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創造主に対して感謝の心を持つべき [聖書]

神なんてと思っていたけれど、日本で巨人の骨がみつかったことを知り、このようなものの存在は進化論では説明できないと思うのですよね。
「ネフィリム 巨人は日本にもいた 岩手一関」
http://kusunoki-456.blog.so-net.ne.jp/2017-08-09-1
陰謀論者の中では進化論なんてうそっぱちといわれていましたが、確信がもてなかったのです。

そうすると聖書など古い文書にあるように、宇宙人が人間や巨人を作ったり、人間が堕落したから一旦滅ぼしてやりなおしってこともありのように思います。

人間や動物たちが地球で生きていけるように、空気や水や食べ物を生み出し、環境を整えてやった。
しかしその創造主である神に人間は感謝せず、好き勝手にしている。

「旧約聖書外典 下」講談社文芸文庫
第4エズラ書を繰り返し読むうちに、創造主に対する感謝の気持ちがわいてきました。
我々を生み出したもの、環境を整えてくれたものに対する感謝を持つべきではないかと。

しかし、聖書に出てくる神はすべて同一人物かというとそうではないと思う。
バチカンによって、都合のいいことを書かれているところもあると思う。

8:1「至高者はこの世を多くの者のためにつくられたが、来るべき世は少数者のためにだけつくられたのだ。(中略)創造されたものは多いが救われるものは少ない。」

悪がはびこり、終末がきたのち、義しいものだけが次の世にいける。

8:50 この世に住んでいる人々はおごり高ぶって生きているので、終末の時には多くの悲惨なことを味わうであろう。だが、お前は自分のことをよく考えて見るがよい。そしてお前と同じような人々の受ける栄光をたずね求めなさい。お前のためには、パラダイスの門が開かれ、生命の木が植えられ、来世が準備され、豊かな富が用意され、安息が予定され、めぐみが確保され、知恵がみたされているからだ。悪の根はお前に対しては封印され、病は消え失せ、死は隠され、地獄も逃げ去り、腐敗は忘れられ、悲しみは過ぎ去り、最後には不滅の宝があらわれるであろう。
だからほろびゆく多くのものについてはもういっさいたずねるな。かれらもかつては自由を与えられたのに、至高者を軽んじ、その律法をあなどって、その道を捨てたのだ。そればかりか、かれらは主の義人たちをふみつけ、心の中で神はいないといった。


大本教でも、良い心のものだけが次の世にいけると言っている。

アヴァンギャルド精神世界
「冥想により、限りなき知性と底知れぬ優しさを。そこに次の時代が・・・。この世はドリームでもあり、リアルでもあり。」
「クリスタル・ピープル」
2005-08-07 06:40:08
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/b20dd393359b48d7a5ac2c5b2e93def0
「この神(艮の金神=宇宙の創造神)が、あっぱれ表面(おもて)になりたら、世界を水晶の世に致すのであるから、改心を致したものから早く致すぞよ。水晶の神代になれば、此の世は思ふようになるぞよ。水晶の霊魂を改めて、神が御用に使うぞよ。身魂(みたま)の審判(あらため)を致して、神が綱を掛けるぞよ。綱掛けたら神は離さぬぞよ。」(大本神諭 天の巻 第一輯/東洋文庫)

「水晶魂を選りぬいて、霊魂の調査致すぞよ。絶対絶命の世になりたぞよ。世界のものよ。改心いたされよ。世が変わるぞよ。ビックリ致すことができるぞよ。改心次第で助けるぞよ」 「今度お役に立てるのは、水晶魂の選り抜きばかり。神が憑(うつ)りて参るぞよ。」 (大本神諭 天の巻 第二輯/東洋文庫)

このように、これから世の大峠、世の中の立て替え立て直しをするのだというが、それを担うクリスタル・ピープル(水晶魂の人)は、どこにいるのだろうか。 「昔から結構な霊魂(みたま)の高い神様ほど、世に落ちてござるぞ。」 (大本神諭 天の巻 第一輯/東洋文庫)とあり、社会的には、下層にいることが示されている。

魂がクリスタルであればあるほど、この世は生きにくいはずであるから、成長するにつれて、社会に対する不適応が表面化するだろう。だから、たとえば引きこもりの人(ニート)の中にだってクリスタル・ピープルがいる可能性は十分にあるのだと思う。そして現代社会にうまく適応している人ほどクリスタルな魂ではないのだと思う。ただしニートすべてがクリスタル・ピープルだなどと言うつもりはない。


「第4エズラ書」解説 によると、(P.303)
この書物の名称はローマ・カトリック協会の公認ラテン語聖書ウルガタに用いられている名称であって、16世紀のジュネーブ聖書以来の英訳(外典)では第2エスドラス書と呼ばれている。ところが、ギリシア語訳(七十人訳)で第2エスドラスといえば今日正典となっているエズラ・ネヘミヤ記の名称であって、きわめてまぎらわしい。
しかも、ウル型で第4エズラ書は現在の多くの訳本のように15章によってなる一巻であるが、後代のラテン語本は(1)1-2章、(2)3−14章、(3)15-16章、と3部に分け、それぞれ「第2エズラ」「第4エズラ」「第5エズラ」とよんでいるので一層わかりにくい。

2010-10-28
「第4エズラ書とエレミヤ書とロズウェル事件」
https://ameblo.jp/002ameblo/entry-10690045929.html
2010-10-29
「ロズウェル事件」
https://ameblo.jp/002ameblo/entry-10690895304.html#main

この第4エズラ書はいつ正典ではなく、外典に含まれることになったのか。

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