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映画:ナイロビの蜂 [Cinema]

「ナイロビの蜂」を見ました。

製薬会社が新薬の治験をアフリカで行なっており、それを告発しようとした活動家の妻と、イギリスの外交官である夫。その新薬は副作用の報告もすでにでているもの。
妻が殺害された理由を知ろうとさぐる夫。

これを見て、陰謀を企て、お金を儲けようとしている人たちは心がないんだということがよくわかりました。
同じ人間ではない。
お金儲けの邪魔をするものは容赦なく殺す。
そこに良心の呵責はない。
まったく別の生き物なんだなと。

告発しようとした人の局部を切り取りその人の口に詰めて殺す。
そのやり方は、キリスト教が異端審問で異端であるとしたものを殺したのと同じやり方です。
異端とはキリスト教の布教に反対したもの。

キリスト教を広めようとしたものと、世界を支配し利益だけを追求するNWOとは同じもの。

巨大製薬会社は、兵器会社となにもかわらないと映画では言っていました。

ビルゲイツアンドメリンダ財団では、発展途上国でワクチン配布を通じて人口削減を目的としているとか。
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2626.html

ホワイトヘルメットはやらせ [政治・社会]

ホワイトヘルメットはやらせであると聞いていましたが、はっきりした証拠映像があったんですね。

http://cumbersome.ldblog.jp/archives/11370122.html

はじめは静かにしているのに、始まりの合図があると、うめき声をあげ演技し始める。

ホワイトヘルメットはいろんな国から資金を受け取っている。

アメリカイギリスフランスデンマークドイツ、オランダ、そして日本も。

米国戦闘車両をシリア国境近くに配置 [政治・社会]

よーすけ‏ @yoshimichi0409 4月18日
実を言うと米国はヨルダンに戦闘車両を多く陸揚げしシリア国境近くに配置してるという複数の情報がある。マクマスターが15万の大軍をシリアに侵攻させるという話も出ており、朝鮮半島の緊張は一種の陽動作戦の性格もある様だ。こうした事情を安倍周辺は周知してる可能性はあると思われる。

NWOはISISを使って、シリア政府を壊そうとしていたが、ロシアの協力もあってISISがやられてしまったので、直接アメリカが乗り出すということかな。


http://inventsolitude.sblo.jp/article/175763716.html
ネット上でそんな説が流れているようですが、管理人は別の見方をしています。 北朝鮮の核開発能力、核実験の政治的狙いなどを考えたらやったとしても小規模なものでしょう。 そもそも国土の狭い国が自国領土が強く汚染されるような核実験をするはずがありません。 もし大規模地上核実験をやれば影響は日本だけではとどまりません。風向き次第ではウラジオストックや北京までプルームが飛びます。 ロシアや中国が黙っていると思いますか? そんな実験をするのは、北朝鮮が国として自爆することです。いくら北朝鮮の支配層が狂っていてもそんなことをやるでしょうか。やりそうだと見れば支配階層から海外に逃げ出すでしょう。 いろいろな考え方、見方があってよいと思いますが、ネット上の情報にはいろいろな見方があります。特定の見方に引きずられないようにしましょう。 もんもんさんのように感じている方がおられるのではないかと心配して、今朝次の記事に加筆したところです。 北朝鮮が近く核実験か? http://inventsolitude.sblo.jp/article/177145307.html

れんだいこ:四王天延孝氏のユダヤ思想研究考 [政治・社会]

上原勇作陸軍元帥は、ユダヤ陣営の人物であることは疑いの余地なし、そして、米国留学時に、フリーメーソンに入会加盟して居たことも確実であるそうな。うーむ。ほんとかな。

れんだいこさんのブログのコピー
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/shitennoshinokenkyuco.html


四王天延孝氏のユダヤ思想研究考

 (最新見直し2013.09.15日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「四王天延孝氏のユダヤ思想研究考」をものしておく。

 2013.02.19日 れんだいこ拝

【四王天延孝(しおうてん のぶたか)氏の履歴】
 1879(明治12).9.2日、前橋藩士・西村茂兵衛の弟として生まれる。川越藩士・四王天政彬の養嗣子となる。

 1897(明治30).12月、月士官候補生。
 1899(明治32).11月、陸軍士官学校(11期)卒業。

 1900(明治33).6月、工兵少尉に任官し近衛工兵大隊付となる。 

 1904(明治37).2月、清国駐屯工兵中隊付などを経て日露戦争に出征する。1905(明治38).12月まで出征する。鴨緑江渡河の際に功をたてた。伝書鳩を陸軍に持ち帰ったりと、工兵将校としても色々な仕事をし軍内で「極めて優秀」の評を得る。近衛工兵大隊中隊長、大本営運輸通信長官部副官、陸士教官、近衛工兵大隊付などを歴任する。

 1909(明治42).12月、陸軍大学校(21期)を卒業する。関東都督府陸軍参謀、工兵第7大隊付、陸軍砲工学校教官。

 1916(大正5).8月、フランスに駐在、従軍し、フランス陸軍側から対ドイツ戦を見ている(1919(大正8).3月まで)。

 1920(大正9).1月、浦塩派遣軍司令部付としてシベリア出兵に出征。8月、工兵大佐。11月、関東軍司令部付となりハルピン特務機関長を務めた。

 1922(大正11).4月、陸軍航空学校教官となり、同年9月同下志津分校長。以降、同下志津分校長。

 1923(大正12).8月、陸軍省軍務局航空課長などの航空畑の役職を歴任。この頃、民族研究会が結成され、参加する(「星製薬の謎(その2)」)。

 1924(大正13).5月、国本社理事。8月、陸軍少将に進級した。陸軍兵器本廠付、国際連盟陸軍代表、兼同空軍代表、豊予要塞司令官、第16師団・第3師団の各司令部付などを経る。

 1925(大正14).3月、帝国飛行協会専務理事。

 1929(昭和4).8月、陸軍中将に昇進し予備役に編入された。この背後に、上原元帥より「その反ユダヤ主義を捨てなければ重用できない。ユダヤ問題から手を引くよう」勧告を受け、これを拒否した事情が介在している。四王天は、「ロシア革命はユダヤ革命である。アメリカの政策はユダヤ人によって動かされている」との主張を変えなかった。帝国飛行協会専務理事を務めながらユダヤ問題の研究に没頭する。
 
 1936(昭和11).2月、反ユダヤ主義の国際政経学会が創立され顧問となる。(同学会については「桜澤如一と関根康喜(関根喜太郎)(その1)」参照のこと)。11.2日、増田正雄とともに反ユダヤの国際思想研究所を設立する。

 1941(昭和16).7月、「猶太思想及び運動」(内外書房)を刊行。小田光雄「古本夜話112」によれば、この本の出版祝賀会が8月に開かれたことが真崎甚三郎の日記に見える。次のように記述されている。

 「昭和16年7月17日 渡辺十二時半に来訪、来月四王天の著書出版の祝賀会を行ふにつき、予を発起人の一人に加はることを乞ふ。予は之を諾す。中野正剛も挙げられたりと云ふ。果して真か。8月4日 十七時三十分松本楼に至る。四王天中将の猶太思想及運動に関する著書の出版祝賀会に列する為なり。参会者百五十名余、盛会にして堀内、坂西中将、松島元大使、中島海軍中将、匠[ママ]瑳海軍少将、猪野毛代議士等の祝辞あり、最后に予の聖寿万歳を三唱して終り、二十一時半に帰宅す」。

 1942(昭和17).4月、翼賛選挙で東京5区(品川、目黒、世田谷、渋谷など)から推薦候補として出馬し、「大東亜戦争はユダヤが動かしている。日本はそれに立ち向かえ」等々の弁論を振るった。7万6250票を獲得しトップ、全国でも最高の得票数を得て当選し衆議院議員となる。

 1943(昭和18).1月、大日本回教協会会長→同協会について「大日本回教協会の評議員」。5月、民族研究会の常任幹事だった内藤順太郎の「支那とフリーメーソン」(国民社)が刊行される。口絵写真には、「民族研究会創立当時の会員(大正十三年)」とあり、陸軍軍人としては小松原道太郎、飯村穣、坪井善明、島本正一、黒木親慶、安江仙弘、秦眞次、中岡彌高、海軍軍人としては前田稔、有馬寛、その他に安岡正篤、若宮卯之助、菊池武徳、樋口艶之助、赤池濃、酒井勝軍の名前がある。また、本文の方では会員として、他に今井時郎、陸軍軍人の樋口季一郎、中澤三夫の名前がある。

 1944(昭和19).4月、松村吉助「猶太民族と世界制覇の陰謀」(冨山房)刊。四王天、白鳥敏夫、増田が序文を寄せている。白鳥の序文によると、著者松村は「多年宗教団体「道会」の主宰者として、又ユダヤ研究の権威たる政経学会の同人として、ユダヤの研究に力を注いで来られた」とある。

 10.16日、朝日新聞に大直会(麹町区麹町一ノ八)による「ユダヤ禍闡明神国顕現大直会結成大講演会」の広告がある。同月21日、日比谷公会堂で諸岡存と反ユダヤ主義の大直会を設立。開催、講師として四王天の他、匝瑳海軍少将の名前が見える。

 1945(昭和20).4.23日、読売新聞に大直会による「敵前国民有志大会」の広告がある。同月28日、日比谷公会堂で会長の四王天、匝瑳海軍少将、長谷川泰造、武富邦茂海軍少将らの講演が予定されていることがわかる。

 以後、帝国飛行協会専務理事、大日本回教協会会長などを歴任した。他に国本社理事、日本反ユダヤ協会会長なども務めた。

 1945(昭和20).8月、終戦。12月、A級戦犯容疑で逮捕される。「推薦議員、大直会有力幹部、東亜建設協会理事」を理由として公職追放される。  

 1947(昭和22)年、釈放された。

 戦前の反ユダヤ主義者はしばしば日ユ同祖論者でもあり、戦後は戦前の反ユダヤ言動について素知らぬ顔をして親ユダヤ主義者を自称したが、四王天については、そのようなことはなかった。

 1962(昭和37).8.8日、死去。

 主な著書『ユダヤ思想及運動 付・シオンの議定書』(内外書房1941年初版、心交社1987年復刻)。『四王天延孝回顧録』(みすず書房、964(昭和39)年7月25日)。

 「ユダヤ思想及運動」昭和16 四王天延孝 内外書房 517頁
 筆者は旧陸軍中将で戦前日本におけるユダヤ問題研究の権威であり、世界的にも著名な研究者であった。筆者は全生涯をかけて身命を賭してこの問題を研究された。本書はユダヤ問題に対する戦前戦後を通じての大著述であり、体系的に組織的に詳述されており、ユダヤ問題研究者の必読の書である。現在でも入手はさして困難ではない。 序文から抜粋する。

 「予が猶太人問題の研究に着手したのは第一次世界大戦中からで、仏軍の中におり仏国のユダヤ人アンドレ・スピール著「猶太人と大戦」から啓蒙せられる所頗る多かったのである。 またシベリア事変中は主としてハルピンに駐在して職務上毎月、過激派・反過激派の露人と接触し、過激派の大部がユダヤ人で反過激派が純露人であることを目のあたり体験し、終には意を決してユダヤの家庭に下宿し、彼等のお寺に出入し、彼等の雰囲気の中に入って研究し始めたのである。 ドイツの今日の挙国一致体制が確立した一面の理由は、ユダヤに関する知識を充分に取り入れたことにあると思う。

 本書は皇国同胞の大部分がユダヤの問題に開眼して来たにも拘らず、いまなお煙幕が上の方から張られるのを座視するに忍びずして、忙中執筆の閑なきに拘らず強て一気に筆をかして、単に在来発表したものを取りまとめて世に問い、猶太人問題の真相を同胞に披瀝して、内外より迫りかかった非常時局突破の参考に供したい為である」。

 「猶太の世界支配綱領」昭和16 愛宕北山 政経書房 466頁

 著者愛宕北山氏は学者として戦前戦後を通じ、わが国ユダヤ問題研究における権威であり、現在しておられる数少ない貴重な存在である。序文の一部を記す。

 「日本と猶太との間には、あらゆる点に於て二百六十度の差がある。 即ち存在の次元が全く異るのである。それ故に日本的原理が世界的に認識されるまでは猶太の世界征服の欲望は断絶されることはなく、従ってまた世界に真の平和と正義とは無いであろう。然もその日の以前に於て、日本と猶太との正面衝突は必然の運命と考えられる。非猶太人と猶太人との戦いの序幕戦である今次欧州大戦に続くものは、何故なる形式となるかは別として、不可避的に日本と猶太との戦いである。然して真に猶太問題を解決し、全人類を「悪」の手より解放し得るものでは八紘一宇の精神を奉ずる日本以外にはないのである。然もその八紘一宇の精神とは平等人道主義ではなく猶太人東洋人説の如き安価なる感傷ではなく、何等の根拠なき日猶同祖説の如き寛容ではなくて、まつろわざる者は之を討ち平げる処のものでなくてなくてはならぬ。 然してその後に於てのみ猶太その者も「人間」に還元され得る秋が来るであろう」。

 一冊の書物でこれくらい広汎にユダヤ問題の本質を解明した文献は世界的にもないと言われており、ユダヤ問題研究者は是非入手しなければならない本である。神田の古書店で時折り出品される。

 太田龍の時事寸評の2004.2.27日付け№867。  

 月刊「ニューリーダー」誌に、落合莞爾氏の「陸軍特務吉薗周蔵の「手記」が連載されて居り、平成十六年三月号で、九十七回目。「吉薗」の「薗」は、滅多に使われない漢字で、その読み方が分らない。一応、薗(その)、吉薗(よしぞの)、と読んで置く。筆者は、この連載を、途中から読み始めて居るので、この吉薗周蔵、と言う人物の素性が分らない。

 平成十六年三月号(「ニューリーダー」)の第九十七回目によると、周蔵の祖母、三居こと吉薗ギンズルが、昭和六年、九十一歳で亡くなった。このギンズルは、天保十二年(西暦一八四一年)生れ、そして、このギンズル女は、元帥上原勇作の叔母にあたる、とある。上原勇作陸軍元帥は、薩摩藩の最後の大物、として知られて居り、大正昭和初期、日本陸軍、ひいては日本の国家中枢の実力者の一人。吉薗周蔵は、この上原陸軍元帥直属の「陸軍特務」であったと言う。

 この関係は、吉薗周蔵が、上原の親戚であったことに由来するものであったわけだ。吉薗ギンズルは、薩摩武士、四位次兵衛の娘に生まれ、宮崎の郷士吉薗家の養女に入り、京都で、下級公家、堤哲長の子、林次郎を生む。 林次郎の長男が、周蔵。ギンズルが上原勇作の叔母、とあるが、そのギンズルが世話をして、吉薗周蔵は、上原元帥の特命を帯びて、大正昭和前期、秘密諜報工作活動に従事して居た、と言うことである。

 その吉薗周蔵は、死後、克明な日記を残した。周蔵の死後、遺族がそれを大切に保管して居り、落合莞爾と言うひとが、吉薗家の許可を得てそれを閲覧し、それをもとに、「ニューリーダー」誌に長期連載中、と言う次第である。

 これで、吉薗周蔵と上原元帥との長期に亘って続いた特別な関係の意味と根拠が、腑に落ちた。吉薗周蔵と言う人物のこうした役割からすれば、その名前その業績が、全く、人目に触れず、知られることもなく、まして公式の歴史、マスコミ報道には、全く登場して来なかったのも、当然であろう。

 注目すべきことは、落合莞爾氏が、吉薗周蔵手記にもとづいて、上原勇作陸軍元帥は、ユダヤ陣営の人物であることは疑いの余地なし、そして、米国留学時に、フリーメーソンに入会加盟して居たことも確実である、として居られる、その説である。改めて、この「陸軍特務吉薗(よしぞの)周蔵」問題に焦点を当てる必要を認める。(了)

 太田龍の時事寸評の2008.8.21日ヅケ№2521。

 「EIR」誌二〇〇八年八月十五日号、七十二頁「論説」、「ジョージ・ソロスとロンドンの第三次世界大戦」。この重要な論説は、 ブリテンの工作員(エージェント)、ジョージ・ソロスが、ロンドンの手先と成ってコーカサスで第三次世界大戦の引きがねを引こうとして居る。と、警告する。

 一九一四年=大正三年。第壱次世界大戦が始まりつつあったとき、日本人の中で、ユダヤによって世界大戦が準備されて居る、と言うことに気付いたものは、上から下まで、右から左まで、唯の一人もいない。辛うじて、のちの四王天延孝中将が、少佐の時代、第一次世界大戦期、フランス軍の観戦武官として、ドイツ軍との戦争に従軍して居たとき、同僚のフランス軍士官たちから、「これはユダヤが背後で動かして居る戦争である」、「ユダヤは、この世界大戦を通じて、ユダヤの世界支配を推進しつつある」と聞かされた。との趣旨のことを、「四王天延孝回顧録」(みすず書房)の中で書いて居る。

 つまり、日本で、最初にこの第一次大戦の真相に気付いた人物は、四王天延孝(のちの陸軍中将)である。四王天少将は、大正末~昭和初年には、既に、国際ユダヤによって、次の世界大戦は準備されつつある、と、公然、警告し始めていた。しかし、この四王天少将(のちに中将)は、陸軍上層部によって、 追放された。四王天延孝を追放したこの「陸軍上層部」とは、「四王天回顧録」によれば、 上原勇作陸軍元帥である。上原勇作元帥は、若い頃、フランス留学中、フリーメーソンに加盟している、 と言はれている。

 落合莞爾氏が「月刊ニューリーダー」に連載中の論文によれば、明治初年以後、左英ワンワールド秘密結社は、極秘のうちに、薩摩武士のトップクラスを直系のエージェントとして取り込み、日本の国家中枢と国策を動かした、と言ふ。そして、この系列は、大正、昭和初期に於ては、上原勇作(陸軍大臣、陸軍参謀総長など歴任、陸軍元帥)引き継がれた、と。上原勇作元帥[1856.12.6-1933.11.8]は、満州事変[1931.9.18-1933.5.31]前後には、死去した。そのあとは、不明である。

 第二次世界大戦は一九三九年に開始された。この時期には、第一次大戦前とは異なり、少数とは言え、断乎として、反ユダヤ反フリーメーソンと戦う思想戦線が確立され、死力を尽して日本国民に、ユダヤが、第二次世界大戦を演出しつつある!! と、警告した。今、まぎれもなく、イルミナティ世界権力によって、第三次世界大戦が演出 されようとしているとき、状況はどうなのか!!我々は、死力を尽して日本国民に対して、イルミナティ世界権力が全人類を第三次世界大戦に狩り立てつつある!! と警告しなければならない。(了)

 「[古本夜話] 古本夜話112 四王天延孝『猶太思想及び運動』と内外書房」を転載する。
 『驚異の怪文書ユダヤ議定書』の「訳者の言葉」において、久保田栄吉はユダヤ研究の権威として、「四王天延孝閣下及安江陸軍、犬塚海軍其他の先輩」の名前を挙げ、謝辞を恩師の相馬愛蔵、黒光や杉山茂丸などに掲げている。後者の相馬夫妻や杉山のことはひとまずおくが、前者の名前は久保田のユダヤ研究が軍部の人々と歩調を合わせ、進んできたことを語っている。
 しかも四王天たちは既述した酒井勝軍の著書の版元である内外書房から、いずれもがペンネームでユダヤ問題に関する著作を刊行している。彼らのペンネームは宮沢正典が『ユダヤ人論考』(新泉社)で指摘しているように、四王天延孝=藤原信孝、安江仙弘=包荒子、犬塚惟重=宇部宮希洋である。

 内外書房によったすべての著者たちが判明しているわけではないが、これまで名前を挙げた人々を考えると、酒井や樋口艶之助=北上梅石は神学校出身、四王天たちは語学に通じ、特務機関に関係する軍人で、彼らの共通点はシベリア出兵体験と従軍、ロシア革命とボルシェヴィキへの注視であろう。また国内における大正デモクラシーへの反発も共有していたと思われる。そうした彼らが内外書房と手を携え、『プロトコル』に基づく反ユダヤプロパガンダを繰り広げていったのである。彼らが行なった全国各地での夥しい講演を、内外書房は本や小冊子として刊行した。その内外書房について、管見の限り出版史における言及を見ていないし、全貌も発行人の舟越石治のこともわからない。ただ外務省の外郭団体で、『国際秘密力の研究』(後に『猶太研究』)を出していた国際政経学会の関係者との推測はつくにしても。

 しかし内外書房が行なった反ユダヤプロパガンダを称して、宮沢は『ユダヤ人論考』の本文ではなく、注の部分で「内外書房の熱烈な肩入れ」と見なし、同社の大沢鷺山『日本に現存するフリーメーソンリー』や武藤貞一『ユダヤ人の対日攻勢』の巻末やカバーに寄せられた出版者の言葉を引用している。この二冊は入手していないので、宮沢の同書から再引用する。

 大正十二年の大震災直後から小房が発行したユダヤ研究に関する諸先生十余種の著述は計らず憂国の各位より大好評を受け、この種の出版を続行するやう絶えず激励せられました。厚く感謝します。

 願ふ、関東大震の劫火未だ消えさらざる時、切に猶太研究の先覚の諸先生に願ひ、『猶太禍』『猶太人の世界政略運動』『猶太民族の研究』『共産党の話』『猶太人の大陰謀』『世界の正体と猶太人』を発行、好評絶讃普及実に四万冊を突破、更に、『何故の露国承認ぞ』『自由平等友愛と猶太民族』『皇国を呪ふ二重陰謀』の三小冊子五万を全国的に無料配布せし等、小房が報国一片の赤心、此の驚くべき猶太禍を警告せしは、諸者各位の尚御記憶せらるゝであらう云々。

 これらのおそらく発行人の舟越の言葉によって、内外書房が関東大震災後に立ち上げられ、それに続く昭和経済恐慌の中で、書名に象徴される反ユダヤ人言説が日本中に撒き散らされていった状況がまざまざと浮かんでくるような気がする。それに次回言及するナチズム文献の翻訳と研究書の出版が相乗し、さらに多くの周辺出版物が加わり、確たる分野を形成したと考えて間違いないだろう。

 その集大成的一冊が陸軍中将の位を冠した四王天延孝の『猶太思想及運動』(ただし箱表記はユダヤ)で、これは昭和十六年にもちろん内外書房から刊行されている。菊判五百ページ余、内容はユダヤ民族の歴史と思想、その秘密結社フリーメーソンがフランス革命、アメリカ独立革命、ロシア革命、第一次世界大戦に及ぼした影響、及び東洋政策、満州事変、第二次世界大戦への関与、日本とユダヤ問題に付け加え、「付録」としてフランス語からの彼自身の翻訳『シオンの議定書』の収録もある。したがって同書は四王天が戦後になって著わした『四王天延孝回顧録』(みすず書房)で述べているハルピン特務機関時代の大正十年頃に大連で印刷し、菊判二百ページ、五百部にまとめたユダヤ研究から始まる到達点を示していよう。

 『四王天延孝回顧録』や人名事典によれば、彼は日露戦争を経て陸大を卒業後、フランス語やロシア語を修得し、教官などを務め、第一次世界大戦において三年間フランス軍に従軍し、帰国後は前述のハルピン特務機関の他に陸軍航空学校、陸軍省、国際連盟を経て、衆議院議員にもなっている。そのかたわらで、彼が反ユダヤ運動に携わってきたことは明白だが、『回顧録』にユダヤ研究やそのための民族研究会の創立は書かれていても、それらの詳細や内外書房から出した本については記されていない。それゆえに彼の戦後の『回顧録』は、反ユダヤ言説やプロパガンダの渦中にいた自らを描いているとは言い難い。これが昭和十年までの記録だとしても、意図的に省かれていると考えるしかない。だが彼は第二次世界大戦がユダヤの陰謀だとの説を終生変えていなかったはずだ。

 それでも四王天が『回顧録』を執筆したことに比べ、安江仙弘は敗戦時にも満州国政府顧問としてとどまり、ソ連軍に捕えられ、シベリアに送られ、ハバロフスクで死亡。犬塚惟重はこれも敗戦の際にマニラで逮捕され、捕虜虐待容疑で戦犯裁判にかけられ、その後釈放され、日本に戻り、日本イスラエル友好協会に加わっていたが、戦時中に反ユダヤ主義であったことが発覚し、それを退会せざるをえなかったようだ。また内外書房の舟越石治の消息はまったくつかめない。四王天以外の三人が何らかの記録や証言を残していれば、もう少し内外書房の出版物とプロパガンダに象徴的に表出した、大正末から昭和にかけての日本における反ユダヤ主義のくっきりした軌跡が描けたように思えるが、それはあきらめるしかない。

 そのことを無視して、M・トケイヤーたちの『河豚計画』(加藤明彦訳、日本ブリタニカ)や赤間剛の『日本=ユダヤ陰謀の構図』(徳間書店)へ飛躍してしまうのは、資料的に心もとないように考えられるので、ここで止める。

【上原勇作考】
 上原勇作 大正~昭和の日本を裏から操った男
 http://homepage2.nifty.com/hokusai/rekishi/uehara.htm

 軍部や政治の表舞台にほとんど出てこない上原勇作ですが、周蔵手記によると大正~昭和にかけて軍部を裏から操っていたのが表向きは「昼行灯」を装い回りを欺いていた上原勇作であった事が明らかになりました。また、大正政変の時には親密であった田中義一/宇垣一成との確執がやがて昭和になってからの統制派、皇道派の抗争へと繋がっている事も明らかになりました。上原勇作の配下としては、石光真臣[1870-1937]、真清[1868-1942]兄弟、甘粕正彦[1891-1945]、貴志彌次郎、久原房之助[1869-1965](引用注:2,26事件時、社会大衆党や共産主義者に資金提供したと言われている)など多数いますが、いずれも上原派とはされていなかった面々です。これも歴史を裏読みする上で興味深いことです。

 (記述内容は、基本的に「ニューリーダー」の落合莞爾氏の記載によります)

1.略歴
2.二個師団増師問題
3.アヘンで肺壊疽を克服する
4.シーメンス事件
5.甘粕事件
6.シベリア金塊 (1) (2)
7.ユダヤ - フリーメンソン
8.中野正剛のシベリア出兵軍事費不正の糾弾
9. 張作霖爆殺
(1)一番困るのは田中義一
(2)広がる上原不信と藤田嗣治の帰国
(3)貴志彌次郎の苦悩

 陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記 読書日記
 http://2006530.blog69.fc2.com/blog-category-2.html

 (16)より

 吉薗家の伝承では、上原元帥は横浜正金銀行にも特殊な権力を持っていた。それが陸軍大将・荒木貞夫に受け継がれたようで、大戦が始まり為替が不自由になった中、フランス再渡航を希望する薩摩次郎八に頼まれた吉薗周蔵が、荒木閣下に頼んで為替を入手した、との記述がある。

 『横浜正金銀行史』は、「顧ふに本行は大隈侯の懇切な指導の下に、13年2月28日を以て世に生まれたのであるが、翌14年から15年に亘る財界の不振に際し、当局者の措置が宜しきを得なかったので、資本金半額以上の欠損を来たし、殆ど破綻に瀕したのを、松方侯の懇篤周到な指導の下に九死に一生を得て、今日の盛大を見るべき基礎を固めたのである。故に本行歴代の当局者は、大隈侯を生の母とし、松方侯を再生の恩ある養育の母として常に敬意を表し、尚今後も永くその恩を忘れぬであろう」として、大隈と松方の恩を挙げるが、西南戦争前後の財政を担ったのは、確かに大隈と松方であったから、当時誕生した同行が2人の世話になったのも当然である。鍋島藩士の大隈は、明治元年1月に徴士参与職・外国事務局判事に挙げられ、外国官副知事から会計官副知事に転じた。2年7月の官制改定で、会計官の後身大蔵省の大輔となった大隈は、民部・大蔵両方の事実上の統合を献言し、自ら民部大輔兼大蔵大輔として内省を取り仕切った。3年7月、両省は再び分離し、大隈は大蔵大輔専任となり9月には参議に補されたが、4年7月の官制改定に際し、大蔵省を大久保・井上コンビに譲った。

れんだいこ:戦前日本のユダヤ問題研究史考 [政治・社会]

れんだいこさんのブログより全文引用
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/senzennokenkyuco.htm
が見られなくなっているため、コピーを作成する。

戦前日本のユダヤ問題研究史考
(最新見直し2007.3.22日)

【幕末の皇道研究」】
 水戸学派が、南朝の顕彰と後醍醐天皇の建武の中興への復古を唱えた。楠木正成の楠公精神(七生報国)が称揚された。王政復古が唱えられ、神武天皇建国の精神への復古へと進んだ。19世紀、欧米の日本侵略の魔手が伸びてきた時、平田篤胤、佐藤信淵(のぶひろ)らが皇道の振起に向った。その最後の旗手として今泉定助(1863・文久3~1994・昭和19)が、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)への復古を提唱し、大東亜戦争を「世界皇化」と位置づける。これを今泉神道、今泉神学。

【明治、大正期の皇道研究」】

【シベリア出兵の思いがけぬ副産物】
 1918年、ロシア革命干渉の為の連合軍がロシアの東西に派兵された。日本は、連合軍との協定を上回る7万2千の大軍を派遣し、ウラジオストックから満州、ザバイカル方面に展開した。4年後の1922(大正11)年、孤立し、多くの犠牲を払って撤兵した。この時、樋口艶之助(ニコライ神学校出身の陸軍学校ロシア語教授)、小谷部全一郎(陸軍省の通訳官)、酒井勝軍(かつとき、軍人)、安江仙弘(のりひろ、東京外語学校陸軍委託学生)、四天王延孝(陸軍士官学校出身の軍人。第一次世界大戦でフランス軍に派遣され、西欧のユダヤ禍論を学び、以来ユダヤ問題研究の第一人者になる)らが、「シオン長老の議定書」を持ち帰った。その後の研究で、世界征服を目論む国際ユダヤの陰謀論を説き始めた。

【ユダヤ禍論と日ユ同祖論の登場】
 大正から昭和初期にかけて「ユダヤ禍論」が登場し、その裏返しとして「日ユ同祖論」が登場した。他にもキリスト渡来説が喧伝され始めた。竹内巨麿の「竹内文書」の開示、山根キク、酒井勝軍(かつとき)の日本根の国思想が喧伝され始めた。

 酒井勝軍(1874-1940)は、山形県生まれ。仙台神学校卒業後、アメリカに渡り、牧師となって帰国。語学力を買われ、日露戦争やシベリア出兵に大本営付の通訳として従軍し、当時、西欧を席巻していたユダヤ禍論を知り反ユダヤ思想を身につける。

 1927(昭和2)年、陸軍の密命によりパレスチナで中東情勢を調査し、親ユダヤ派に転向する。帰国後、「日ユ同祖論」を唱え始めた。モーゼが神から授かったという十戒の本物は日本に隠されている、エジプトピラミッドの原形が日本にあるはずだとして日本各地の探索に出向き始めた。お椀堅の山々を訪ね歩き、日本がピラミッド発祥の地なる説も唱え始めた。

 1929(昭和4)年、竹内文書公開で知られる竹内巨麿が開教した天津教本部を訪れている。酒井と出会った巨麿は請われるまま、モーゼの十戒石の「本物」やピラミッド建造の由来書などを皇祖皇太神宮の宝物から出してみせた。酒井は以来、天津教の有力なイデオローグとなった。

 1932(昭和7)年、日猶協会を設立し、天孫民族日本とユダヤ人のシオン運動の神聖攻守同盟による世界統一を打ち出した。


【昭和初期の皇道研究」】
 2006.4.8日付日経新聞文化欄の「戦前の大学『国粋』へ傾く」その他を参照する。

 戦前の論壇を自由主義、左翼思想の面からのみ評するのは片手落ちというべきで、1930年代に於いて、ヘーゲルやゲーテから始まりマルクス主義、無政府主義に至る西欧哲学、思想、文学に対抗する国粋主義的民族派のイデオローグが台頭していた。国家社会主義革命を目指した北一輝、和辻哲郎、日本浪漫派の保田与重郎、、国士舘専門学校教授の蓑田胸喜(むねき、1894ー1946年)、皇国史観の歴史学者として知られている東京帝大教授・平泉澄(1895ー1984)、東大の右翼学生運動の中心団体「興国同志会」を支援した法学部教授・上杉慎吉らが知られている。

 2006.2月末刊行の竹内洋、佐藤卓巳編「日本主義的教養の時代」(柏書房)は、概要「特に1931年の満州事変以降の大学キャンパスで、国粋的な思想が大きな影響力を持った」ことを指摘している。

 国粋主義台頭の契機を作ったのは、国士舘専門学校教授の蓑田胸喜(むねき、1894ー1946年)で、1925年創刊の雑誌「原理日本」で「帝大粛清」を掲げ、特に東大、京大の帝国大学法学部の自由主義、マルクス主義的な教員批判を展開し、次々と辞職や著書発禁に追い込んでいくことになった。「無学無信無節操漢としてそれ故に日本国体と人道との廃欠者である」といった調子の批判を投げつけていった。関西大学の竹内洋教授は、同時代のの思想とも違い、「自ら唱える『日本的なるもの』以外を徹底的に排除することで成り立つ思想だった」。1935年、天皇機関説を巡って元東大教授の美濃部達吉が貴族院議員を辞職したのも蓑田の批判が引き金となった。

 2006.4月刊行の若井敏明著「平泉澄」(ミネルヴァ書房)は、皇国史観の歴史学者として知られている東京帝大教授・平泉澄(1895ー1984)の本格的な評伝で、首相を務めた近衛文麿や陸海軍の将校などに影響を与えた。国民総動員体制や特攻兵器「回天」の実用化に影響を与えた。東大の右翼学生運動の中心団体「興国同志会」を支援した法学部教授・上杉慎吉は、井上準之助・前蔵相らが暗殺された血盟団事件に影響を与えており、現役の東大生4名が関わった。

【満鉄調査部の「ユダヤ問題時事報」】
 戦前、満鉄調査部は、「ユダヤ問題時事報」を定期的に発行して、関係者に配布していた。

 以下、「ユダヤ製国家日本」(ラビ・M・トケイヤー、2006.1.31日初版)を参照する。

 1938(昭和13).1月、ハルピンの商工クラブで、第1回極東ユダヤ人大会が開催された。この大会には、満州だけでなく、香港、天津(てんしん)、上海(しゃんはい)などの中国大陸の各地や、日本からもユダヤ人の代表が参集した。この時、関東軍の特務機関長であった樋口李一郎少将が、「ユダヤ民族の祖国を建設しようとする熱意を、よく理解することが出来る」と述べ、盛んな拍手を浴びている。

 1930年代、2万人に昇るユダヤ人難民が、ナチスの迫害を逃れて、ソ連へ向った。ソ連が難民の受け入れを拒んだので満州国へ入植しようとして、酷寒のシベリアを経由して満州国境のオトパールへ辿り着いた。難民はテント生活を始めた。既に、満州にはユダヤ人居留民組織があり、極東ハルピン・ユダヤ人協会は、ハルピンにあった関東軍の特務機関長であった樋口李一郎少将にオトポールのユダヤ人難民を救うように懇請した。

 樋口は、新京(現在の長春)に司令部を置いていた関東軍の東条英機中将に、ユダヤ人難民の入国許可を打診し、了承を取り付けた。この結果、満鉄鉄道が何本もの救援列車を走らせた。

 もう一人、樋口李一郎少将と陸軍士官学校の同期生であった安江仙弘(のりひろ)大佐がいた。安江は樋口の同志として樋口を補佐していた。「東条、樋口、安江が2万人以上のユダヤ人難民を救った」史実が残されている。

 日独防共協定を結んでいたドイツは、日本政府に対し、ドイツ外務省を通じて、大量のユダヤ人難民を満州国に受け入れたことに対して、強硬な抗議を行った。この抗議は、東京から新京の関東軍司令部へ伝えられた。東条参謀長は、「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」として、一蹴した。結局、人英がーまた。傷虚を苦闘った。

【国際政経学会」】
 太田龍・氏の「週刊日本新聞」の2003.8.16日付け「国際政経学会」の精神継承こそ、大東亜戦争継続の第一歩である」(http://pavc.ne.jp/~ryu/)、赤間剛「フリーメーソンの秘密」その他を参照する。

 「大東亜戦争を継続継承する」、とは、何を意味するのか。そのために第一になすべきことは、どう言うことなのか。それは、「国際政経学会」の精神と、業績の継承である。

 「国際政経学会」とは、1935(昭和11)年に愛岩北山()、増田正雄()、四王天延孝(陸軍中将)、赤池濃(貴族院議員)、上原虎重(毎日新聞朱筆)、白鳥敏夫(外交官)らによって設立され、月刊「ユダヤ研究」、不定期刊「国際秘密力の研究」を出版し、ユダヤ問題を研究した機関で、敗戦の日まで続いた。執筆者は、上記のほかに宇都宮希洋、桜沢如一、若宮卯之助、安江仙弘、黒田礼二、長谷川泰三、朝比奈克彰、布川孫一、貴志康人、北側清之助、久保田通敦、武藤貞一らがいた。反ユダヤ、親ユダヤ的両見解が同居しつつ、主としてユダヤフリーメーソンの国際秘密力に対する研究と警鐘に重点を置いていた。

 「国際政経学会」を背後から支援したのが、軍の重鎮であった小磯国昭、板垣征四郎、大久保弘一や、学会の仲木貞一、佐伯好郎、藤沢親雄、左近義弼、政界の一条実孝、小森雄介、簡牛凡夫らであった。「国際政経学会」は、1945(昭和20).8.15日の敗戦と、そして米英オランダカナダソ連など連合国の占領と同時に、イルミナティ悪魔主義占領軍によって、跡形もないまでに破壊解体抹殺された。

 国際政経学会の中心人物のうち、小磯国昭、板垣征四郎、白鳥敏夫(枢軸派外交官)、四王天延孝陸軍中将の4名が、敗戦後、米英ユダヤイルミナティ占領軍によっていわゆる戦犯として逮捕された。小磯国昭、板垣征四郎、白鳥敏夫が東京裁判法廷によってA級戦犯として起訴され、小磯国昭、板垣が1948(昭和23).12.23日処刑され、白鳥は終身禁錮の判決を受け、獄中病死した。いずれも靖国神社に祀られて居る。

 四王天延孝陸軍中将については、昭和初年、上原元帥を首とする陸軍内の売国奴フリーメーソン一味によって陸軍を追放されて居り、その後日本の国家公職に無縁であったことにより、ユダヤイルミナティ米英占領軍も、四王天中将をA級戦犯として起訴する証拠がなく、証拠を捏っち上げることも出来なかった為不起訴となった。A級戦犯の死刑判決が執行されたあと釈放された。

 しかし、その生き残りの僅かな人々は、細々と、その道統を維持して来た。平成三年。この年は、「国際政経学会」の伝統復活が、公然と提唱された、記念すべき、歴史的節目(ふしめ)である。

 大東亜戦争の精神の継承は、まず、思想戦、心理戦、世界観戦争として、設定されねければならない。そして、この思想戦継承の中核は、「国際政経学会」の精神の継承、発展、として規定されなければならない。「国際政経学会」は、戦時中といえども、その言論は、日本国政府 官憲の厳重な監視下に置かれて居た。

 これは奇妙に聞えるか。そのことに疑問を抱くひとは、渡部悌治著「ユダヤは日本に何をしたか」(成甲書房、平成十五年一月刊。原本私家版「攘夷の流れ」は、平成四年刊)を、熟読してほしい。

 前記、渡部悌治著には、大東亜戦争中も、財閥は、ユダヤの出店。日本国中ユダヤのスパイだらけ。と述べられて居る。そもそも、日本の「財閥」の正体は、何なのか。ここでは以下、省略するが、「国際政経学会」の精神を、真剣に継承する作業なくして、大東亜戦争の継承を云々することは、大言壮語、空念仏、空威張り、虚勢を張る、ことにしかならない。(了)


 太田龍・氏の「週刊日本新聞」の2003.8.27日付け「昭和二十年八月十五日の日本の降伏のあと、日本の国体が護持されたのが、それともそうでないのか。平泉澄以下のペテン的皇国史観派」を転載する。
 月刊「猶太(ユダヤ)研究」(国際政経学会、昭和一六年-十九年)を読んで行くと、実に、的確に、国際政経学会の先輩たちは大局の情勢を把握して居られたことが分る。そこでは、大東亜戦争は、神国日本と、悪魔的ユダヤとの戦いである、ユダヤ米英の日本に対する戦争の目的は、神国日本の国体の破壊である、と、明言されて居る。にも拘わらず、国際政経学会のこの正しい路線と思想は、当時の日本政府、陸海軍には、全く、受け入れられて居ない。財界に至っては、言うだけ野暮、と言うものであろう。だからこそ、昭和二十年に入ると、日本政府は、ソ連共産政権に対して、対米英講和の口を利いてもらうように、大まじめで、奔走するなどと 言う、阿呆らしいていたらくをさらしたのである。昭和二十年八月十五日(十四日)、日本政府は、「国体護持の条件付き」で、ポツダム宣言を受諾し、米英に対して降伏する旨、敵国に通告した。この「国体護持の条件」については、陸軍が強硬にに主張したことは、良く知られて居る。つまり、当時の日本政府は、日本が戦争して居る、当の相手、米英両国の対日戦争の主要目的(日本の国体の破壊)を、この期に及んでも、理解して居ないのである。

 それだけではない。「日本の国体」なるものの内容が問題である。「国体明徴運動」は、一見、昭和初年、「五.十五事件」以来、日本全国を制圧したかに見える。しかし、そこでの「国体」の内容は何だったのか。その内容を規定した人物は、「皇国史観」の主役、平泉澄東京帝大教授(国史学)である。「国際政経学会」の立場と、この平泉澄的皇国史観は氷泥、相容れない。しかし、この件は、ここでは省略する。

 また、「国際政経学会」とは、全く無関係ではあったものの、大正昭和前期、日本神道界の巨人と言われた、今泉定助先生、この今泉神道学もまた、平泉澄の皇国史観とは全く別物である。平泉澄は、「天皇絶対」を呼号した。そしてこの平泉澄は、岩倉、木戸(桂)、伊藤以下の逆賊による、孝明天皇弑逆事件については全くの知らぬ顔の半兵衛。要するに、孝明天皇弑逆を、事実上、容認するのである。孝明天皇弑逆を肯定して置きながら「天皇絶対」とは、よく、口が曲がらない。偽善とペテンのこりかたまり。それが、平泉以下の皇国史観の正体である。つまり、問題の本筋、根本に於て、すべてがおかしい、すべてが狂って居る、のである。平泉澄以下のペテン的皇国史観派を居る。今ここで、明確に弾劾せよ。(了)

【「大東亜戦争調査会」】
 「国際政経学会」と並行して大東亜戦争調査会が存在していた。昭和18年から19年にかけて5冊発行しており、白鳥敏夫がただ一人、ユダヤ問題に真っ向から言及している。昭和19.5月の「米国の世界侵略」の中の「大一章 世界のきょう児、米国」の「第二節 彼のユダヤ性と日独伊」は次のように記している。
 「米国人の新帝国主義の張本人がルーズヴェルトであり、したがって彼こそ今次戦争の火付け人であるという事実を、最も早く認識したのはドイツ人である。つとにユダヤ人の悪魔性を看破し、これを剔抉(てっけつ)していたドイツ人は、そのユダヤ人が『一方に於いてはソ連の共産政権を左右し、他方に於いては米英及びフランスの資本主義を把握して、ソ連の赤軍、英国の海軍、米国の金力と物勢力とを以って一撃にユダヤ人の世界制覇を完成せんとして今次戦争を企み、その陰謀の主役として選ばれたのがルーズヴェルトである』と、こう見ていたのである」(32P)。
 「何よりもまづユダヤの悪魔性を認識することが大切である。日独伊三国同盟の前文において、万邦をして所を得しむることが世界平和の前提条件である事を謳っている。これは八紘一宇の日本肇国(ちゅうこく)の皇謨(こうばく)に出るものであって、この前文は一言一句日本側が作成し、独伊はそのままこれを受け入れたものである。当時賜った詔勅にも、はっきりと万邦をしてその所を得しめ兆民をしてその緒に安んぜしめる肇国の御精神が仰せだされている。三国の協力によって作り出されるべき世界の新秩序が、その根本の精神を日本肇国の神業に汲むことによって明白にされている。

 これに反して敵米英の戦争目的は何であるか。それは、ユダヤの理念たる金権制覇以外の何ものでもない。他民族を呪い、ユダヤ民族のみをいわゆる神選民族として神が特別の恩寵を垂れ、その非ユダヤ民族制圧の野望に対して加護を与えるというユダヤの極めて利己、下賎なる理想こそは、今日、米英戦争業者の戦争目的と完全に一致しているところである」(42P)。 
 太田龍・氏の「長州の天皇征伐」243Pは次のように記している。
 白鳥敏夫は、日英同盟締結以来、圧倒的に親英米派が支配していた日本外務省内で、初めて、反ユダヤ、反英米、ナチスドイツ寄りの立場を明言した外交官として、日独伊三国同盟を推進した。そのために、敗戦後、米英ソ戦勝連合国の東京裁判で「A級戦犯」の一人として訴追され、終身禁固の判決を受け、獄中病死している。

【「河豚(ふぐ)計画」】
 1938(昭和13)年、「河豚(ふぐ)計画」が立案され、その年、近衛文麿首相、有田八郎外相、池田成彬蔵相、板垣征四郎陸相、米内光政海相の閣議で決定された。実行担当者は財界の鮎川義介と特務機関を主として民間人がこれを補佐する大プロジェクト秘策となった。

 その内容は、当時ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人の国家を満州のソ連国境地帯に建設することでユダヤ人と同盟し、ひいては日米の和平を講じるというものであった。М・トケイヤー氏は、「この政府案が実行されたら、第二次大戦による日本の敗戦もなかったろう」と云われている。しかし、この裏交渉は、日米ユ双方の事情から失敗した。
 いわゆる満州国建国におけるユダヤ人定住計画「河豚計画」について

 日本は満州国にユダヤ人コロニーを用意した(1)2011-08-20
 http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10991704086.html

 日本は満州国にユダヤ人コロニーを用意した(2)2011-08-23
 http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10994774846.html
 日本は満州国にユダヤ人コロニーを用意した(3)2011-08-24
 http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10995534303.html


戦前戦中のユダヤ研究がデジタルライブラリーで見られない [政治・社会]

アメリカが在日を使って日本を支配している件」
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/867.html
電通の傘下には共同通信と時事通信が存在する。 ニュースみてたらわかるが、テレビや新聞で流すニュースはほぼ全てが共同通信とロイターで構成されている。 ロイターについては後述するが、共同通信は地方含めすべてのテレビ・新聞・ラジオと契約または加盟している。 つまり、共同通信が情報を発信、論調の統一を実行していて少しでも反抗すると何故か右翼が速攻で嫌がらせをしてくる(後述します) つまり、電通がメディア界総てを支配していて思い通りに操れるのだと考えて下さい。 時事通信の方はというと、傘下に創価学会と統一教会が存在します。

ロイター通信がユダヤ勢力の支配下にあると言うことを、武田誠吾が昭和19年に「新聞とユダヤ人」においてすでに指摘しています。(実際はユダヤ勢力を盾にして後ろにキリスト教がかくれていると思っています。)
しかしこれらのユダヤ研究があったことを、陰謀論を知るまで私は知りませんでした。
武田誠吾のほかに四王天延孝(陸軍中将)などが研究していました。
国際ユダヤ力の研究が戦後に封印されている。


それで武田誠吾について調べていたら、
http://ameblo.jp/ryutarokase/entry-11821487714.html
最近、戦前戦中のユダヤ関連の資料が国立図書館の近代デジタルライブラリーから消されている様だが、当局の自主規制であれ、一部団体の圧力に屈したのであれ、思想洗浄を憂う。

実際に「武田誠吾」を国会図書館でサーチしてみれば、
http://iss.ndl.go.jp/books?rft.au=武田誠吾+著&search_mode=advanced
デジタルコレクションは「館内限定閲覧」となっており、中身を見ることができないようになっています。
そして国会図書館で閲覧するには、個人データを晒して、登録しなければ見られない。

そしてまた「れんだいこ」さんのブログが、2017年4月19日現在みられなくなっています。
「れんだいこ」さんは、ユダヤ勢力はじめたくさんの著書を読み、分析されてきた方。
それを自ら消すことは考えられない。なにかがあったのではないかと思います。

今ならキャッシュで見られます。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:UxXPXpzhoX8J:www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/senzennokenkyuco.htm+&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=safari

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:xQ34u4j-TdEJ:www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/hanyudayasyugico/nihonnokenkyushi/shitennoshinokenkyuco.html+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=safari

なにかがはじまっているようす。