So-net無料ブログ作成
検索選択

れんだいこ: 「シオンの議定書」の真贋考 [「れんだいこ」から]

れんだいこさんのサイトが見られなくなっているため、キャッシュよりコピーを作成 全文引用
こういう重要な情報ほど、いつ見られなくなるかわかりません。
みなさんもリンクを貼るのではなく、ぜひコピーを作成してください。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/seito_palesutina_yudayaginmondai_giteisyoco_shinganco.htm

「シオンの議定書」の真贋考
(最新見直し2007.3.21日)

(れんだいこのショートメッセージ)
 日本左派運動は、「シオンの議定書」に対して全く無知状態にある。滑稽なことに、自ら求めて無知状態にしているように見える。「シオンの議定書」を云々し始めるや、一笑に付すのが左派の見識とばかりに聞く耳を持たず、否耳を塞ぐ。2005.3月現在でも相も変わらず、世の自称サヨイストのみならず結構な左派グループ陣営の者からでさえ「陰謀論トンデモ説」が披瀝されている。この作法はどのようにして形成されているのだろうか、れんだいこには解せない。

 恐らく、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキーらがなべて「シオンの議定書」に象徴されるネオ・シオニストの運動に不言及な為であろう。開祖が言及しないものは受け継がないとでもしているのだろう。しかし、当時なら許されても、以来マルクス主義が衰亡し、ネオ・シオニズムが隆盛しているその後の歴史を観れば、ネオ・シオニズムに対する不言及は許されないと云うべきではないか。この態度を採らないのなら、そういう者達のマルクス主義は宗教に化していることになる。そういう連中に限って、我こそは科学的主義屋だと公言する。滑稽というべきか哀れというべきか。

 れんだいこが「シオンの議定書考」を世に問うたのは2004.6.16日頃である。れんだいこは、本サイトで、「シオンの議定書」の考察を陰謀論で一蹴するのではなく、これを真っ当に研究していく必要を提起した。しかし、無視されている。こうなると、「陰謀論トンデモ説」でオカルト批判をしている側の者が変なオカルトに感染しているように見えて仕方ない。本サイトで、どちらがオカルト感染者なのか確かめようと思う。

 2005.3.6日、2006.6.17日再編集 れんだいこ拝

【「シオンの議定書」とは】

 「シオンの長老の議定書(プロトコール、Protocols of the Elders of Zion)」(以下、通称の「シオンの議定書」と記す)は、次のように評せられるべきである。
 「ユダヤ人の恐るべき悪魔的世界征服計画陰謀書にして20世紀最大の怪文書」
 「ユダヤ指導者による世界を裏面から操りながらのユダヤ王国再興世界支配計画」
 「シオンの議定書」が史上に登場したのは、1901年、セルジェス・ニールスによるロシア語版「シオンの議定書」を嚆矢とする。同書で、ユダヤ人グループ内ネオシオニストの陰謀が明るみにされることになった。

 セルジェス・ニールスが「シオンの議定書」を入手した経緯は後述するとして、その底本は定かではない。いずれにせよ、1897.8.29日から31日にかけてスイスのバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議の席上で、ユダヤ人の秘密結社ブネイ・ブリスのメンバーであるアッシャー・キンズバークが発表した「シオン長老作成の24項目の決議文」が存在する、と云う。仮にこれを「シオニスト会議プロトコール」と称することにする。

 元になる原文は誰の手になるものかまでは分からない。近代シオニズムの父デオドール・ヘルツェル博士が書いたものとみなされているが、それは表面的な受取りであろう。内容的に見て、第一回シオニスト会議か恐らくはそれ以前の段階における重要なユダヤ人秘密組織の秘密会議の席上での、「ある長老による三日間講義録」であるように思われる。

 「第一回シオニスト会議」は世界史上の最重要な日となっている。それは、ヘルツェルが主催したとされているこの会議で、政治的シオニスト運動の国際組織「世界シオニスト機構」が創設され、「公法で保証された(世界が承認した合法的な)ユダヤ人のホームランドをパレスチナに創設することが宣言された」ことにある。以降、「土地無き民に民無き土地を」プロパガンダが喧伝されていき、実際にはアラブの民を追い出しながらイスラエル建国となり、はるけき今日の「国際金融資本支配-米英ユ同盟によるネオ・シオニズム全盛政治」にまで至っている、と見なせるからである。

 その「第一回シオニスト会議」開催の動因力となったのが「シオンの議定書」である。いわば、ユダヤ人グループ内ネオシオニストにとって「シオンの議定書」は、キリスト教徒の聖書、マルクス主義者の「共産主義者の宣言」に匹敵する地位を持っていることになる。それほどの重要な文献が、セルジェス・ニールスによって暴露された史的意義は高すぎる。かく認識すべきであろう。

 2006.6.5日再編集 れんだいこ拝

【「シオンの議定書」偽書説とは】

 しかし、通説的には次のように評されている。
 「シオン賢人議定書というのはユダヤ陰謀史観に必ず登場する歴史的偽書」
 かく見なされ、排斥されている。「シオンの議定書」その他を参照すれば、その理由として次の諸説が挙げられている。
1  【「モンテスキューとマキャベリの地獄での会話」底本説】
 1864年、「モンテスキューとマキャヴェリの地獄の対話」が出版された。著者はフランスの弁護士にして文筆家だったモーリス・ジョリー。王政を批判して三権分立を唱えたモンテスキューと、「君主論」のマキャヴェリに仮託させてナポレオン3世を批判した書とのことである。後にジョリーは逮捕されて刑に服すが、出獄後「自殺」している。

 1921年、イギリスのタイムズ紙がこの説を記事にした。同記事は、「シオンの議定書」のかなりの部分が「モンテスキューとマキャベリの地獄での会話」をベースにして書かれた物であると指摘した。
2  【帝政ロシア作成の偽書説】
 1900年代初頭、ロシア帝政内務省の秘密警察の手の者によって書かれた物であるという説が為されている。ロシア政府のユダヤ人弾圧を正当化し、当時燃え上がっていたポグロム(ユダヤ人虐殺)を煽動するための偽文書、という観点が披瀝されている。
3  【ベルンの法廷で偽書説判決】
 1930年代には、ベルンの法廷が偽物との判定を下している。
 以上3説の理由付けで、「故に、シオンの議定書は紛れもない偽書なのだ」と云う。しかし、3説はいずれも異なる見地のものであるのに精査されていない。つまり、「否定するための論拠のあれこれ」でしかない。

 2006.2.3日付け読売新聞の12版で、解説部の波津博明氏は「ハマスの原理主義綱領」の見出しの小論を書いており、その中でシオンの議定書に触れて次のように述べている。
 「ハマスは、ユダヤ人に対し、キリスト教徒などに対するのとは異なる敵対姿勢を示す。『敵は長期の計画で富を蓄え、メディアを支配した。フランス革命や共産主義革命の背後には彼らがいる。フリーメーソンやロータリー・クラブも彼らのスパイ機関である』(22条)。『彼らの(世界支配の)計画はシオン長老の議定書に書かれている』(23条)。帝政ロシアが作成したといわれる偽書さえ援用して、ユダヤ人陰謀説を説く徹底した反ユダヤ主義だ」。
 波津氏は、何の疑いもなく「帝政ロシアが作成したといわれる偽書」と断じている。これによると、上記2説に依拠していることになる。これに関連して、「ユダヤ人問題」は、概要「『ユダヤの陰謀説』が、日本の部落差別同様の排外主義的な一般大衆の不満のはけ口として利用されている」とする見解を示して、次のように述べている。
 「三番目に、ヨーロッパには中世から『ユダヤの陰謀説』が存在した。ペストの際の一般大衆によるデマの流布についてはすでに述べた。1905年には『シオンの議定書』なる反ユダヤ本が現れたが、その内容は、『ユダヤ人は、悪辣な手段を弄して他民族や国家を腐敗、堕落させ、世界を征服しようと企んでいる』というものであった。今日の研究によれば、これはロシアの秘密警察がユダヤ人を陥れるために書いたものだとされている。国家というものは、社会を安定させるために、一般大衆にとっての不満のはけ口を必要とする。日本の被差別部落の誕生に関してもそうであったが、為政者は時に人為的に差別を作り出そうとするものなのである」。
(私論.私見)

 これが通俗的な見解という事になる。しかし、「今日の研究によれば、これはロシアの秘密警察がユダヤ人を陥れるために書いたものだとされている」と云うが、お前は、本当に「シオンの議定書」に目を通しているのか。書かれていることの内容を吟味すれば、「ロシアの秘密警察がユダヤ人を陥れるために書いたもの」なる批判が凡そ不見識であることが分かろう。れんだいこは、「読みもせず分かったような批判だけするな」と言い返したい。

 2006.6.5日再編集 れんだいこ拝

 2004.10.7日、これにつき、我が敬愛すべき木村愛二氏の次のような一文が検索できたので記しておく。「阿修羅♪ 戦争40 」の「Re:コールマン氏:この種の卑しむべき行為の典型は『シオンの長老の議定書』」で、「 『偽イスラエル政治神話』(その30)、原著者ロジェ・ガロディの『結論』」の「(その1)(c)…偽造者と批判的な歴史」から自身が引用している。これを紹介しておく。

 「この種の卑しむべき行為の典型は、『シオンの長老の議定書』である。これについては、拙著『パレスチナ/神の伝言の土地』の中でも、九頁も費やして、警察による偽造の過程を明らかにした。私が教えを受けた原典は、アンリ・ロランが一九三九年に出した反駁の余地のない論証、『われわれの時代の黙示録』である。この本は、翌年の一九四〇年、ヒトラーによる焚書の対象となった。ナチによる反ユダヤ主義プロパガンダの絶好の材料を台無しにする本だからだったからである。復刻本が一九九一年に出版されている」。
 アンリ・ロランは、つぎの二つの剽窃文書を発見した。この二つの文書を基にして、今世紀の初頭、ロシアの内務省の警察官吏、フォン・プレヴが、問題の偽造文書を作成したのである。
1  「一八六四年にフランスのモウリス・ジョリイが、ナポレオン三世に反対する立場で書いた『モンテスキューとマッキャヴェリの地獄での対話』と題するパンフレットである。そのどの章にも皇帝の圧制に対しての、あらゆる批判が転載されていて、すべての政治的支配に対して適用できる内容になっている」。
2  「ロシアからの移民、イリア・ツィオンが、ロシアの大蔵大臣、ヴィッテ伯爵に反対するために出した『ヴィッテ氏の圧制はロシアをどこへ導くか?』という題の評論である。発表されたのは一八九五年であるが、これがまた今度は、一七八九年以前に、カロヌ氏に反対するために出されていた風刺書の剽窃であって、これも、すべての大蔵大臣と国際的な銀行との関係に関して使える内容なのである。この剽窃文書に関しての特筆すべき点は、これがさらに、ヴィッテ伯爵を憎んでいたフォン・プレヴによって、ヴィッテに関する報告の手本にされたことである」。
 以上を受けて、木村氏は次のように評している。
 「この卑しむべき種類の探偵小説的偽造文書は、生憎なことに、かなり利用されてしまった。特に、いくつかのアラブ諸国での利用に関しては、私は、早くから批判を加えている。この誤った利用によって、シオニストとイスラエル、および彼らの国際的な圧力団体は、彼らの中東政策に対するすべての批判を、偽造者の仕業と同一視する機会を得たのであり、それによって、さらに非難を強めることができたのである。

 多くの読者は、結論に到達するのを非常に急ぎ、しばしば、無味乾燥な証拠を挙げる作業を嫌うものである。しかし、以上に列挙した理由にもとづいて、私は、読者には余分な手間となり、疲労の原因となることを意識しながらも、あえて、いかなる問題についても、必ず出典を明示したのである」。
(私論.私見)

 残念ながら、この認識はれんだいこと違う。この種の問題の権威である木村先輩をして何ゆえこのような見解に至らしめるのか解せない。

 2005.10.15日再編集 れんだいこ拝

「名誉のために名を秘す」氏の次のような言説も為されている。
 「広瀬隆『赤い盾』にあるような、マルクスやトロツキーを『ロスチャイルドの手先』呼ばわりするのは暴論の一言に尽きる。このような主張こそ実は古典的な反ユダヤ主義者のいつものデマ宣伝ですよ。つまり、陰謀論者は『歴史をつくるのは人民だ』ということを否定し、『歴史は陰謀や謀略によってつくられる』、『人民は陰謀や謀略によって利用され、翻弄されるだけの無力な存在』という人民蔑視感を抱いている。そして、陰謀論者こそ実は、さまざまな陰謀的な手法を好んで行なうわけです。たとえば、悪名高い偽書『シオンの長老の議定書』の捏造がそうです」。
 「陰謀論者の巧妙な点は基本的に反権力のスタンスを取って、一方で左翼も叩くという事です。彼らも資本主義の矛盾を容赦なく叩き、一方で左翼革命主義者も体制派と同じメーソンとして叩く。アメリカ・ソモサを叩き、返す刀で解放の神学も叩く。革命の高揚期が終わると、7月も2月もパリコミューンもメーソンの陰謀で一蹴されてしまう。ここで、自分が社会を動かしているという実感がなく、自分より権力を持った誰かに社会が動かされているという実感しかなければ、『2月革命はメーソンの陰謀』といわれても『そうかな』としか思わない」。
 「陰謀論は権力者によって、傍観者的・受動的な政治態度しか自分には許されないと思っている人間の不満を代弁してくれる面がある。陰謀論者はこのような主体的能動的闘争を取れずに、苦悩している労働者階級に救いの手を差し伸べてくれるように見える面がある。陰謀論者は全ての論理を引っくり返して民衆を支配をしようとする。自由は圧制であり、革命は独裁である。真の解放は左翼にはなく、彼らもまた代理人なのであると。なんでここまで手の込んだ思想が西欧に出てきたのかといえば、支配者がそれだけ体制崩壊の危機感を持ったからだ」。
(私論.私見)

 この人は自分が云っていることが論旨不明となっていることに気づかないおめでたい質のようである。つまりは、己の器量の甲羅に合わせてのみ理解しようとするからであろう。広瀬隆・氏の「赤い盾」は値打ちものなのであり、卑小せしめるものではない。「歴史をつくるのは人民だ」としても、名指導者と青写真無ければ海図無き航海に似ており成功することが難しい。いわゆる陰謀論の検証は、事態の客観的認識を得る為に必要な共認作業なのであり、悪し様に罵詈雑言して却下すれば良いというものでもない。

 2005.10.15日再編集 れんだいこ拝
 これにつき、「阿修羅」のあっしら氏が20002.11.19日付「『シオン長老の議定書』偽書説について」で、素敵な言い回しで「偽書説の空疎な反論」を衝いている。「『ロシアの秘密警察が1920年代に偽造したと言われ』とあるが、記憶に拠れば、流布しているのは、ソ連時代ではなく帝政ロシア時代(1905年頃)の警察関係者の偽造説ではなかっただろうか?(ご存じの方フォローをお願いします)」の問いに対して次のように述べている。これを転載しておく。
 日本の古代関連文書もそうだが、偽書というのはオーソライズされていないというだけで、嘘か事実かということとは直接関係ない。書かれた時代や伝承経緯を基に真偽性も問いかけられなければならないが、そういう内容を書いた人がいるということのほうが重要である。
 「シオン長老の議定書」は、なかなか洞察力がある人が書いたと推察できるものであり、それが誰によって書かれたものであっても歴史的に重要な文書である。ユダヤ人組織が「シオン長老の議定書」を書いたかどうかはわからないが、ユダヤ人を貶めるために誰かが書いたとしたら、その人は、破格の陰謀力と歴史的見通しを持っていると言える。ロシアの警察関係者が書いたとしたら、それほどの人物を抱えていたロシアの歴史はもっと違うものになっていたと思われる。

(私論.私見) 【「シオンの議定書」に対するれんだいこ見解】
 上述のように真贋を廻って論争が為されているが決着がついていない。その理由として、その内容において「あまりにも露骨な且つ驚倒すべきリアリズム的陰謀論理に基づく世界支配計画」が認められるからである。読了した者には自明であろうが、「シオンの議定書」にあるごとく、「世界支配の陰謀」なるものが存在し、これを座右の書としている勢力が跳梁しているとしたら、それは脅威に過ぎるであろう。これに、かのヒトラーが対峙していたのは事実であるが、実書派も偽書派も取扱いに苦労しているのが実際のところのように思える。

 れんだいこが注目するのは、いわゆる左派圏の否定派の見解である。ネオ・シオニズム派がおのれらの悪行の露見を恐れてこれを否定するのは当然としても、その大胆過ぎる観点からであろうか、左派圏の人たちは概ね「旧体制護持帝政派側からのフランス革命以降の近代的諸革命運動に対する革命抑圧を企図した悪質な逆宣伝偽造書であるとする」見解に依拠している。この観点は、「シオンの議定書」の入手経緯のミステリーさに不自然さを見てとり、ロシア帝政の放った間諜が取得したとされている経緯を疑惑することにより補強されている。

 その真偽は今も不明である。

 実書派の書籍紹介は、「ユダヤの陰謀を窺い知る必読の書」として、次のように述べている。
 「これは“ユダヤの神エホバから選民されたユダヤ人のみが人間であり非ユダヤはすべて家畜(ゴイム)である”とする教義(タルムード)に基づき二千年に亘り蓄積したぼう大な資本力と謀略を駆使し、地上のあらゆる国家、機関、組織、フリーメーソン人脈を利用し尽し、双頭戦略とかくれみの戦術で世界支配と人類総奴隷化を完成しつつある見えざる帝国、国際主義パリサイユダヤの恐るべき謀議の記録である云々」。
 ここで、れんだいこの見解を示せば次のようになる。

 れんだいこは、「シオンの議定書」は、「ユダヤ王による世界支配宣言史書」として紛れもなく存在する、と受け留めている。あまたの偽書説が流布されているが、書かれている内容を読み取った方が早い。さすれば、偽書説が為にする「議定書隠蔽工作」でしかないことが分かる。そういう主張をする者に限って罵倒に終始し、内容の紹介に及ばないのも頷けるところである。「シオンの議定書」の内容があからさまにされることを怖れているのであろうが、議定書派の者ならともかく、何の関わりもない自称インテリが率先して加担しているのは滑稽なことだ。

 偽書派は、「シオンの議定書」を俗に採るに足らぬ「陰謀書」とみなして排斥しようとしている。れんだいこは、それは違うと思う。「シオンの議定書」において「陰謀論」はその要素の一つに過ぎない。しかと聞け。正しくは次のようにみなすべきであろう。

 「シオンの議定書」は紛れも無く、「ユダヤ王国再興を目指してのネオ・シオニスト系ユダヤ人による世界支配計画書であり、政治においては権謀術数論、経済においては金融支配論、文化においては抵抗精神骨抜き論、総合的支配方法としての強権独裁、恐怖支配論に依拠しつつ、ユダヤ王国再興までの間を雌伏陰謀的に処世していくべし、とする教本指南書である」。
 かく評して位置づけるべきであろう。

 これを総称して「陰謀論」とするなら、「陰謀論」という命名自体はおかしくない。しかし、れんだいこのようにそういう陰謀は存在するとして「陰謀論」を受け止めるのではなく、逆に陰謀は存在しないとして「陰謀論」を否定する為に「陰謀論」を唱え、「シオンの議定書偽書説」を吹聴するのなら、連中は実書派の論拠に反論せねばなるまい。果して、その反論を為しているのだろうか。例によって、ホロコースト論同様に「議論せぬのが上策」として単に排斥しているだけなのではなかろうか。

 れんだいこが見るところ、「シオンの議定書」はむしろ対話すべき性質のものである。何とならば、彼らが目指すユダヤ王朝論理の検討にこそ向うべきであろうから。その指摘は、人類社会の警句としてかなり鋭いものが有る。同書の非ユダヤ人諸国家の支配秩序に対する批判は的確で辛辣である。この方面の指摘に対する問答だけでさえ値打ちものであろう。

 その鋭さを思えば、偽書派の云う如く仮にロシア帝政の秘密警察の創作であったとした場合、度の過ぎた体制批判が繰り返し為されており、何のためにそこまで内情暴露する必要があったのだろう、との疑問が禁じえない。

 もとへ。最終的に、彼らが構想する「ユダヤ王社会」の検討に移らねばならない。それがなるほど彼らが自画自賛するほどに秀逸な人類の未来社会なのか、単に戯画的なそれなのか、「悪の論理」による狂信的奴隷社会招来プロトコールなのか、そこを問わなければなるまい。

 我々人民大衆にとっては次のような実践課題が提起されている。「シオンの議定書」で示された運動が実在するとして、旧あるいは現支配秩序を貫く歴史のベクトルを、「シオンの議定書」が説くような「ユダヤ王支配社会」方向に向わせるのが賢明なのか愚挙なのか、後者であるとすれば我々はどのような道筋を対置すべきなのか、していくべきなのか等々が問いかけられているように思う。

 こういう思想的営為を為さずして、「シオンの議定書」を「単なる陰謀論教本」と見なしてその価値を落としこめ、検討を放棄することは、それこそ問題ありではなかろうか。れんだいことしては、「議定書派ユダヤ人頭脳の狂信ぶり」を理論的に明らかにしない限り、「シオンの議定書」研究は終わらないと思っている。内容が高度でもあるので、それにはかなりな能力が要求され、誰しもにできる業ではなかろうが。

 いずれにせよ、「シオンの議定書」は無視されるものではなく格好の理論闘争テキストと見なして大いに検討されるべしであろう。ならば、「5W1H」こそ確認しておかねばならない。現に書物としてあり、それが質疑されるに値する内容を持っていることは事実なのだから、正式書であるとする側からであろうと偽書であるとする側からであろうと、何時ごろ(when)、何処で(wheres)、誰が(who)、何の為に(why)、何を(what)、如何にして(how)書かれたのものなのか、如何に露見することになったのか、如何に歴史的に登場することになったのか、を確認せねばなるまい。

 これを為さずして、「ユダヤの陰謀実書か偽書か論」に拘泥するさまは詰まらない。内容的に見てかなり重要なメッセージの宝庫である以上、加えて世界の諸事情が現に「シオンの議定書」に書かれている如くに推移しているように見える以上、その内容に習熟し吟味せねばならないだろう。孫子曰く「敵を知り己を知らば百戦闘うも危うからず」ではないか。実際は、「シオンの議定書を知らず、己を知らず、百戦闘うも闘えば闘うほどジリ貧」ではないか。根本姿勢からしておかしいからそうなる。これがれんだいこの観点である。

 しかるに、これを為そうとしない。特にいわゆるサヨ系のアレルギーが強いように見受けられる。こここそ怪しむに足りるというべきであろう。サヨ系の親ネオ・シオニズム傾向に就いては稿を改めて述べることにする。

 2004.6.16日、2006.6.5日再編集 れんだいこ拝
 2006.1月、「愛宕北山氏のユダヤ問題論考」に行き当たり、愛宕北山氏が「第1章、ユダヤ魂の本質」の「シオンの議定書」の項でかなり詳しく真偽問題を検討していることが判明した。特に、偽書派により「1930年代には、ベルンの法廷が偽物との判定を下している」と流布されているベルン法廷の実際の様子を明らかにしている点で貴重である。

 2006.1.20日 れんだいこ拝

【「シオン長老」とは】
 「シオン長老」とは、自他ともに認めるグランドリアンの33位階のフリーメーソンであったことは事実である。フリーメーソンは、「メーソン乗っ取り」を云うまでも無く、その奥の院が「ユダヤ人フリーメーソン長老」により構成されていることも判明している。メーソンの内部記録にはフリーメーソンにしてフランス支部の最高監査役として鉄道王ジェームスの名前が明記されている。フランスではロスチャイルド家のことを“フライット街の帝王”と呼んできた。こうしてシオン長老二十四人のうち一人はロスチャイルドであることが判明している。

【「プロトコール」とは】
 「ユダヤプロトコール」、「阿修羅♪プロトコール」を参照する。
 「プロトコール」の語源は、ギリシャ語の「prote」(最初)+「kolla」(にかわ、接着剤)に発する。この語源から「プロトコール(Protocol )」という言葉は、公的文書の最初の頁に糊付けして、開巻の決まり文句だとか参考に供するために内容の要約だとかを書いた見返しのことを意味していたことになる。条約の草稿は普通、署名人が署名する前に正式文書に誤りがないかどうかを検するために、こういう糊付けをした訳であり、草稿そのものは会議で論じられたことをもとにしたので、この言葉は議事録のことも意味するようになった。
 「シオン長老のプロトコール」の例では、ユダヤの指導者たちによる「行動計画草案」という意味になる。「ディアスポラ」(バビロン捕囚後のユダヤ人離散)以来、ユダヤの歴史では異なる時期にこのような草稿が数多く存在したが、一般に流布されたものは僅かしかない。全体を通じて、その原理と道義性は、この種族と同じくらい古くから変りない。今日、15世紀にあった一例が知られている。

【「1492年のプロトコール手紙」】
 「ユダヤプロトコール」、「阿修羅♪プロトコール」を参照する。「プロトコール」がいつごろ書かれたものか定かでない。次の事例が知られている。

 1492年、スペインのラビの長キモールがグランド・サンヘドリンに手紙を出した(これを仮に「スペインのラビの長キモールのグランド・サンヘドリンへの手紙」とする)。スペインの法律によって追放されそうになった彼が、コンスタンチノープルにあったサンヘドリンに助言を求めたのである。次がその返書である。この返書は、16世紀のスペインの書物、フリオ・イニゲス・デ・メドラーノ著「ラ・シルヴァ・クリオサ」(パリ、オリー出版社、1608年)の156頁から156頁にかけて掲載されている。
 「愛するモーゼの兄弟よ、あなた達の苦しい状況と災厄を忍ばれている悲しい運命を綴った書簡を拝見しました。あなた方同様私たちも大いなる心痛に胸を刺さるる思いです。大地方総督とラビの助言は次の通りです。よく読んでいいただきたい。
1  スペイン王(フェルディナンド王)にキリスト教徒にならんことを強要さるる件に関して。他に途なき以上やむを得ぬ、そうされよ。但し、モーゼの律法は決して忘れてはならない。
2  貴下の財産の没収命令が出さるる件に関して。貴下の子息らを商人となし、キリスト教徒より少しづつ没収せしめよ。
3  貴下の生命が脅迫さるる件に関して。貴下の子息らを商人に育て、又は医師、薬剤師となし、キリスト教徒どもの財産、生命を奪え。
4  貴下の礼拝堂破壊の件に関して。貴下の子息らを、キリスト教の神父に育て、やがてキリスト教教会を破壊すべく、大聖堂参事会員ならびに聖職者にせよ。
5  その他、貴下が訴願されたる心労の種諸々に関して。貴下の子息を弁護士ならびに法律家となすよう手配し、常に国事に親ませ、貴下らの支配世界実現によりキリスト教徒に軛をつなぎ存分に報復せよ。 
6  貴下に送るこれらの指図を逸脱せずよくよく守れ。なんとなれば、屈辱を蒙りし貴下の経験を通じ、貴下はやがて未来の栄光への道に至るであろう。現実の支配力に到達されるであろう。  (署名) コンスタンチノープルのユダヤ王子

(私論.私見) 「スペインのラビの長キモールのグランド・サンヘドリンへの手紙」について
 これによれば、ユダヤ教徒は、キリスト教徒の迫害に抗する為に、1・偽装転向する。2・商人になる。3・医師、薬剤師になる。4・キリスト教の神父になる。5・弁護士ならびに法律家となるよう指示されている。これが、1492年時点の指針である。この指針によってかどうかはともかく、ユダヤ教徒に商人、医師、薬剤師、弁護士、法律家が多いことは事実である。

 2006.6.5日 れんだいこ拝
【「ロスチャイルド(初代)の『二十五項目の行動計画書』」考】
 「太田龍の時事寸評」の「フランス革命の真相に迫る気運を醸成せよ」は、「シオンの議定書」の誕生過程を次のように述べている。引用元は、1958年、ウイリアム・G・CARR(W・G・カー)著の「PAWNS IN THE GAME」(ポーンズ・イン・ザ・ゲーム、将棋の駒)(成甲書房、2005.1.25日初版)。これをれんだいこ風にまとめる。

 著者W・G・カー(1895~1959年)の履歴は次の通り。
 カナダ海軍士官の軍歴あり。1930年代から、カナダ国民に対し、国際的陰謀の危険を警告し続けた。「PAWNS IN THE GAME(ポーンズ・イン・ザ・ゲーム、将棋の駒)」は、W・G・カーの長年の研究の集大成であり、死の直前に完成した。今でも、関係者の間で古典として読み続けられて居る。
 1773年、マイヤー・ロスチャイルド(初代)は、弱冠30歳で、12名の国際ユダヤの巨頭を招いて、フランクフルトで秘密重要会議を開いた。ロスチャイルドは、その会議で、英国のピューリタン革命を検証し、これを教訓化させ、フランス革命を勝利的に導くよう指針させた。その上で、「フリーメーソンに代わるより生硬な」、全世界に対する支配権を手中に収めるための「世界革命運動」の創出について述べ、その為の「二十五項目の行動計画書」を打ち出した。これが「シオンの議定書」の原型となった。(「二十五項目の行動計画書」の概要が、「裏の世界史」P102~110に記されている) 

 「世界革命運動」を実行するための地下秘密組織イルミナティ(Illuminati)の創設が決定され、改宗ユダヤ人にしてイエズス会士にしてインゴシュタット大学法学部長アダム・ヴァイスハウプト(1748~1811、当時26歳)がイルミナティ責任者として選抜された。
 1776年、ヴァイスハウプトが、マイヤー・ロスチャイルド(初代)が打ち出した「二十五項目の行動計画書」を下敷きにして、「シオン長老の議定書」を完成させた。これがイルミナティのマニュフェストとなった。1776.5.1日、イルミナティが、ドイツ南部のバヴァリアで創設された。

 この悪事は次の事情で露見することになった。1785年、フランクフルトのイルミナティからパリのフリーメーソン大東社ロッジの大棟梁オルレアン公宛指示書を持ったユダヤ人秘密結社イルミナティの密使が、雷に撃たれて死亡。密使が携行していた密書が、バヴァリア政府の手に入った。バヴァリア政府は、密書を精査し、摘発に向かった。

 1785年、バヴァリア政府は、イルミナティを禁止し、ヴァイスハウプトが新たに組織した大東社ロッジを閉鎖し、1786年、陰謀の全容を公表した。英語タイトルは、「啓明結社の原本文書」(The Ooriginal Writings of the Order and Sect of the Illuminati)。この写しが教会、国家の首脳に配布された。

 イルミナティは地下に潜った。ジョン・ロビソンはは、フリーメーソンの指導者にイルミナティをがロッジに潜入していると警告を発した。
 1789年、こイルミナティを主体とするユダヤ人グループの扇動によりフランス革命が遂行された。連中が以降、すべての戦争、革命を陰で操る秘密権力となった。

 1798年、ジョン・ロビソンは、「全政府及び宗教を破壊するための陰謀の証拠」(proof of conspiracy to destroy all goverments and religions)を発表し警告したが、無視された。

(私論.私見) 「W・G・カーの指摘」について
 「W・G・カーの指摘」によれば、マイヤー・ロスチャイルド(初代)が「二十五項目の行動計画書」を講演し、これが下敷きとなってイルミナティの創始者ヴァイスハウプトにより後に「シオンの議定書」として纏められたことになる。「シオンの議定書」は確かに講演口調であるからして、これは貴重な指摘であるように思われる。してみれば、「シオンの議定書」の原作者はマイヤー・ロスチャイルド(初代)と云う事になる。これについては、「イルミナティ考」の「イルミナティの歴史」で検証した。

 2006.6.5日 れんだいこ拝

【「第一回シオニスト会議プロトコール」考】
 「第一回シオニスト会議プロトコール」は、1897.8.29日から31日にかけてスイスのバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議の席上、ユダヤ人の秘密結社ブネイ・ブリスのメンバーであるアッシャー・キンズバークが読み上げた「シオン二十四人の長老」の決議文で、もとの原稿は近代シオニズムの父デオドール・ヘルツル博士が書いたものとされる。

 「ニールス入手プロトコール」が「第一回シオニスト会議プロトコール」を底本にしているのか別物であるのか定かではない。いずれにせよ、「第一回シオニスト会議プロトコール」の存在が指摘されている。両者の内容的合致性は不明である。今日紹介されている「シオンの議定書」は、そのどちらなのであろうか。

【「シオンの議定書」の底本考】
 四天王延孝・氏著、太田龍・氏解説の「シオン長老の議定書」は、「猶太(ユダヤ)の思想と運動」の項で、「シオンの議定書」の底本について極めて重要な経緯を記している。それによると、ユースタス・マリンズの「カナンの呪い」文中に次のように書かれている、と云う。これをれんだいこ風に整理してみる。
1  ユダヤ教徒には、正統派(オーソドックス)、改革派(リフォーム)、保守派(コンサバティブ)の三系譜があり、「シオンの議定書」は改革派系のシオニズム運動の中から生まれたものである。
2  ユダヤ教改革派はフリーメーソンを生み出しており、その最初のロッジは、マイン河畔のフランクフルトに置かれ、ここが政治的シオニズム運動の中心となった。
3  この運動を最初に指導したのがラビのヒルシェ・カリシャーであった。カリシャーは、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと親しかった。カリシャーは、カール・マルクスの親友モーゼス・ヘスとも親しかった。
4  1860年、カリシャーは、スールの自宅で秘密会合を開き、1848年の革命から得られた教訓を検証した講演をした。この講演の筆記録が「シオンの議定書」の底本となる。つまり、これがタネ本ということになる。この底本を元に、1861年、カリシャー著「ドリシャル・シオン」、後にモーゼス・ヘスの「ローマとエルサレム」が生まれている。
5  この時の会合に出席したある人物が、その議事記録を文筆家モーリス・ジョリにリークし、ジョリは後に、この議事録を「マキャべりとモンテスキューの地獄における対話」と題して出版する。

 この書は、カリシャー著「ドリシャル・シオン」とほぼ重なるが、1868年のゲージェによって上梓された小説の一部を下敷きにしており、1869年、ライプツィヒの教会会議議事録、ホべべ・シオンのカトヴィッツ会議のそれらとも一致しており、これが現在、「シオンの議定書」として流布しているものの原型となる。
6  カトヴィッツ会議の議事録が、パリのミツライム・ロッジからジョゼフ・ショースト・シャピロにより持ち出され、この人物がミールに売り渡し、それをユリアナ・D・グリンカが手に入れ、ロシアの内務大臣に提出する。それがオルゲフスキー将軍の手に渡り、世に明らかにされることになる。ちなみに、最初の持ち出し人物ジョゼフ・ショースト・シャピロはエジプトで殺害されている。
7  ホべべ・シオン及びアシェド・ギンズバーグ(アハド・ハアム度)に率いられたブナイ・モシェのオデッサ会議が開かれる。
8  1894年、ギンズバーグがパリに滞在した直後、現在知られている体裁での「シオンの議定書」が現れる。
9   スイスの裁判所は、第二審で「議定書」偽書説を無根拠の説として退けて居る。偽書派の「1930年代には、ベルンの法廷が偽物との判定を下している」は史実歪曲である。
(私論.私見) ユースタス・マリンズ著「カナンの呪い」の「シオンの議定書」作成経緯考について
 「シオンの議定書」にはこうした経緯がある。太田龍・氏は、「このマリンズの叙述には『シオン長老の議定書』の『偽書説』を木っ端微塵に粉砕する理論と論証の全てが集約されている」と賛じている。れんだいこ読むところ、ユースタス・マリンズの説明は腑に落ちるものがある。してみれば、「マキャべりとモンテスキューの地獄における対話」を原本とすることで偽書説を構築している偽書派の説は底の浅いものが判明する。

 ちなみに、太田龍・氏は、2006.2.3日付け読売新聞の波津博明氏の「ハマスの原理主義綱領」の見出しの小論に於ける「シオンの議定書は、帝政ロシアが作成したといわれる偽書」説に対し、2006.2.6日付け「時事評論、シオニストユダヤの手先、反イスラムサタニスト売国奴讀賣新聞を告発する」で次のように批判している。
 「しかしもちろん、讀賣に限らず、極悪売国奴全日本マスコミは、一切の論証抜きで、問答無用、シオン長老の議定書は偽書である、と独断して切り捨てる。つまり、日本の国賊売国奴マスコミは、この問題ではいかなる意味でもジャーナリズムでもなく報道機関でもない。彼らは、シオニストユダヤのサタニスト的イデオロギーの宣伝機関、であるに過ぎない。そして彼らのこの性格は、昭和二十年十月以降、今日に至るまで六十年、首尾一貫して、米国(イルミナティサタニスト世界権力)占領軍の日本民族一人残らず皆殺し侵略作戦の第一線の軍隊、として対日戦争を遂行しつつあることと、表裏一体、なのである」。
 [参考文献]
1  四王天延孝著「猶太(ユダヤ)の思想と運動」(昭和十六年)
2  愛宕北山著「猶太(ユダヤ)と世界戦争」(昭和十六年)
3  「シオン長老の議定書」太田龍解説(成甲書房二〇〇四年)
4  ユースタス・マリンズ著、太田龍監訳「カナンの呪い」(成甲書房、二〇〇四年)
5  ヘンリー・メイコウ(キリスト教に改宗したカナダ在住反シオニスト的ユダヤ人学者)の、「シオン長老の議定書」の著者はロスチャイルド家の一人、との英文論説(未邦訳)

【フランスで密かに紹介される】
 「『シオン賢人議定書』談録裁講」は次のように記している。
 「フランスではロシアで出版される50年以上も前、『ユダヤの民の神秘』という本の最後の章にはイエズス会の悪魔的な計画が最終的には犯罪に繋がるものであることが事細かに説明され、ロシアで出版された議定書が一字一句そのまま掲載されている」。
【「ニールス入手プロトコール」の入手経緯】(「ユダヤプロトコール」、「阿修羅♪プロトコール」参照)
 1901年、セルジェス・ニールスによりロシア語版「シオンの議定書(プロトコール)」が世に出されるが、いかにしてそのプロトールが広く知られるに至ったかの「入手物語」は極めて興味深い。次のように認(したた)められている。
 1884年のこと、ロシアの一将軍の娘、ジュスティーヌ・グリンカ嬢が、パリで政治情報を収集する任務を帯びて勤務中のことだった。彼女は、当時の内務大臣シェレーヴィン付き秘書官であったセント・ペテルブルグのオルゲフスキー将軍と連絡をとっていた。この任務のために、彼女はジョセフ・ショールストというユダヤ人を雇った。

 ある日、パリのフリーメーソンのミズライム・ロッジの一員であるショルスト(別名シャピロで、彼の父親はロンドンでこの二年前、偽造罪で十年の懲役宣告を受けていた)が、ロシアにとって非常に重要な文書を提供するから2千5百フラン出さないかと話を持ちかけてきた。セント・ペテルブルグから到着した全額が支払われると、問題の文書はグリンカ嬢に手渡された。この後ショルストはエジプトに逃亡したが、フランス警察の記録では同地で殺害された。

 グリンカ嬢はフランス語の原本に前書きを付け、ロシア語訳を添えてオルゲフスキーに届けた。オルゲフスキーは今度は皇帝に届くように、上官のシェレーヴィン将軍に手渡した。だが、シェレーヴィンは、裕福なユダヤ人から負債を負っていたため、握りつぶしてただ資料保管所に保存しただけに終った(1896年、彼は死に際してプロトコールを含めた自分の回想録をニコラス二世に遺贈した)。

 一方、パリではロシア宮廷生活のことを書いた書物が出版され、ロシア皇帝の不興を買った。「ヴァシーリー伯爵」の偽名で発行されたこの本の真の筆者はジュリエット・アダム夫人で、デミドフ・サン・ドナコ王女、ラジヴィル王女その他のロシア人の提供した資料を使って執筆した、と伝えられている。

 皇帝は秘密警察に著書を見付け出してくるように命じた。このことが、恐らく意図的にねじ曲げられて(パリのロシア秘密警察にいたユダヤ人にマニウロフがいて、この憎むべき人物はM・パレオローグの「回想録」に描かれている)、グリンカ嬢が著者であるということにされ、彼女はロシアへの帰途、彼女の農園があるオレルに追放の身となった。グリンカ嬢は、この地方の貴族であるアレクシス・スホーティンに、プロトコールの写しを一通渡した。スホーティンはこの文書を、ステパーノフとセルジェス・ニールスという二人の知人に見せた。

 ステパノフ氏の調書が残されており、次のように記述されている。
 「1895年、トゥーラ地方の私の知人、元市長のアレクシス・スホーティンが、私に『シオン長老のプロトコール』の手書き原稿をくれました。スホーティンは、パリに居住する知り合いの女性が、その女性の名前は言いませんでしたが、ユダヤ人の友人の家で見付けたものだと言いました。パリを立つ前に、彼女はひそかに翻訳して、その一部がロシアに来て、スホーティンの手に渡ったと言いました。

 初め私はこの翻訳を謄写版で印刷しましたが、読みにくいものでした。それで活字印刷することにしましたが、何時だったかどこの町の何という印刷所だったか覚えておりません。この件に関しましては、その頃、セルギウス大公の執事長だったアルカディ・イッポリットヴィッチ・ケレポフスキーに手伝ってもらいました。彼がこの文書を地方の印刷所に印刷させたのです。それは1897年のことでした。セルギウス・ニールス(セルゲイ・ニース)は彼の著作の中にこのプロトコールを入れ、彼自身の注釈を付けました。

 1927.4.17日

 (署名)フィリップ・ペトロヴィッチ・ステパーノフ元モスクワ長老教会事務弁護士、式部官、枢密院委員、現在(1897年)オレル町所在モスクワ・カ ーク鉄道代表。(証人)ディミトリ・ガリツィン王子 スタリ・フォンタク所在ロシア移民居留地代表。

【「ニールス版議定書」の出版経緯】
 「ユダヤプロトコール」、「阿修羅♪プロトコール」、「シオン長老の議定書の背景-創られた予言と警告の書-」その他を参照する。
 1901年、神秘思想家・セルジェス・ニールス(セルゲイ・ニルス)によりロシア語版「シオンの議定書(プロトコール)」が世に出される。初めはツァルスコエ・ツェロ(ロシア)で、「卑小の内なる偉大」という書名で出版した。これを仮に「ニールス版議定書」とすると、「ニールス版議定書」がユダヤ人の世界支配計画書の「鳴り物入りでの史上初発表」という史的地位を獲得している。

 なお、1901年の「ニールス版議定書」より早く1897年にステパーノフにより密かに印刷配付されていたとの説もある。但し、仲間内の廻し読み程度のものであった。更に、ニールスが刊行した同じ年に、編集者の明記のない冊子が「諸悪の根源」と題して発行されているとも云う。「諸悪の根源」は、民族主義団体「黒百人組」の創設メンバーが発行したものと云われている。

 「ニールス版議定書」が出回った時期は、日露戦争の最中で革命運動が昂揚し、世情は騒然としていた。ロシアに本格的な革命勢力が生まれ、ロシアロマノフ王朝のニコライ二世を苦しめ始めていた。ロマノフ王朝は、革命勢力の背後に世界支配計画を持つ「シオンの議定書派」が居ると睨んで、ロシア大衆に対し軽挙妄動に扇動されぬよう警告の意味で、「ニールス版議定書」を世に露見させたと考えられる。

 俗説は、そういう拮抗関係を見ずに、「当時燃え上がっていたポグロム(ユダヤ人虐殺)を煽動するため、1905年にロシアで初めて出版された」と説明している。しかしながら、この場合でも、「ロシアに於けるポグロムの社会的背景」に対する精査が為されていない。社会事情には相応の理由があるとしてこれを調査するのが責務のところなおざりにされている。結論的に、ネオ・シオニズムのプロパガンダに有利な話は取り入れられ、不利な話は変造歪曲されるという傾向がある。その尻馬に乗るのは学問的ではなかろう。

 1903年、「ニールス版議定書」が、ロシア・ペテルブルグの新聞「軍旗」(ズミアナ)紙上に、「シオン賢者の議定書」(「ユダヤ・プロトコール」)なる題名で発表された。これを仮に「軍旗版議定書」とする。「ニールス版議定書」は、「この議定書は、1897年にスイスのバーゼルで開かれた第1回シオニスト会議に於ける決議から抄出したもの」だとしていたが、「軍旗版議定書」は、「フランスに滞在中の神智学に傾倒していた外交官の娘・ユリアナ・グリンカが持ち込んだもの」としていた。

 1905年、「ニールス版議定書」が、ロシア政府の検閲済みで、「世界の終末は近い。反キリストは全地球上にサタンの支配を確立する為、やがて現れるだろう」と添え書き付きで「卑賤で強大なもの、反キリストとサタンの地上国家近づく」(「卑小なるもののうちの偉大 政治的緊急課題としての反キリスト」)という本の付録に「人類の悪の根元」というタイトルで紹介された。「フランスにあるシオンの中央秘密倉庫にいる私の通信員によって入手したユダヤ教徒の陰謀計画書」として喧伝されていた。

 こうして、「シオンの議定書」が、1・ユダヤ秘密結社の幹部が、世界支配のための方法を会議で報告した記録という体裁を執っていること。2・あらゆる策謀を弄して他民族や国家を腐敗・堕落・転覆させ、最終的にユダヤ王が世界を支配するというその為の方策を詳細に描いていること。3・その筋道として、民主主義・社会主義・共産主義を煽ることにより国内を混乱させつつ、国家間戦争や革命を誘導する。その一方で秘密結社フリーメーソンを傀儡として使い、マスコミなどを利用して暗愚な民衆支配を行う。ユダヤの敵対勢力は暗殺など様々な方法で粛正する。4・最終的にユダヤ王の支配する独裁国家を創建し王国を造るという「ネオ・シオニストの恐るべき世界支配陰謀計画書」であることが明らかにされた。「シオンの議定書」が発表されるや、直ちに西欧に紹介され、衝撃と反響を呼んだ。

 次いで、同じ時期に、ニールスの友人G・ブトミもまた写しを一部持ち出し、1906.8.10日、大英博物館に寄託した。  
 「ニールス版議定書」 は、タイトルを変更しつつ版を重ねていった。「人類の敵、シオンの中央書記局の機密文庫から持ち出された議定書」として定着する。「卑小なるものの中の偉大、緊急の政治的機会としての反キリスト」として、赤十字支部の後援で出版されたものもある。「『シオン賢人議定書』談録裁講」では次のように説明されている。
 「いずれもロシアで流布し、最終的には皇帝や教会の手に渡り、その後ロシア全土に広まることになる。それは当時の帝政ロシアでは国家の政策として反ユダヤ主義を標榜していたことによる。異教徒で少数者へのユダヤ人への憎悪をあおることで、国内の階級対立をうやむやにしようという目論見があった」。
 「帝政ロシアの反ユダヤ政策によって件の議定書は一兵卒に至るまで配布されていた」。

 その間、ロシア警察のユダヤ人たち(エノ・アゼフとエフロム)が更なる機密情報を入手しようとしていた。エフロムは、以前ラビであって1925年に逃避先のセルビアの僧院で死没した。彼はよく修道僧に、「プロトコールは世界を支配しようとするユダヤの計画のほんの一部であって、異邦人に対するユダヤの憎悪を弱々しく表現したものに過ぎない」と語っていた。彼を通じて、1897年のバール[バーゼルの古名]会議の議事録が入手され、その文書がプロトコールの内容と酷似していることが判った。ロシア政府は、ブナイ・ブリスが1893~4年にニューヨークで開いた会議で、ヤコブ・シフがロシア革命運動委員会代表に選ばれたことを知った。

 1917.1月、ニールスは改訂増補版を出版する準備をしていた。だが、同書が市場に出回らないうちに、1917.3月の革命が起こり、政権を取ったケレンスキーはニールスの本を全冊処分する命令を出した。しかし、「1917年のロシア・ユダヤ共産革命事件によって一躍、ニールス訳のこの本は全世界の有志に注目されるところとなり、英語は勿論のこと、広く各国語に翻訳出版された」(太田龍解説「シオン長老の議定書」)。

 ニールスの第二版は数冊押収を免れ、外国へ持ち出され刊行された。ドイツでは、1919年にゴットリート・ツム・ビーク、英国では1920年にザ・ブリトンによって、フランスではジュアン氏が「秘密社会国際評論」で、また、ウルバン・ゴイェが「ラ・ヴェーユ・フランス」、アメリカ合衆国ではスモール・メイナード会社(ボストン、1920年)により出版された。後に、イタリア語、ロシア語、アラビア語、そして日本語でも刊行された。1905年にロシアで出版された「シオンの議定書」は、1920~30年代にかけて猛烈な勢いで世界に広まった。「プロトコル」とも「シオン賢哲の議事録」、「シオン賢者のプロトコル」、「ユダヤの議定書」等々様々の書名で刊行されている。

 1920年初め、敗戦であえぐドイツにプロトコルは「シオン賢者の秘密」として登場する。出版元は、「ユダヤ人の傲慢に抗戦する協会」という名称だった。この年には英語版が刊行され、ここからプロトコルは燎原の火のごとく拡がっていく。イギリスでは「ユダヤ禍」という題名が付けられた。これをタイムズ紙が取り上げるが、しかし翌年、ジョリーの「地獄の対話」と対比させ、偽造文書であることを発表。イギリスでのプロトコル騒動は終息に向かう。

 1924年、ニールス教授はキエフでチェカに逮捕投獄され拷問を受けた。ニールスは首席裁判官のユダヤ人に、この処分は「プロトコールを出版することで測り知れない損害を人々に与えたこと」に相応する措置であると言われた。数ヵ月後に釈放されたニールスは、モスクワで再びGPU(ゲーペーウー、チェカ)に逮捕され監禁された。1926年に釈放されたが、1929.1.13日、ニールスは追放先のウラジミールで亡くなった。

 以上が、プロトコールがいかにロシアにやって来たか、その後世界に広まったのかの手短かな物語である。

 2006.9.3日再編集 れんだいこ拝
【「プロトコール」の英訳経緯】

 「阿修羅♪プロトコール」を参照する。ロシア語訳「シオンの議定書」の英訳に向ったビクター・E・マースデン( Victor E Marsden)のその後には壮絶なドラマが待ち受けていた。次のように書かれている。

 概要「有名なプロトコールの翻訳者は、革命の犠牲者であった。彼は多年にわたってロシアに居住したことがあり、ロシア婦人と結婚した。ロシアにあった当時の彼は、長らくモーニング・ポスト誌のロシア通信員であった。ロシア革命が失敗するまでその仕事に従事していた彼がロシアから送った生き生きとした記事は、同誌の読者には今もって思い出となってとどまっているだろう。

 推察されるように、彼はソビエト政府に狙い打ちされた。クロミー船長がユダヤに殺されたその日、ビクター・マースデンは逮捕されペテル・パウル監獄に投監され、処刑執行に自分の名を呼ばれるのを日々待つ身となった。だが、彼は脱走し、はなはだしく肉体を損傷してイギリスに戻った。しかし、彼は妻と友人たちの献身的な看護で健康を回復した。仕事ができるようになると直ちに手をつけたことの一つが、プロトコールの本翻訳だった。

 マースデン氏はこの仕事には抜群にうってつけの人だった。ロシアとロシアの生活とロシア語に造詣が深い一方で、簡潔で要を得た英文スタイルは巨匠の域にあり、何人かがこの仕事に名乗りをあげたとしても、彼に優る適任者はいなかった。その結果、彼の訳文により優れて読み易い訳文に接し、整理されていなかった感のある主題に、マースデン氏の筆致により24のプロトコールを流れる脈絡を読んでとることができる。

 彼自身が各章の最初に掲げた要約は、プロトコールの概観を得るのにきわめて有用であろう。

 この労作はマースデン氏自身の血をあがなって実現したというのが真実である。英訳しようという使命感にかられて無理を重ねたことが明らかに彼を病気にさせ、彼はこの序文の筆者に、もはや大英博物館の中で一時間と続けて仕事をしていられないと語った。

 マースデン氏とモーニング・ポスト誌との関係は、英国に帰国してからはゆるやかなものになったが、彼はプリンス・オブ・ウエルズ殿下の海外旅行の同誌随行特派員を快諾した。明らかに良い健康状態で殿下との旅行から帰国した彼は、上陸して数日を出ずして突然発病し、短時日病床に就いて死亡した。彼の突然の死はいまもって謎である。

 この労作が彼の栄誉を飾る記念碑とならんことを! この作品を通じて彼は英語を話す世界に計り知れない貢献をはたした。本書が「シオン長老のプロトコール」の英訳書のなかで第一級に位置づけられることは、疑う余地がない」。

【日本語訳の経緯】
 議定書の日本への最初の紹介は、大正8、9年、久保田栄吉・氏のロシア語からの訳本を嚆矢とする。

 酒井勝軍・氏が、「日猶同祖論」を繰り広げながら、議定書も紹介するという流れもある。

 1918年、日本政府のシベリア出兵が、帝政ロシアの反ユダヤ政策を知らしめることになる。共に共産主義と戦った白ロシア反革命軍の一兵卒に至るまで配布されていた「シオンの議定書」が日本軍部の目にとまり、これを研究していくことになる。白ロシア反革命軍は、「国家を持たないユダヤ人は、世界制覇を狙っている、その為の金融資本の支配であり、共産主義革命なのだ」と示唆した。

 犬塚惟重海軍大佐、安江仙弘大佐を中心に陸海軍で「ユダヤ(陰謀)研究」が盛んになり、安江は「シオンの議定書」の翻訳、出版を行うに至る。しかし軍のみならず外務省をも巻き込んでの「ユダヤ(陰謀)研究」は、目立った成果を挙げ得なかった。

 大正末年から昭和20年敗戦前までユダヤ・フリーメーソン批判が展開されていくことになる。

 1934年から40年頃にかけて、ヨーロッパのユダヤ人を満州に移住させ、世界の金融を握る米英のユダヤ資本を投資させその開発に利用するという秘密計画「河豚(フグ)計画」が、日本政府一部上層部によって企画立案される。

 「河豚(フグ)計画」の名前は、「シオンの議定書」の翻訳者でもある犬塚惟重海軍大佐の次の言に由来する。
 「これはフグを料理するようなものだ。もしユダヤ人をうまく料理できれば…つまり、ずるがしこい彼らの性格を監視し、彼らのエネルギーを日本のために利用することさえできれば、味も栄養もたっぷりの御馳走になる。しかし、もしちょっとでも料理のしかたを誤れば、日本の破滅にさえつながりかねない」。
 つまり、「危険だがうまいフグ=ユダヤ」観から命名されたことになる。

 1934年、外務省から、「ドイツ系ユダヤ人五万人の満州移住計画について」が発表される。これがいわゆる「河豚計画」の始動となったが、流れは次第に日米開戦に向かい、それと共に「河豚(フグ)計画」は雲散霧消していくことになる。(マービン・トケイヤー、メアリ・シュオーツ著「河豚計画」、1979年、日本ブリタニカ)

 1941(昭和16)年、陸軍中将・四王天延孝・氏が、フランス文三種、英語訳、ロシア語訳、邦文訳を参照しつつ「猶太思想及運動」を発行した。四王天・氏は、陸軍きっての反ユダヤ主義者として名を馳せることになる。 
【ヘンリー・フォードのユダヤ研究】
 1920年、 世界的自動車メーカーのフォード社の創始者にして「自動車王」と称されていたヘンリー・フォードは、国際ユダヤの陰謀に対する警告運動を開始した。フォードは、巨額の私財を投じてネオ・シオニズム批判運動を行った。対戦前にドイツを訪問して、ヒトラーと親交し、最高勲章を授けられている。

 独立系新聞「ディアボーン・インディペンデント」に「国際ユダヤ人」に関する連載を始め、その中で「シオン長老の議定書」も取り上げていた。秋には「国際ユダヤ人」として発売した。この本はアメリカ国内で約五十万部を売り上げ、さらに十六国語に翻訳された。ここでプロトコルは世界的にその存在を知られるようになる。だが7年後、周囲の抗議や訴訟などで遂にフォードは内容を否定し、本の回収に同意する。

 太田龍解説「シオン長老の議定書」は次のように記している。
 「これによって一躍、議定書は、全世界の心ある有志の必読の参考文献ナンバーワンとなるのである。フォードはその後、世界シオニスト・ユダヤ陣営の猛烈な包囲攻撃に耐えかねて、ユダヤ批判キャンペーンからやむなく撤退する」。
 1921(大正10).2.17日号「ニューヨーク・ワールド」に次のようなヘンリー・フォードと記者質問記事が掲載されている。
記者  いわゆる国際的ユダヤ勢力についてアメリカ国民に真相を知らしめる必要あり、との考えに至られたのはいつ頃からですか。
フォード  数年前からであるが、特に深くこれを感じたのは約5年前からである。各方面から研究するに、戦争の為直接利益を占め、今もなお利益を占めつつあるのは国家を持たない国際的金融業者たるユダヤ人である。
記者  国際的ユダヤ勢力は如何にして世界戦争を起さしめたと思われるか。
フォード  国際的情熱を喚起せしめてである。詳しく言えば、宣伝によって、A国民とB国民を争わしめたものである。即ち、戦争前には軍需品の製造により、戦争中は国債により、戦後には今行われている通り利権獲得闘争に於いて、彼らの秘密力は利益を収めている。
【ヒトラーの反ユダヤ論】
 ヒトラーは、次のように評している。(「『シオン賢人議定書』談録裁講」)
 「そこに書かれている内容はユダヤ人を説明するのに適している」。
 「プロトコルには多くのユダヤ人が無意識に行っている行為が、ここでは意識的に明示されている」。
 概要「プロトコルが偽書? それがどうした? 歴史的に真実かどうかはどうでもよい。内容が真実であれば、体裁などどうでもよいのだ」。
(私論.私見) 「シオンの議定書出版弾圧史考」
 「シオンの議定書」を偽書と云おうが云うまいが、「シオンの議定書出版弾圧史」は否定すべくも無い。判明する奇妙なことは、世の自由主義者、社会主義者、マルクス主義者が、ユダヤ人の不幸な歴史には過度に同情的ながら、ユダヤ人側からのかような弾圧には過度に盲目になることである。何かおかしいのではないのか。れんだいこはそう問いたい。

 2006.9.3日 れんだいこ拝
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。