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「先代旧事本紀 大成経」を撮影したもの [神社・神話]

こちらで「先代旧事本紀 大成経」を撮影したものが見られます。
ありがたいことです。
http://base1.nijl.ac.jp/iview/Frame.jsp?DB_ID=G0003917KTM&C_CODE=0257-004701

【正部】三十八卷。

目録(目次)が38コマからはじまります。そこまでは序文とか追加の文。

31コマには
臣秦の大連河勝謹て白・・・
天皇三十年秋九月望也
延宝七巳未季秋九月日
江戸室町三丁目戸嶋惣兵衛刊行

35コマ
豊受皇太神官神主
注進可早注次第上奏破却於偽書先代旧事本紀大成経新刊之?板間之?
(新刊の先代旧事本紀大成経は偽書だからなるべくはやく破却を上奏されるよう注進いたします?)

36コマ
大内人正六位上度会神主氏種
延宝九年六月十日

神主の大内氏種が注進?
延宝は1673年から。
江戸時代で霊元天皇の時代。

60コマには
九社大神の祭
五瀬大神(いせ)があります。
「五」は「いつつ」と読むことから字をあててますね。

「日本会議と神社本庁」宇佐神宮 気多大社 [宗教]

森友学園問題で話題を集めている日本会議。
それでこちらの本を買ってみました。

「日本会議と神社本庁」 週刊金曜日成澤宗男編著 2016年

P.140には、
政治運動化する神社本庁の暗部 神社乗っ取り事件
大分県宇佐市の宇佐神宮
日本会議の中核として存在感をみせている神社本庁。全国約8万5000社のうち約7万9000社の神社を包括する巨大な宗教法人をめぐる不可解な事件を追った。

宇佐神宮は全国に約4万600社ある八幡宮の総本宮。
2008年、病気療養中の宮司の後任として、代々の宮司家である到津家の長女で権宮司(宮司の代理)の職にあった到津克子さんを宮司に選任することを、宇佐神宮の責任委員会で決定し、任命権を持っている神社本庁にその任命を具申したが、神社本庁からはなんの返答もなく、裏であからさまな人事介入をしてきた。
病気療養中の宮司がなくなると、元大分県教育委員長がきて、後継者に当時の宮内庁掌典長を天下りさせるから承認せよといってきた。官僚の天下りはだめだと断ると、神社本庁は、宇佐神宮のような大きなお宮の宮司には女性は任命しないといってきた。

P.146には
田中副総長(当時)=岩清水八幡宮宮司が「だれが宮司になんかするか!世襲は田中(自分のこと=岩清水八幡宮)、千家(出雲大社)、西高辻(太宰府天満宮)の三家だけじゃ。宮司じゃないと(神社本庁を)脱退できないからな。気多大社みたいにはいかんぞ」といった。

神社本庁からの脱退を決めた気多大社(石川県羽咋市)に対し、神社本庁は06年8月、当時の宮司を懲戒免職にし、石川県神社庁長を兼任宮司に任命。この処分を不服とし、気多大社は裁判に訴え(被告は文部大臣)、10年4月、最高裁が気多大社による神社規則変更(神社本庁からの脱退)を認める決定をした。

ほかにもP。153には香川高松市の冠糸嬰神社(糸嬰で一文字)が、乗っ取られた、神社本庁に狙われたとあります。


大きいお宮の宮司は男性でという考えは理解できますが、いろいろもめているようですね。

法隆寺五重の塔北面塑像群:嘆きの表情のものはあとで追加されたもの [宇宙人・レプティリアン・爬虫類人]

法隆寺五重の塔北面塑像群には、龍を頭にのせたものや、鳥の頭をしたもの、腕が4本顔が3つの阿修羅像など異形のものたちがいます。
それでもっとよく知りたいと思い、「原色日本の美術2 法隆寺」というでかい本を借りてきました。昭和41年発行です。

これをみて思ったのが、法隆寺五重の塔には、東西南北に4面の場面がありますが、他の面の像は間を開けバランスよく配置されているのに、北面だけなんとなくぎっちり配置されている印象を受けました。
バランスが悪く感じられるのです。

像の一体一体を見ていくと、ほとんどがわりに穏やかな表情をしているのに、北面には口をあけて大げさになげいている十大弟子や従者のものたちがいます。
そしてその大げさに嘆いているものは、釈迦がなくなっていく場面である、北面の前の方に配置され、八部衆といわれる異形の者たちは後ろの方に追いやられています。

それで大胆予測ですが、これら口を開けて嘆いているもの(八部衆は除く)は後期に追加された像で、本当は八部衆と言われる異形の者たちが前面に出てきていたんだろうと思います。
これらのものたちの存在を薄めたい勢力がその改変を行ったであろうと。
もともとは一体どのような配置だったのでしょうか。

20170408-3.JPG
やけに後ろがこみあっている北面。

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ゆったりの東面。

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配置図 北面以外はゆったり。

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異形のものや頭に龍がのぞいていたり、鳥などをかぶっているものたち。八部衆。

https://ja.wikipedia.org/wiki/法隆寺の仏像
4場面に計90躯以上の塑像があり、後補の像を除いた80点(78躯2基)が国宝に指定されている。80点の内訳は、北面が32躯、西面が29躯と金棺1基、舎利塔1基、東面が16躯。南面はほとんどの像が後補で、弥勒仏像1躯のみが国宝になっている。
五重塔の昭和修理時の所見では、創建当初は須弥壇が現状より狭かった。創建後しばらくして(50年以内という)、心柱の根元が腐朽したため修理が行われ、その際に須弥壇を改造して広げたものとみられる。この改造以前には現存する塑像をすべて配置するだけのスペースはなかったとみられ、一部の像は改造時に追加された可能性がある。
北面は中央に横たわる釈迦涅槃像を含め、計34躯の塑像を配置し、うち後補の2躯を除く32躯が国宝である。釈迦涅槃像の像長98.0センチ。その他の像は18.1〜58.9センチ。中央手前にいて、釈迦の脈を取るのは医師の耆婆大臣(ぎばだいじん)である。釈迦の背後には菩薩像2体が坐す。その左右には僧形像、俗形像、天部像などが坐し、冷静な表情の者もいるが、大部分の者は釈迦の入滅を悲しんで悲痛な表情を見せ、袖を顔に当てる者、大口を開けて泣き叫ぶ者などもいる。なかでも、最前列の左右に並ぶ7体の羅漢像は両手で胸を叩く、天を仰ぐなど、激しい身振りと表情で悲しみをあらわにしている。これら7体の羅漢像は、誇張された表現が他の像と異質であることから、和銅4年当初の像ではなく、後に追加されたものとする説もある[66]

**********
やっぱりそう思う人がほかにもおられました。

このwikipediaの注釈66はどれのことかわかりにくいです。
『国宝法隆寺展』(展覧会図録)斎藤理恵子「五重塔塑像群」

大橋一章編著『論争奈良美術』、平凡社、1994
大橋一章「止利式仏像の源流中国南朝か北朝か」
斎藤理恵子「法隆寺金堂釈迦三尊像の制作年代笠井・大橋論争」

先代旧事本紀大成経 伊勢神宮と、宇佐神宮がのってないー>日本会議へ [神社・神話]

http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sendaikuji/taisei.htm
先代舊事本紀大成經七十一に、神社本紀という神社リストがあります。
これをみると最初に書かれているのは三輪大社、次に古降大社で、最後に「通計一百三十有四國,都和二百十有三社。內,三神社號闕」と書かれています。
「號」は号。
「闕」は欠けているという意味です。
風速國一神、第谷國一神は號闕とあるから、欠けている。
このリストを数えてみると、134国、199社でした。

国の数は一致しているけど、14社数が合いません。
羽咋国、出羽国、城居国、淡道国、粟葉国、火後国、飽饒國については二神または三神とあるところ、いずれもひとつ足りない。でプラス7しても206社、7社差がある。
欠けている3社を足しても209社。4社足りない。
熊野國二神とあるけど3つ書かれていて、洲石國一神とあるけれど2つ書かれている。射甚國一神も2つ。

ざっとみたところ、伊勢神宮と、宇佐神宮は記載されていません。
伊勢神宮の創建は内宮:垂仁天皇(第11代天皇)26年で、外宮:雄略天皇(第21代天皇)22年。
西暦でいう年号がはっきりしていない時代です。
wikipediaによると(904年~906年)以前には先代旧事本紀は書かれているということですから、この2社が書かれていないのはおかしいですね。
「先代旧事本紀大成経」は聖徳太子によって編纂されたとあるので、622年までに作られている。
伊勢神宮と、宇佐神宮は今と名前が違うんでしょうか。

(追記)
伊勢神宮ありました。
・伍瀨國三神:雲樁神社、菟道神宮、豐受神宮
豊受神宮が載っていました。これが伊勢の下宮ですね。

宇佐神社ありました。
豐前國一神:速艫神社
菟狹國一神:菟狹神社
豐後國一神:椎原神社
豊前と豊後にはさまれた菟狹。これが宇佐ですね。
(追記ここまで)

「伊勢神宮も秦氏が関係している」
http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11474323724.html
秦氏は渡来人であるのに、日本に神社を数多く建立しています。
宇佐八幡宮や伏見稲荷大社のみならず、松尾大社、金刀比羅宮、白山神社、日吉大社、諏訪大社、宗像大社、愛宕神社などもそうです。
そして、神社の頂点ともいえる伊勢神宮の創建にも秦氏が関わっていたのです。
伊勢神宮は、元々現在の場所にはなく、最初に祀られた場所は笠縫(かさぬい)神社のある所でした。
現在は、祠しか残っていないそうですが、建っている場所は奈良の秦楽寺(じんらくじ)の境内になっています。
ここは、古代から雅楽の拠点であり、秦氏の氏寺でもありました。
伊勢神宮は、伊勢に鎮座するまでに全国各地を転々と移動して来ましたが、元伊勢の創建にも秦氏が深く関わっていた事が分かります。
イスラエルとはイセラエルのことで、古代ヘブライ語で「 栄光なる伊勢」という意味だそうです。
イエスキリストを「イサ」と呼ぶ国もあるそうです。
伊勢神宮は、内宮に天照大神を祀っていますが、伊勢神宮の創建に秦氏が関わっている以上、天照大神も秦氏と無関係ではないでしょう。
余談ですが、秦氏の建立した広隆寺には弥勒菩薩があります。
国宝の第一号に指定されたお方です。
こちらの写真のキリストと弥勒菩薩の手のしぐさを見比べて下さい。
全く同じですね。
このポーズは中央アジアのキリスト教関連の遺跡でも見られるもので、当地の原始キリスト教徒やネストリウス派キリスト教徒が描いた宗教画の中でイエスがとっているポーズで、三位一体を象徴するポーズだと言われています。
広隆寺の弥勒菩薩が同じポーズをとっているということは、イエス・キリストが仏教の神々の中に組み込まれ、弥勒菩薩として信仰されるようになった結果とも考えられます。
広隆寺は仏教以外の宗教の寺院として建立され、後に仏教寺院に改変されたとする説は、かなりの信憑性をもって語り継がれている事実です。
仏教において弥勒とは“未来における救世主”を意味し、弥勒が下生することで犯罪・天災・戦乱のない至福の世界が訪れるとされ、キリストの再臨により地上に至福の「千年王国」が訪れるとする聖書の教えにそっくりなのです。
日本に伝来した大乗仏教そのものがキリスト教(原始キリスト教)の影響で成立したという説があり、現在ではかなりの信憑性が認められています。

なんと伊勢神宮、宇佐八幡宮や伏見稲荷大社のみならず、松尾大社、金刀比羅宮、白山神社、日吉大社、諏訪大社、宗像大社、愛宕神社などが秦氏の建立だったとは!!!
だからここにのっていないのですね。

伊勢神宮が日本の第一の神社とされ、
宇佐神宮は全国に4万社あまりある八幡様の総本宮で、
伏見稲荷が全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社で、
香川県琴平町の金刀比羅宮が全国に約600社ある金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)の総本宮となっている。

そして伊勢参り、金比羅参りという住民を煽動するキャンペーンの数々。
そして神社本庁が動かす日本会議。
ということは、彼らは今も権力をにぎっているということ。

だから「先代旧事本紀大成経」は偽書というレッテルを貼られている。

「秦氏の謎」
http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11472938020.html
「新撰姓氏録」によると、太古の日本に海を渡りやって来た大集団が記録されていた。
「弓月国(カザフスタン付近)の王が19万431人の民を引き連れて日本にやって来た」とある。
彼らの名は秦氏。
仁徳天皇に、秦氏は絹などのシルクロードの交易品を献上したという。
秦氏の中心的人物が、秦 河勝だった。
彼は、聖徳太子の側近として太子の功績に大きな影響を与えたという。
秦氏が本拠地としたのが京都。
広隆寺は、聖徳太子の為に秦氏が建立したものである。

コメントから
最近知ったのですが、飛鳥昭雄氏によると、秦河勝が聖徳太子自身の正体であり、また、小野妹子 ・蘇我馬子も別名ではないかと飛鳥昭雄氏は著書に書かれておりましたよ。 歴史を調べると調べるほどに、頭がごちゃごちゃになっているこの頃です。

いやらしい話ですが、団体としてまとめているからには必ず会員料みたいなものをとっているだろうと思ったらやっぱりそうでした。
国連や、IMF、世界銀行、ユニセフ、ユネスコなど世界機関と同様で、団体を組織し、お金を集め、上前を頂戴する。
やはりとってもユダヤ的なお金儲けです。
ひたいに汗して労働することを好まず、寄生的なことを行なってお金を得ようとする特徴があると。
「新聞とユダヤ人」に指摘されている通りです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/神社本庁
全国の傘下の神社で得られる神宮大麻(天照大御神の札)の初穂料のうち、半分が神社本庁の収入とされる。残りの半分は伊勢神宮の収入となる[24]。これによる2001年(平成13年)度の神社本庁の収入は約35億円だった[24]。なお、神社本庁は傘下の神社に対し、一定数の神宮大麻の頒布を求めており、規定数に達しない場合も傘下の神社は札を返さない、と週刊ダイヤモンドは報じている[24]。神社本庁は、神宮大麻の頒布を活動目的の一つとしている[25]。

「神社本庁傘下の各末社は神社本庁に上納金みたいなのを納めているのですか?」
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1456395179
氏子が100戸以下の神社で、3万円前後です。
明治神宮だと数千万円になるらしく、金額に関して神社庁と対立。離脱する騒ぎになってましたね。

「神社庁からの脱退を考える(-_-)ウーム」
https://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/38575681.html
簡単に言うと、神社界の総元締めみたいな存在です。ウチの神社も傘下に入ってるわけです。 神社負担金を納めています。神職さん同士の組合組織をイメージすれば分かり易いかもしれません。
ところで、各都道府県の神社庁のトップの方々や職員の給与は、我々の「神社負担金」などからも支出されています。
そして、これといって「減給や罰則」がありません。
しかも、人事の面では、かなり保守的な組織です。

「神職の年収」
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1340187045
151 :名無しさん@京都板じゃないよ:2012/12/13(木) 07:00:12.64
本庁に属しているメリットは、神宮大麻を頒布させて頂ける。
遷宮の募財をさせて頂ける。
我慢強くなれる(研修を受けても中々袴の色を変えて貰えない)
全国約2万人の同業者からあなたは正しい神職だと認められる(本庁傘下のみ通用)
毎年、負担金を支払うのと交換に、幣帛料が頂ける。
神道政治連盟に自動的に加入出来る
日本会議(新興宗教との連携右系団体)の構成員になれる
神社の由緒とは関係無い、戦後設立の60余年の神社本庁の加入メリット。

176 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/21(金) 22:53:14.06
>>174 >>175 明治以前からの歴とした社家は世襲社家 >>158は世襲社家の分家筋だから世襲社家筋の家系 明治以後に旧士族などが府県社などに神官として派遣されて神職を世襲した家系は維新後新社家 戦後に養成機関を卒業して、別表神社に就職して、そこから別の民社の宮司になって神職を世襲した家系は戦後新社家
社家の相続者ではない次男や三男などが、実家とは別の神社の宮司になって神職を世襲した家系を新分社家
世襲社家や世襲社家筋の家系は在来種、近年の神社界で権力を掌握しているのは、維新後新社家・戦後新社家・新分社家の外来種、ブルーギルやブラックバスみたいなもの

198 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/22(土) 23:08:53.15
>>197 おいおい、「民社の世襲社家」だなんて…いい加減に薩長の刷り込み=洗脳教育から自由になっておくれよ。 地域の鎮守社に、本来は神職なんていなかった(要らなかった)んだよ。 その土地の方たち自身の手で廻りもちで潔斎して、神主を務めていた。それぞれの地域の作法でお祀りして。(これを「年神主(としかんぬし)」という。) それをブッ壊して、日本全国をくまなく線引きして氏子地域を勝手に決め、全神社にサラリーマン神職を派遣して統一祭式を押し付けたのが、薩長軍事政権とそれに連なる現在の神社本庁教=キリスト教式のエセ一神教。 そろそろ、こんなバカげた仕組みをひっくり返して、それぞれの地域の住民が自分たちの鎮守さんを取り返して、血の通った神さんとのおつきあいを復活させる時がきていると思うんだ。

199 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/24(月) 07:25:35.28
>>198 民社は奈良・平安以来の世襲社家で持っていたが、神仏習合や没落したりして江戸時代には少なくなっていたが、それでも存続していた家系はあった 明治になって神仏分離で別当寺の手から離れた神社、没落して神職が不在の神社、藩閥政府に目をつけられて神職が追放された神社に、藩閥政府の息のかかった旧士族などを神官に仕立てて入れた

206 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/25(火) 15:45:42.82
そして新社家と新平民(穢多・非人)とは多く出自を共有している。


208 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/25(火) 19:34:41.87
まあ、それ以外に多い事例として、神仏習合どころかれっきとした寺だったのを、薩長土人がムリヤリ神社に改変したとこに新社家を置いたのがテンコモリなんだよな。 大宰府天満宮(←天台宗安楽寺延壽王院門跡) 石清水八幡宮寺(真言宗東寺末。「宮司」はツネキヨで四代目。本当の別当家(新善法寺=菊王路家)は薩長の政策に抗して犬神人あがりの田中家によって追放される。) 鶴岡八幡宮寺(天皇御筆の「八幡宮寺」の勅額の「寺」の部分を、薩長エッタがノコギリでギコギコ切り落とし…。) 熊野那智大社(←熊野那智大権現。神職はおらず。) …等々。祗園・感神院(比叡山末。現在のいわゆる八坂神社。)などは言うに及ばず。 …長野の善光寺まで「善光神社」にされかけていたのだから、本当に恐ろしい。 (当時の善光寺上人さまであらせられた伏見宮誓圓尼公さまが「非道の薩長の輩に神佛を語ること能わず。退散すべし。南無阿弥陀佛」と身を挺してお守りになられたから、寺として存続した。)

209 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/25(火) 20:33:28.95
光格天皇は御即位前は僧侶兼山伏で、聖護院御門跡でした。 「修験道禁止令」なるものを出して山伏を弾圧した薩長穢多政府の新興宗教が、如何に御皇室の伝統を踏みにじるものであったのかを語る好例です。

212 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/03/26(水) 09:44:58.31
>>211 「こじつけ」は神社本庁側の言い分 統一祭式は、古社の独立性とその伝統の継承を否定して、国家神道体制下でヒエラルキー的関係に再編するための方便

233 :名無しさん@京都板じゃないよ:2014/04/05(土) 05:30:15.06
祟り神・伊勢社の内宮便所に隣接する足神さん(宇治神社)行ってみ。 薩長政権にムリヤリ挽き潰された二十五柱の土地神さんたちが封印されとるで。 この祭祀歪曲こそ恐ろしいで。

http://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/ise/ise.htm
一方、1531年に警護の的矢氏が九鬼浄隆に滅ぼされ、伊雑の神戸は九鬼氏に横領される。 このことにより伊雑宮は経済的基盤を失って没落していくことになる。 社会が安定してくると、伊雑宮は再興の訴えを度々起こす。その請願活動の中で、伊雑宮の重要性を強調するために、1646年には「伊勢三宮」という表現で内宮や外宮と同格であることを主張し始め、1658年には、ついに、伊雑は内宮の本家という主張を行なっている。
六芒星の石灯籠とは、伊雑宮前の道路や内宮前の道路に建っている石灯籠のことであり、六芒星のマークが彫られている。六芒星は籠目紋(カゴメモン)とも言われるものである。 なぜ、カゴメ紋なのかは不明であるが、一説には、伊雑宮の本来の神紋がカゴメ紋であるためといわれている。
私は、天智・天武天皇の時代に、神代文字の破棄と焚書と歴史の書き換えがあったと考えており、その裏で秦氏が関わっていたと考えている。この秦氏こそ渡来してきたユダヤ系氏族である可能性が高いので、天武天皇が行なった伊勢神宮の創生に秦氏の持っていたユダヤの文化が入っていても不思議ではない。

一部の日ユ同祖論者は、次のように主張している。 近く、伊雑宮が内宮と外宮と同列に扱われるときがくる。そのとき、熱田神宮から伊雑宮に草薙剣(クサナギノツルギ)が戻される。この草薙剣は旧約聖書のアロンの杖である。一方、外宮には、八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)ではなく、籠神社の眞名井(マナイ)神社から移されたマナの壺が隠されていいる。さらに、内宮の八咫鏡(ヤタノカガミ)は、モーセの十戒石版であり、これで、伊勢神宮に旧約聖書の3種の神器が揃う。これらが、本神輿つまりアークに入れられてイスラエルに運ばれるとき、救世主が現れる。 そして、その救世主こそ、天照大神であり、イエス・キリストであるというのだ。 なんとも、荒唐無稽な話ではあるが、私は日ユ同祖論自体には捨てられないものがあると考えている。

先代旧事本紀大成経 龍っぽい特徴を持つ天皇 [神社・神話]

「先代舊事本紀大成經 せんだいくじほんぎたいせいきょう」
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/sendaikuji/taisei.htm
ありがたいことに上記のサイトで72巻のものが読めますが、原文で漢字ばかり。
ちょいちょいはわかるけど、全部はわかりません。

確かにちょっと違った特徴があります。

「先代舊事本紀大成經十七 神皇本紀上卷 上」
「人皇第一代 神武天皇舊事」
神武天皇
 神武天皇,諱神日本磐余彥尊,謚神武天皇。即是彥波瀲武鸕鶿草不葺合尊第四皇子也。母曰玉依姬,海童少女也。
 天皇為神兒,神理神氣性德任立皇極,才堪伏夷狄。身長一丈五寸,身太一圍五寸。頭有兩角,三寸猶雪。尻有素龍尾,長六咫四寸。尾背有太鱗,數七十有二。年百十有五,立為皇太子。是不依兄弟,擇其為王器,立為皇太子,其法之元也。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 神武天皇,諱神日本磐余彥尊,神武天皇とおくりなす。これすなわち彥波瀲武鸕鶿草不葺合尊の第四皇子なり。母は曰玉依姬,海童少女なり。
 天皇為神子,神理神氣性德任立皇極,才堪伏夷狄。身長は一丈五寸,身の太さ一圍五寸。頭にふたつの角あり,三寸で雪のごとし。尻に素龍尾あり,長さ六咫四寸。尾背に太鱗あり,数は七十有二。年は百十有五のとき,皇太子に立つ。是不依兄弟,擇其為王器,立為皇太子,其法之元也。

背の高さは約3メートル50センチ、胴回りは、両手伸ばしてひと抱え長さに約15センチ程足した長さ。
頭には9センチほどの角が2本あり、それはまるで雪のような色をしています。背中には龍の様な背びれがあり、その長さは約1メートル20センチ。尾の裏側には大きな鱗が72枚あります。105歳の時に皇太子の位に就かれました。

一丈=3.333メートル。
一寸=3.03センチ
圍 囲む
咫(アタ)とは親指と中指とを広げた長さ。主に円周の長さを表すのに用いた。17~ 18cm前後

===================
「人皇第二代 綏靖天皇」
綏靖天皇
 綏靖天皇,其諱號者神渟井耳尊。天皇更名淳名川耳尊,諡綏靖天皇。磐余彥神武天皇第三皇子也。母蹈鞴五十鈴媛,事代主神大女也。
 天皇風姿嶷,少有雄拔之氣。及狀容貌魁偉,身長一丈。目黃光輝,如辰星矣。於背有鱗,怒則逆立。武藝以過人倫,而志尚沈默也。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 綏靖天皇,其諱號者神渟井耳尊。天皇更名淳名川耳尊,綏靖天皇とおくりなす。磐余彥神武天皇の第三皇子なり。母は蹈鞴五十鈴媛,事代主神大女なり。
 天皇風姿嶷,少有雄拔之氣。及狀容貌魁偉,身長は一丈。目は黃光輝,水星のごとく。背に鱗あり,怒ると即逆立つ。武藝以過人倫,而志尚沈默也。

身長は約3メートル。目は黄色に光り、まるで水星のような輝きを放っています。背中に鱗があり、怒られたときはそれが逆立ちました。
===================

「先代舊事本紀大成經十三 皇孫本紀 上」
天照國照彥天火明玉尊
 天照國照彥天火明玉尊,又名櫛玉饒速日尊,又名瀧磯丹杵穗尊。正彌吾勝勝速日天忍星御水尊之兒,為長子始降。其神母豐蟠秋津石姬命。天祖以天璽瑞寶十種物,授饒速日尊。尊稟御祖詔,乘天磐船,而天降兮,坐於河內國河上哮峰上,遷坐大倭國鳥見白庭山。于時饒速日尊,娶長髓彥神妹御炊屋姬命為妃,而誕生一男一女神。
 兒,熟美真味命。
 妹,熟穗屋姬命。
 先經妊身未及產,而櫛玉饒速日尊,中於毒氣神退之時,命婦女云:「所妊胎兒誕生,當號明道見命。」因號明道見命。一胞而生女矣,號熟穗屋姬命,天隱山命妻也。是一胞兩子,其例之元也。
 遂而饒速日尊于大倭國退神,天祖詔:「神戶及俱諸天神率歸於天上。」先是,饒速日尊坐於高天原時,以神皇產靈尊女天道日媛命為妃,巳誕生天隱山命。今又降臨於豐葦原中津國,而以御炊屋姬命為妃,生明道見命。是王者備后妃,其厥法之元也。

ーーーーーーーーーーーーーーー
素人翻訳すると
天照國照彥天火明玉尊、又の名を櫛玉饒速日尊,又の名を瀧磯丹杵穗尊。
正彌吾勝勝速日天忍星御水尊の子,長子がはじめに降りてきた。
その神の母は豐蟠秋津石姬命。
天祖以天璽瑞寶十種物を,饒速日尊が授かった。
尊稟御祖詔,天の磐船に乗って、天から降りてきた。河内国河内哮峰に座した、次に大倭國鳥見白庭山に移った。
時に饒速日尊は、長髓彥神の妹である御炊屋姬命為妃を娶り、一男一女の神が誕生した。
子は熟美真味命、妹は熟穗屋姬命。
先經妊身未及產,而櫛玉饒速日尊,中於毒氣神退之時,命婦女云:「所妊胎兒誕生,當號明道見命。」因號明道見命。一胞而生女矣,號熟穗屋姬命,天隱山命妻也。是一胞兩子,其例之元也。
 饒速日尊は大倭國の神を退いた。天祖詔:「神戶及俱諸天神率歸於天上。」先是,饒速日尊坐於高天原時,以神皇產靈尊女天道日媛命為妃,巳誕生天隱山命。今又、豐葦原中津國において降臨された,而以御炊屋姬命為妃,生明道見命。是王者備后妃,其厥法之元也。

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ところで検索して出てきた「神皇正統記注解上」著者: 御橋悳言
https://books.google.co.jp/books?id=RUuTPf99JEUC" target="_blank">https://books.google.co.jp/books?id=RUuTPf99JEUC
プレビューで一部見られるのですが、「大やまとは神の国なり」ではじまっていて、あれかなという気がします。
大やまとは神の国なり。天祖はじめて基をひらき、日の神ながく統を伝えたまう。我が国のみこのことあり。異朝にはその類無し。このゆえに神の国というなり。

中央大学に寄贈された蔵書がありました。
http://www.chuo-u.ac.jp/library/paleography/details/commentary/
(24) 御橋悳言氏旧蔵書コレクション
『平家物語略解』(宝文館 1929年)をはじめとして、日本中世の軍記物語に関するすぐれた注釈書を世に出した在野の代表的中世文学研究者である御橋悳言氏(1876-1950)の旧蔵書全688点3772冊(ほとんどが和装本)のコレクションで、1999年に旧蔵者の孫である御橋忠一氏より当館に一括寄贈されたものである。 コレクションは、旧蔵者が浄土真宗大谷派の寺院出身でもあったためか仏教書が約3割をしめるが、そのほか軍記物語、有職故実、歌書類、歴史書、物語文学、名所図会など極めて多岐にわたっている。
(収蔵の経緯)1999年度 御橋忠一氏からの寄贈 

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「ほとんどの神社が宇宙から来た爬虫類生命体「龍」を祀っている?」
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-223.html