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剣を抜いて撃殺?漢字廃止論の怖さ [神社・神話]

「国史体系 第七巻 古事記 先代旧事本紀 神道五部書」
発行所 国史体系刊行会
発売所 吉川弘文館、日用書房
昭和11年発行

漢文で、返り点とかあります。
ぱらぱらと流し見。

先代旧事本紀はいろんなバージョンがあるらしく、10巻のものと72巻で「先代旧事本紀大成経」といわれるもの、31巻のものとかあるそうです。
こちらに載っているのは10巻のもの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/保食神
保食神(うけもちのかみ)は、日本神話に登場する神である。『古事記』には登場せず、『日本書紀』の神産みの段の第十一の一書にのみ登場する。神話での記述内容[1]から、女神と考えられる[2]。
天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。

月夜見尊は汚らしいと怒った。
「是時月夜見尊憤然作色曰。穢哉。」

日本書紀では保食神(うけもちのかみ)は、月夜見尊に殺されたように読めます。
この先代旧事本紀2巻では、
「抜剣撃殺。然後復命。」
復命って生き返ったのかと思いましたが、命令に従ってした事の経過・結果を命令者に報告することなんだそうです。


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wikipediaによれば、「先代旧事本紀は、現在では大同年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~906年)以前に成立したとみられている。」とあります。

1100年も昔のものをちょっとは読むことができる。
漢字って素晴らしいと思います。

以前にも「漢字廃止論の危険さ」で書きましたが、
http://kusunoki-456.blog.so-net.ne.jp/2016-12-04-2

明治期にも、昭和の戦後にも漢字をなくそうとする動きがありました。
これで学校で漢字が教えられなくなり、刊行物から漢字がなくされると、もうこんな古代のものは一部の研究者しか読めなくなっていたわけです。

学校教育で、毎年教えられてたくさんの漢字を読み書きすることができ、中国の文献だって、少しは読めるわけです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/柴田武
柴田 武(しばた たけし、1918年7月14日 - 2007年7月12日)は、日本の言語学者、国語学者。東京大学名誉教授、埼玉大学名誉教授。文学博士(東京大学)(1969年)。愛知県名古屋市生まれ。
方言地理学、社会言語学などの研究を続け、「日本の方言」(岩波書店)などを著した。『新明解国語辞典』(三省堂)や『類語大辞典』(講談社)の編纂にも参加した。長く、NHKテレビ『日本語再発見』に出演し、1985年、NHK放送文化賞を受賞。私的な側面では国字ローマ字論の第一人者であり、財団法人日本のローマ字社の理事長を長らく務めた。
太平洋戦争終結後、1948年(昭和23年)に「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という偏見から、GHQのジョン・ペルゼル[1]による発案で、日本語をローマ字表記にしようとする計画が起こされた。そして正確な識字率調査のため民間情報教育局は国字ローマ字論者の言語学者である柴田武に全国的な調査を指示した(統計処理は林知己夫が担当)。1948年8月、文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)により、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み書き能力調査」が実施されたが、その結果は漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率が非常に高いことが証明された。柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、「識字率が低い結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱね[2]、日本語のローマ字化は撤回された[3]。この話は2010年9月23日放送のみんなでニホンGO!で取り上げられた[4]。

国字ローマ字論の第一人者に調査させるGHQの卑劣さと、
国字ローマ字論の第一人者であるのに、自分の主張に沿わない調査結果をごまかさない柴田 武。
これぞ日本人って気がします。
足を向けては眠れません。

「漢字を廃止した韓国は今になって後悔?=「日本でさえ漢字を廃止することはできなかった」「韓国の歴史書は全部漢字で書かれてるのに」―中国ネット」
http://www.recordchina.co.jp/b151187-s0-c60.html

「ハングル専用の弊害:「漢字を廃止した韓国」で知的荒廃が起こっている」
http://nettaro-note.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-59b0.html
・韓国の漢字廃止は1948年に大韓民国が成立し、公用文は「原則的にすべてハングルで書くべし」との法律が制定されたことに始まる。しかし政府の推奨にも関わらず、公用文、新聞、専門書などからは依然として漢字がなくなることはなかった。漢字廃止には専門家たちの反発が大きかった。
・韓国の学校教育で「漢字廃止・ハングル専用政策」がとられるようになったのは、1968年春から。(当時の韓国では小学校4年から漢字を教えていた)
・漢字廃止政策以後の韓国では、教科書をはじめ、新聞・雑誌・書籍からレストランのメニューに至るまで、漢字はほとんどその姿を消してしまっている。
・韓国語は漢字を廃止したために、日常的にはあまり使われない、しかし概念や理念を表す言葉、各種の専門用語など、伝統的に漢語で表されてきた重要な言葉の多くが、一般にはしだいに使われなくなっていった。各種の評論・研究論文や新聞・雑誌の記事に、総じて書き言葉の世界に、語彙の恐ろしいまでの貧困化がもたらされた。
・現在の韓国人が書く文章は一般的に、簡潔、単純、直接的という傾向が強く、言葉の奥行きがきわめて浅い。
・現在、漢字教育を受けることなくハングルだけで育った者たちが韓国人口の大半を占めるに至っている

「ハングルの弊害は「知力の向上」が望めない」
http://ameblo.jp/hironk2005/entry-11555595300.html
こうした現象の大きな原因の一つが「漢字廃止」である。私が中学生だった1970年の春、韓国は学校で漢字を教えることをやめた。私の世代以降は“ハングル専用世代”となり、50年近く経った今日では約8割の国民がハングルしか読めなくなってしまった。
韓国語の語彙は漢字由来の「漢字語」が約7割を占める。それを表音文字であるハングルだけで表わすのだから、日本語を平仮名だけで書くようなものだ。自ずと同音異義語の判断に迷うことが増える。
さらに恐ろしいのは文化の断絶である。古典や史料がどんどん読めなくなり、大学の研究者たちでさえ1960年代に自らの指導教授が書いた論文を読むことができないのだから、問題の根はとても深い。
 折に触れて漢字の復活が議論されたが、「世界一優れた文字を守れ」と主張するハングル至上主義者たちの反対に遭い、今や教師の世代に漢字を教えられる人材がいなくなってしまった。自分たちの大統領である「朴槿惠」はおろか、過去の調査では大学生の25%が「大韓民國」を漢字で書けないとするものもあった。


漢字を廃止して、また再開しているようですが、漢字を学校で教えられなかった世代はずっと教えられることがない。
先人が残した歴史を読むことができない。
これはとても大きな損失です。
韓国の方が「彼ら」の強い影響下にあることがわかります。

多くの天皇の母は藤原氏 [神社・神話]

藤原氏って多くの天皇の母親なんですね。
20170416-2.JPG
「角川日本史辞典」の大王・天皇表(舒明ー今上)までの天皇の父親、母親、即位年月日、退位年月日の表をみると、97人の大王・天皇のうち、母親が藤原氏なのは64人もいました。
実に66パーセント。
藤原とつかなくても、実は藤原氏の出であるという人まではちょっとわからないので、実際はもっと多いかもしれません。

藤原氏が母親で一番古い天皇が、聖武天皇。
一番新しいのが孝明天皇。明治天皇の前の天皇です。

明治天皇の母の中山慶子を調べると、父は中山忠能。
中山忠能の父は藤原北家の花山院流権大納言・中山忠頼とあるので、この方も藤原氏の系列。

大正天皇の母、柳原愛子を調べると、
柳原家(やなぎわらけ、やなぎはらの読みは慣例)は、名家の家格を有する公家。京都十三名家。藤原北家の日野家の分流。
これもまた藤原氏の系列。

この二人を含めると、母が藤原氏系列は66人になります。

また、佐藤、加藤、斎藤、工藤、安藤、伊藤など、「藤」がつく苗字は藤原氏の流れなんだそうです。
http://style.nikkei.com/article/DGXBZO18679650S0A121C1000000?channel=DF280120166607&style=1
名字研究家の森岡浩さんによると、こうした「○藤」さんは、基本的に藤原氏の末裔(まつえい)であることが多いそうだ。ただ、平安時代に藤原一族が朝廷の要職を席巻したため、藤原とは別の名字を名乗る必要が生じ、自分の領地や職業と、藤原の「藤」を組み合わせた新しい名字をつくったらしい。
 それなら、実力者、藤原氏の一族であることを示しつつも、藤原氏と区別した名字を名乗れるからだ。 身近にもその苗字の人はたくさんいます。

地域名+藤や、職業名+藤となっていて、地域的に偏りもあるそう。
藤原氏の一族であることを示しつつも、藤原氏と区別した名字を名乗れる
結局は苗字を変えて、重要職を独占していたってことでしょうか。

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20170416-1.JPG
こちらは名数表というそうです。
六家集とはどれをいうか、七卿落ちとはだれをいうかとか、まとまっていておもしろいです。

八部衆
https://ja.wikipedia.org/wiki/八部衆
八部衆とは8つの種族という意味である。これにはいくつかの説がある。通常に用いられるのは『舎利弗問経』を基本に、『法華経』や『金光明最勝王経』などの説により、天衆、龍衆、夜叉衆、乾闥婆衆、阿修羅衆、迦楼羅衆、緊那羅衆、摩睺羅伽衆の8つを指す。
ただし、奈良・興福寺の著名な八部衆像の各像の名称は上述のものと異なり、寺伝では五部浄、沙羯羅(さから、しゃがら)、鳩槃荼(くはんだ)、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、畢婆迦羅(ひばから)と呼ばれている。
なお、四天王に仕える八部鬼衆は、これらの八部衆と名称も類似し一部重複するので間違われやすいが基本的に異なる。ちなみに八部鬼衆は、乾闥婆・毘舎闍・鳩槃荼・薛茘多・那伽(龍)・富單那・夜叉・羅刹の名を挙げる。 法華経の序品(じょぼん)には、聴衆として比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷(出家在家の男女)などの「人」のほかに、この八部衆を「非人」として名が連ねられている。

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八部衆とは8つの種族という意味。
宇宙からやってきたのは、一つの種類ではなく、龍・爬虫類タイプやら鳥頭タイプやら阿修羅のように多面のものもいるように思えます。