと言えなくもないかもしれません。
「尊師の指示だ、村井さんの指示だ」と言って、サリンをまいたと読むこともできる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/サリン
サリンの合成は、有機リン化合物合成における手法を通じて行われる。
具体的には、三塩化リンなどのリン塩化物から亜リン酸トリメチルを合成し、さらにメチルホスホン酸ジメチルを経てメチルホスホニックジクロライドとフッ化水素(HF)またはフッ化ナトリウム(NaF)を反応させることによりメチルホスホニルジフルオリドを得る。これがサリンの最終前駆体となる。
メチルホスホニルジフルオリドにイソプロピルアルコールや金属イソプロピル化物を反応させるとサリンが生成する。ただし、サリンそのものは反応性が高い上に漏洩した場合に非常に危険であることから、一般的な化学兵器砲弾や爆弾においてはメチルホスホン酸ジフルオリドとイソプロピル化合物を分離状態で同梱しておき、兵器として使用する時に混合する方法が用いられた(バイナリー方式)。イラン・イラク戦争でイラク軍が使用したのもこの方式である。オウム真理教の場合、松本サリン事件では貨物自動車を改造して設置した反応装置を用いて散布され、地下鉄サリン事件ではサリンを有機溶剤に溶解させたものを袋に密閉し、穴をあけて染み出させることによる散布が行われたとされる。
しかし、サリンは合成過程における中間生成物の段階で既に極めて毒性が高く、廃棄物もまた高い毒性を持つ。さらに生成過程で使用される化学物質は腐食性も高くガラスを腐食させるため合成は通常のフラスコなどでは行えないため高度に専門的な知識と技術と設備を持たない者が合成を試みたところで、その合成過程で負傷・死亡する危険性が高い。宗教団体オウム真理教が建造したサリン製造プラントについても、これを見た専門家は「このような溶媒が漏れる雑な装置で合成するのは無謀」と断じている。実際、事件で使用されたサリンも純度の低い比較的毒性の弱いものであった。しかし、オウム真理教に対する査察においてオウム真理教の施設からは三塩化リン・フッ化ナトリウム(メチルホスホン酸ジメチル・メチルホスホン酸ジクロライドからメチルホスホン酸ジフルオリドを合成する段階で使用)などが発見され、それまではあくまで疑惑であったオウム真理教のサリン製造を裏付ける強力な物証となった。
尚、日本ではオウム真理教以外では唯一、陸上自衛隊化学学校(さいたま市北区日進町、陸自大宮駐屯地所在)がサリンの製造・保管を行っている事が、日本共産党の塩川鉄也衆院議員の聞き取りやしんぶん赤旗の取材で明らかになっている。

http://ameblo.jp/friends-dc/entry-12214982565.html
「フッ化ナトリウムは化学兵器の原材料だった!」

https://ha-shiritai.com/fluoride/
むし歯予防に使用するフッ素とは、フッ化ナトリウム(NaF)のことです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/三塩化リン
三塩化リン(さんえんかリン)はリンの塩化物のひとつの無機化合物である[1][2][3]。毒性、腐食性を持ち、常温・常圧において液体である。水と激しく反応する。工業的に重要な化合物であり、除草剤、殺虫剤、可塑剤、油への添加剤、難燃剤の製造に使われている。還元剤であり、五塩化リンや塩化ホスホリルへと酸化される。毒物及び劇物取締法で毒物に指定されている[4]。


「ヴァジラヤーナ・サッチャ」no.9 P.160によると、三塩化リンを所持している目的は、
プラスチック容器やペットボトルなどのプラスチック製品、半導体や電子基板の製造に不可欠なものであるとしている。
オウム真理教はマハーポーシャというパソコンを販売していた。

「ヴァジラヤーナ・サッチャ」no.9 P.156
弁護士の遠藤誠氏の発言は皮肉だ。
「わたしが顧問をやっている歯科医師さんが、昨日あった電話なんですけど、「新聞発表によるそれぞれの薬、実は私の診療所に全部あります」っていうんですね。「日本全国の病院・医院・診療所だったら全部あります」と。「だから、それで地下鉄事件の犯人だといわれると、わたしも犯人になります」と言ってきたんですが」 (「朝まで生テレビ」94年4月1日放送より)


「オウム真理教に対する査察においてオウム真理教の施設からは三塩化リン・フッ化ナトリウムなどが発見され、それまではあくまで疑惑であったオウム真理教のサリン製造を裏付ける強力な物証となった。」 とありますが、サリン製造を裏付ける強力な物証とは言えなかったということですね。


「「A」撮影日誌」森達也 [オウム真理教]

1995年から13ヶ月に渡り、森達也がオウム真理教に取材をおこなった記録である。

オウムを積極的に擁護しようと言うのではない。
ただオウムが一方的に悪だとされることに疑問を持ち、中立の立場で撮影を行なっている。

信者に対する数々の不当な逮捕や、事情聴取などは、「オウムは悪」、だから彼らに何をしても良いとする、思考停止の怖さがあわられていると思った。

出家は家族が悲しむし、一般的ではないけれど、瀬戸内寂聴だって出家している。

過激な修行の数々は、それはいやだと思うし、それによって殺されてはならないと思うけれど。

中立の立場で捜査がなされていただろうか。
オウムは悪という図式の上に、違法なことも行われていたようだ。

P.172
都沢和子の脱洗脳宣言が放映された。
以前と雰囲気が違うと信者がいう。
逆洗脳という可能性もあると。
洗脳をといたというカウンセラーのアメリカの出身大学の裏は、フリーメーソンの大学である。

都沢和子(wiki)
都沢 和子(みやこざわ かずこ、1965年5月19日 - )は、オウム真理教の元幹部。
1995年10月31日に名古屋地方裁判所で懲役1年の判決。1996年3月5日に名古屋高等裁判所で控訴が棄却され、確定した。
その後教団を脱会し、苫米地英人による脱洗脳カウンセリングを受けた。

苫米地 英人(wiki)
苫米地 英人(とまべち ひでと、1959年9月7日 - )はコーチ。作家。博士(計算言語学Ph.D.、カーネギーメロン大学)

http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/690.html
1995年4月4日、オウム真理教の広報部長だった上祐史浩が外国特派員協会の会見で、オウム教の諜報省がオウム防衛組織の背景を調べた結果、少なくとも27人は元創価学会員であったと公表した。

ディビッド・ロックフェラーに運転をさせた世界でただ1人の男がいるという。
それは日本人である。
祖父は文部省から国会議員へ。
父は和光証券会長。
そして叔父は三菱の相談役。
あのロックフェラーセンタービルの買収に関わった大物人物である。

http://www.asyura2.com/tomabeti.htm
祖父は衆参両議院の議員経歴が多い。
父は和光証券会長。
叔父は三菱の相談役。
そして本人は、
 上智大学外国語学部英語学科卒(言語学科という話もある)
 三菱地所に2年間勤務
   ロックフェラービルを三菱が購入したとき、苫米地が活躍し
   ている!そして、苫米地は、今でもロックフェラーからクリ
   スマスカードが届くと自慢している。
   (ロックフェラービルは現在、ロックフェラーに戻っている)
 フルブライト奨学生として、エール大学(!)人工知能プロジェクトに参加。
 カーネギー・メロン大学(!)で哲学博士号を取得。
 帰国後、徳島大学工学部助教授。
 その後、ジャストシステム(一太郎ATOK!)の研究所所長。

 ……大企業の御曹司にして、マッドサイエンティスト。
 しかも、軍産複合体多国籍企業に完全にはまっている。