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聖書に書かれる宇宙人 [宇宙人・レプティリアン・爬虫類人]

「太古の宇宙人ー太古に地球を訪れた宇宙人」エーリッヒ・フォン・デニケン 角川書店 昭和51年
こちらの本に古代の文献から地球にやってきた宇宙人が読み取れるとあります。

P.57には、旧約聖書のエゼキエルのところにも、それが書かれています。
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第30年の4月5日のことである。わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した。それはヨヤキン王が捕囚となって第5年のその月の5日のことであった。カルデアの地ケバル川の河畔で、主の言葉が祭司ブジの子エゼキエルに臨み、また神の御手が彼の上に臨んだ。
わたしが見ていると、北のほうから激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。その中つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。またその中には、四つの生き物の姿があった。その有様はこうであった。彼らは人間のようなものであった。それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。足は真っ直ぐで、足の裏は子牛の足の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。また翼の下には四つの方向に人間の手があった。四つともそれぞれの顔と翼を持っていた。翼は互いに触れ合っていた。それらは移動するとき向きを変えずそれぞれ顔の向いている方に進んだ。その顔は人間の顔のようであり、四つとも右に獅子の顔、左に牛の顔、、そしてよっつとも後ろには鷲の顔を持っていた。顔はそのようになっていた。・・・・

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「ラルースの世界の神々 神話百科」フェルナン・コント 原書房 2006年
P.313 インド神話にある4つの顔を持つブラフマー。
このブラフマーは翼はないけれど、四つの顔を持つと言うところはエゼキエル書と同じなんですよね。
ブラフマーは創造物全ての主で父でもある、ブラジャーバティでもある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ブラフマー
ブラフマー(ヒンディー語: ब्रह्मा Brahmā)はヒンドゥー教の神の1柱、創造神でありトリムルティ(最高神の3つの様相)の1つに数えられる。4つの顔を持ち、それぞれの顔は四方を向いているとされる[1]。 ブラフマーは時にリグ・ヴェーダに語られる創造神であるプラジャーパティと同一視され(リグ・ヴェーダの神々(英語版))、またカマ(英語版)や宇宙の卵であるヒラニヤ・ガルバ(英語版)との関連が指摘されることもある[6][7]

ヴィシュヌ、シヴァとともにトリムルティの一角を担うが、古代の文献ではブラフマーの含まれない3柱を最高神の3人組に数えている[8][9][注 1]。
ブラフマーはしばしば宇宙と様々な生物の創造主であると語られる。

現代のヒンドゥー教ではブラフマーは人気のある神格とは言えず、ヴィシュヌやシヴァと比べトリムルティの中での重要性も低い。ブラフマーは古代の聖典の中では礼賛されているものの、インドでは重要な神として人々の信仰を集めることは稀であった[13]。そのためインドにあるヒンドゥー寺院でブラフマーを奉るものは少ない。 汎神論をテーマとするクツァヤーナ賛歌は人の魂をブラフマンであると主張し、その絶対的現実、普遍の神は生きとし生けるすべての存在の中に宿るとしている。アートマン(魂、我)はブラフマーであることと同等であり、ブラフマンの様々な顕現であることと同等であると展開する。いわく、「汝はブラフマーである。汝はヴィシュヌである。汝はルドラ(シヴァ)である、汝はアグニ、ヴァルナ、ヴァーユ、インドラであり、汝は全てである」[20][22]。

マハーバーラタやプラーナ文献に語られるように、また多くの研究がそう結論しているようにブラフマーは第二の創造者であると考えられている[28][29][30]。ブラフマーは全ての形ある物を創造したが、しかし原初の宇宙は創造しなかった[31]。

ブラフマーは通常4つの顔に4本の腕を持った姿で描かれる[40]。4つの顔はそれぞれ東西南北を向いているとされる。武器ではなく、知識や創造を象徴するものを手に持つ。例えばヴェーダ、時間を象徴する数珠、ヤジナ(英語版)(火の儀式)に使われる杓、全ての生命の象徴である水の入った器である。

インドネシア、ジャワ島中部のジョグジャカルタ市に位置するプランバナン寺院群(9世紀)にもブラフマーを奉る寺院があり、寺院群の中でも最大級の3つの寺院のうちの1つである。ちなみに3つの内最大の物はシヴァに捧げられた物で、残りの1つはヴィシュヌ寺院である[44]。ブラフマー寺院はシヴァ寺院の南に位置している。 タイ王国、バンコクのエーラーワンの祠にはブラフマー像があり、今日でも信仰を集めている[15]。タイの政庁(en:Government House of Thailand)の金色のドームにもプラ・プロム(英語版)(タイでのブラフマーの呼び名)の像が存在する。ペッチャブリー県の寺院、ワット・ヤイ スワンナーラームにある18世紀はじめの絵画にはブラフマーが描かれている[45]。

ビルマの国名の由来はブラフマーであり、中世の文献には「ブラフマー・デサ」(Brahma-desa)という表記も見られる[46][47]。「デサ」はサンスクリット語で「国」を意味する。 ブラフマーは中国の民俗宗教においては一般的な神であり、中国、台湾には多くの寺院がある。中国語圏では「四面神(英語版)」、チベットでは「ツァンパ」(Tshangs pa)、日本では「梵天」という名で知られる[48]。

**********
絶対的現実、普遍の神は生きとし生けるすべての存在の中に宿るとしている
これは八百万の神と同じですね。

世界の神話の共通点を探すと面白そうです。
それに寺院や寺などにいったとき、そこが何を祀っているのか調べるのも面白そう。

いつから歴史は捻じ曲げられているのか [歴史]

天皇家がのっとられたのは明治維新からですが、古代史を読んでいくうちに、日本書紀からもうでっち上げがなされていると知りました。

720年に日本書紀は完成したそうですが、
『日本書紀』の編纂は国家の大事業であり、皇室や各氏族の歴史上での位置づけを行うという極めて政治的な色彩の濃厚なものである。編集方針の決定や原史料の選択は政治的に有力者が主導したものと推測されている。

つまり皇室や各氏族は、立派な流れを汲んでいるということを捏造しているかもしれません。

大阪アースダイバー」中沢新一 講談社 2012年によると、
P.269
かつて河内は、物部氏の世界だった。もっとも古い大阪の文化開拓者であった物部氏は、河内に広大な所領を持ち、その一族は河内の全域に広がっていた。物部氏は天皇一族よりもずっと古い時期に畿内へ入った人々である。彼らは「古事記」や「日本書紀」よりも古い由緒を持つ、一族の歴史を語る神話集を持っていた。(その一部はのちに「先代旧事本紀」と言う本にまとめられている)。「モノ」と呼ばれる霊力を扱う精神技術についても、物部氏は独特の伝統を保持しており(モノノベというのは、「モノの専門家」という意味である)、天皇一族もこの点では物部氏に一目置かざるを得なかった。

そればかりか、物部氏には彼らの先祖が「天孫降臨」を決行した「高天原」まで存在するのである。それは北河内の奥谷にある。いまではロッククライミング練習場として知られている「たけるがみね」とよばれる岩山に巨大な「磐船」を着船させた物部氏の先祖は、そこから広がって寝屋川沿いの交野の地に勢力を伸ばしていったと言われる。

P.271
記紀神話では高天原は九州の高千穂峰に設定されているが、じつは古代においては「高天原」はいくつも存在できた。いと高きところにいまします先祖の霊を地上に招いて、天と地を結ぶ儀式をおこなうとき、祖霊が降下してくる地点として設けられた小高い山や土盛りなどが、そのまま「高天原」になったからである。

物部氏は交野の地を開発地と決めると、私市の奥の渓谷に彼らの先祖祭りをおこなうのに最適の場所を発見した。そこは鷲が営巣をおこなっている岸壁のそそりたつ岩山で、山の形自体が神をお迎えするのにふさわしい、美しい神体山の姿をしていたからである。そこは一族の祖である「ニギハヤヒノミコト」が、地上に降り立つにふさわしい地形であった。

さらに驚いたことには。この高天原のすぐ近くの渓谷の中に、ニギハヤヒノミコトが地上降下に使用したにちがいないヴィークルまで見つかった。いまは岩石に姿を変えているが、神話の時代には天空を行く船であったことを、物部氏の神官たちはまざまざと幻視した。そこから交野物部氏による神話制作のムーブメントが開始された。朝鮮半島南部における彼らの故郷でも、先祖の高貴な霊はいと高き天に住まし、繭の形をしたヴィークルに密閉されて、地上に降下したという神話が語り伝えられていた。その神話が、交野の奥のこの渓谷の地形を得て、生き生きとした具体の姿を持ったのである。古代の神話はその内容が現実の地形に具体的に実現されていなければ、力を持つことがなかった。その意味では、物部氏の天孫降臨神話は、いささか具体性を書いている天皇家のそれよりも、神話力の点では勝っていた。

P.274
物部氏の氏人の首(おびと)の即位儀式もこの磐船石の地下でおこなわれていたと想像するのは、とても楽しい。天磐船でおこなわれた(と想像される)即位の儀式は、天皇家の即位儀礼である大嘗祭とは、およそおもむきの異なるものであったと思われるからだ。天皇家の所在地には、現実の地形としての高天原がない。天孫降臨のための「道具」も現実のものとしては残されていない。そこで天孫降臨を模した即位儀礼は、天皇家の場合すべて象徴的に作られた道具を持って執行するしかない。

**********
https://ja.wikipedia.org/wiki/物部守屋
物部氏は有力な軍事氏族である。物部氏は日本に伝来した仏教に対しては強硬な排仏派で、崇仏派の蘇我氏と対立した。
守屋と中臣勝海(中臣氏は神祇を祭る氏族)は蕃神(異国の神)を信奉したために疫病が起きたと奏上し、これの禁止を求めた。天皇は仏法を止めるよう詔した。守屋は自ら寺に赴き、胡床に座り、仏塔を破壊し、仏殿を焼き、仏像を海に投げ込ませ、馬子や司馬達等ら仏法信者を面罵した上で、達等の娘善信尼、およびその弟子の恵善尼・禅蔵尼ら3人の尼を捕らえ、衣をはぎとって全裸にして、海石榴市(つばいち、現在の奈良県桜井市)の駅舎へ連行し、群衆の目前で鞭打った。
用明天皇2年4月2日(587年)、用明天皇は病になり、三宝(仏法)を信奉したいと欲し、群臣に議するよう詔した。守屋と中臣勝海は「国神に背いて他神を敬うなど、聞いたことがない」と反対した。馬子は「詔を奉ずるべき」とし、穴穂部皇子に僧の豊国をつれて来させた。守屋は睨みつけて大いに怒った。史(書記)の毛屎が守屋に群臣たちが守屋の帰路を断とうとしていると告げた。守屋は朝廷を去り、別業のある阿都(河内国)へ退き、味方を募った。

こんなにひどく書かれていると言うことは、逆にこの人は汚名を着せられた人ですね。きっと。
仏教との戦い。興味深いです。

**********
「ペリマリのプラプラ講義」
http://perimari.gjpw.net

http://perimari.gjpw.net/misentaku/1月

転載は禁止なのでできませんが、なにやら気になる内容。

たしかに池上彰はえせだと私にもわかるようになりました。
つまりぎりぎりまで切り込んでいくようにみせているが、そこどまりであると。
だからいつまでもテレビに出続けられるのだなと。
本当のことを言う人はテレビにはでないのだなと。

ABNアムロ [政治・社会]

「【その時何が】2015年9月4日「近畿財務局9階会議室で森友学園の価格交渉」同日「安倍総理大阪でミヤネ屋出演」」
http://健康法.jp/archives/27265
**********引用開始
匿名 より:
2017年2月26日 12:56 AM
>関税局長には国際通貨基金(IMF)の梶川幹夫理事(57)を充てる。
>財務総合政策研究所長は国際機関「AMRO」の根本洋一前事務局長(56)を起用する。

国際機関「AMRO」

ABNアムロ・グループ
2015年に上場したABNアムロであるが、しかし、翌年に公開されたパナマ文書の情報は経済紙フィナンシエル・ダハブラット紙とトラウ紙をして顧客の租税回避を幇助していると主張させた。
ブルームバーグによると、2015年第4四半期には相当の減益を記録していた。
2016年11月現在、ダハブラット紙によるとABNアムロは2つの子会社が保有している合計43億ユーロ国債に課税されて1.42億ユーロの追徴課税を受けている。
目下、ブロックチェーンに活路を見出そうとしている。

ABNアムロ・グループは、世界銀行である。

まあ、こんな感じなので、日本はパナマ文書で公開されたタックスヘイブンを利用している企業にツッコみを入れるのには消極的なのは仕方ないことだ。

しかし、AMROといいデュポンといい国際基準とやらは、人様の国の庶民から無(ルール)からカネを奪っていくな・・・
消費税をやれと言っているのも、この世界銀行たちで、国連だよ。

**********ここまで引用
「先物市場で大口を占めるアムロのアルゴ」
https://twimatome.com/?p=2373
アムロ1社で先物市場の40パーセントを取引している。

「「先物1枚売り」に動揺 自動売買、夏枯れ相場の間隙突く」
http://blog.goo.ne.jp/kumasan-hattsan/e/55aa0fb5d5a81fabbc3bd8a4ff271054

https://ja.wikipedia.org/wiki/ABNアムロ銀行
1964年に発足したABNは、1980年4月にNeuflize Schlumberger Mallet の大半を買収した。この銀行は200家族であるヌフリーズとマレがつくった。双方とも1889年インドシナ銀行のコルレスバンクとなった。 ABNは1991年9月22日、欧州共同体市場での競争力を確保するためアムロ銀行と合併を果した。このアムロ銀行は1975年にBank Mees & Hope を買収していた。この銀行は、オランダ東インド会社の経営に参加したホープ商会の後継である。ホープ商会は19世紀に専ら米露の鉄道へ投資をしていた。元々貿易商社であったが、20世紀に投資業へ軸足を移した。 ホープ商会はベアリングス銀行その他ドイツの個人銀行らとベスマンバンク のコンソーシアムに参加していた。ベスマンバンクはロスチャイルドをライバルとした1748年創業の御用銀行家であり、マリア・テレジアやピウス6世 (ローマ教皇)、アレクサンドル1世などを顧客とした。

IMFやらアムロやら国際機関の人が日本の役職をやるってどうなんでしょうね。

森友 籠池 加計 [政治・社会]

情報速報ドットコムの「森友学園問題で保護者らが提訴へ!「PTAの収支決算報告書を指摘したら強制退園」」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-15884.html

この記事のコメント欄に
千葉県銚子市の千葉科学大も兵庫県南あわじ市の吉備国際大も同じ構図。全て調べてー! [ 2017/03/14 21:31 ] 名無し
と書かれていました。

それ吉備国際大学について調べてみると、
http://junsei.ac.jp/edu/outline/history
学校法人 順正学園が経営されている。
平成13年(2001年) 加計美也子理事長に就任(1月)

http://kiui.jp/pc/outline/
岡山県高梁市、岡山県岡山市、南あわじ志知にキャンパスがある。
韓国支局と中国支局があるということは、留学生誘致に熱心ということですね。

http://kiui.jp/pc/outline/data.html
通信制もありますが通学生の学生数は2016年5月で1902人。

http://kiui.jp/pc/ryugakusei/student.html
留学生の数は8学部と大学院を合わせて2015年5月で、206名。

年度は違いますが、留学生がおよそ1割。

吉備国際大学「大学の顔(学長・副学長)」
http://kiui.jp/pc/outline/g_face.html
このページは今朝10時ごろには、学長、副学長の四人の紹介があったのですが、10:30にはその紹介は消されています。

「吉備国際大学 副学長」で検索するとみられるページ
https://kiui.jp/pc/m/g_face.html

http://www.sanyonews.jp/article/136308
山陽新聞によると、副学長の一人には、加計勇樹・同学園副理事長(42)とあります。

http://junsei.ac.jp/edu/outline/president
1972年12月 学校法人ゆうき学園理事(現在に至る)
1974年11月 ゆうき学園戸坂幼稚園副園長
1979年9月 社会福祉法人順正福祉会理事長(1997年10月迄)
1984年6月 吉備国際大学設立に関して加計勉名誉理事長を補佐(1990年迄)
1996年3月 学校法人吉備高原学園理事(2001年1月迄)
1996年4月 学校法人山中学園理事(2012年5月迄)
1998年4月 特別養護老人ホームグリーンヒル順正開設
1999年4月 九州保健福祉大学開設
などなどずいぶん活躍されていらっしゃいます。

加計さんといえば、森友学園からの流れで
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/119.html
加計学園(岡山市)が岡山理科大獣医学部を開設するため、市有地を学園に無償譲渡する議案が賛成多数で可決された。
とあったところ。

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http://www.cis.ac.jp/information/index.html
加計グループは、中・四国地方をはじめ、近畿圏は兵庫、九州地方では福岡・宮崎と、現在では西日本を中心に7法人、28校に達しています。
規模の大きさがすごいですね。

「【横車を押す】第二の森友「加計学園」の木澤克之監事が最高裁判事に任命されていた!」
http://blog.goo.ne.jp/takaomorimoto/e/e02e3c73c23046745d79b734212df436

「加計学園と安倍政権に癒着疑惑!加計学園の監事が最高裁判事!慣例を破壊、異例の人事に謎」
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-15878.html?sp

「稲田氏が籠池氏との繋がりを隠すのは、稲田氏の父・椿原氏の存在を否定したいから。ここをつかれると、ガチで政権の基盤が揺らぐ」
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/374.html
●米英が植民地支配をする場合の定石は、第三国人による傀儡政権作り。
姿形は似ているが、心はその国や国民には向いていない。
国民に対するどんな残酷なことでも躊躇亡く、というより嬉々として強行できる。
売国行為をためらうことなく実行でき、国民の財産を私物化することにも罪悪感を感じることはない。
第三国人登用は傀儡政権作りの基本中の基本なのだ。

やっぱりそうなのですね。
第三国人だから、日本国民がどうなろうと知ったこっちゃない。
だけど一般大衆は、支配層は日本人だと思っている。

「華氏451度」レイ・ブラッドベリ [Book]

「華氏451度」レイ・ブラッドベリ 

あらすじなどは他のブログで読んでいただくとして、私はこれを読んでなにか悲しい気持ちになりました。

主人公のモンターグは焚書をするのが仕事で、それが当たり前の世界で育ってきたので焚書はじめこの世界がおかしいとは思わなかったけれど、ある少女との出会いでそれがおかしいことだと気づく。

モンターグには妻がいる。子供はいない。
モンターグが仕事から帰ってくると、妻はいつもベッドにおり、心はそこにはなく、耳にイヤホンをつけ、電子的な音楽とおしゃべりと音楽とおしゃべりの世界にひたっている。
部屋に妻の姿はあるけれど、いつも無人と同じこと。

リビングには妻の要望で三方の壁に大きな画面をつけ、妻はいつもそれで誰か三人以上と話し合っている。
一台は年俸の3分の一もする高価なものだが、妻はもう一台買ってほしいと言う。
時々はそれで台本を読みあい、ネットで劇ごっこをする妻。

モンターグが具合が悪いので画面を消してくれと訴えても、なかなか消してくれない。
ある日帰ると睡眠薬を飲みすぎて死にかけていたりする。

**********

一見して関係は悪くはないけれど、私と旦那との関係はどうなのかなと思いました。
それぞれに本を読み、ネットを見、ゲームをし、宿題をし、モンターグの家庭とは違うと言い切れるだろうかと。

毎日がどうにもつまらなくて、目先の何かで空虚さを埋める妻の気持ちはよくわかる。
どんなに本を読んで見ても、どんなに映画を見てみても、なにか埋められないものがあって、どうしたらいいものかなと。
どうにもこうにも埋められないものを服を買ってみたりしてまぎらわしている。

NHKの洗脳作戦 [政治・社会]

以前にも書きましたが、NHKで、ヒトラーが1945年にドイツで亡くなっていたことを証言するものが放送されました。
これを見るまではNHKに対しては放送内容を信頼していましたが、証言者の多くが英語であることに気づき、NHKは信用できないと思うようになりました。
映像を作成したのは海外のメディアですが、これを放送するということは内容に同意しているということであるので。

「ヒトラー 最後の日々」
https://www.youtube.com/watch?v=s2K2XLRgbCI

そして911の世界貿易センタービルの崩壊についての「科学的」な解説
「NHK初の陰謀論特集 2」
https://www.youtube.com/watch?v=g2qPV8QapEg

NHKはこういう風にさも冷静に科学的に報道するのだなと思いました。

そして最近ではトランプ氏がCNNなどのマスメディアをフェイクニュースだとツイッターで言っていることに対し、3月14日のBS-NHKでは「たしかにマスメディアは公平さを装いながらも、保守側の味方にたっている」と認めましたが、その理由をメディアの人数が減っているため中西部の人員が少なくなり報道発信元が都市部に多くなってしまったために、大統領選の読みをあやまったのだと、もっともらしい理屈をつけて語っていました。

あからさまに、トランプを叩き、ヒラリーとオバマをあげていたマスメディア。
このままでは、うそばかり放送していたことがバレてしまうと、なんとか言い訳して信頼してもらおうとしているようです。

民放だけでなく、NHKが一番の犬だったと。

「ツァラトゥストラはかく語りき」ニーチェ [宗教]

魔術についての本を読んだりしていると、たびたび「ツァラトゥストラ」のことがでてきました。
ツァラトゥストラというのは、ゾロアスターのことであり、古代ペルシアの預言者、宗教改革者であったと。
ツァラトゥストラは、古ペルシア語であると。
(世界の名著 57 ニーチェ 中央公論社 P.63)

そしてモーツァルトの「魔笛」にでてくる神官ザラストロは、ゾロアスターのことであると。

ゾロアスターっていったいなんでしょうか。
なにか悪魔教のようなイメージがあったのですがそれはどうなのでしょうか。

これは「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んでみなければと思って手に取ってみましたが、なにを伝えたいのかどうもよくわかりません。

なんでもニーチェはあるところにいったときに、悟りを得て、わずか10日間で第一部を書き上げ、2週間で第2部を書き上げたとあります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ツァラトゥストラはこう語った
本書は、後期ニーチェの重要な哲学的研究のひとつであり、19世紀末期におけるヨーロッパの没落を背景としながら、キリスト教的な理想に代わる超人(Übermensch)の思想が展開されている。ツァラトゥストラを主人公とする物語の体裁をとっているが、大半はツァラトゥストラによる思想の吐露である。山に篭もっていたツァラトゥストラは、神が死んだことを知り、絶対者がいなくなった世界で、超人を人々に教えようとするが、低俗な人々は耳を貸そうとしない。そこで、ツァラトゥストラは、自分の思想を理解する人を探し始めるが、「師に従うばかりではいけない」と結局弟子も棄ててしまう。ツァラトゥストラは、あらたな思索の末、人々に対して自らの思想を語ることを控えることを決め、山に帰郷する。山の中で、ツァラトゥストラは、何人かの特別に高等な人々と会い、彼らとの交流の中で歓喜する。最後には、ツァラトゥストラが再び山を降りることで、物語は締めくくられている。この一連の物語において、ニーチェは神の死、超人、そして永劫回帰の思想を散文的な文体で論じている。

永劫回帰の思想とは、すべての善悪、優劣は人間の主観的な思い込みに過ぎず、絶対的な善悪だけでなく、相対的な善悪も否定する、価値相対主義の極限という点では、ブッダの諸行無常・諸法無我、荘子の万物斉同論に近い。絶対正義を語るキリスト教の強い西洋思想というよりも、東洋思想によく見られる発想である。が、仏教については諦観だとしてニーチェは否認しているので、永劫回帰はもっと能動的である。すべてのものは平等に無価値であり、終わりも始まりもない永劫回帰という究極のニヒリズムから、運命愛にいたり、無から新価値を創造、確立する強い意志を持った者をニーチェは超人と呼んでいる。しがらみも伝統も秩序もまったくの無であるということは、そこからあらゆる新価値、新秩序が構成可能だということである。

正直どういうことなのかよくわからないのですが、この世界はすでにハルマゲドンが何度か起きているのではないか、何度も同じことが繰り返されているのではという気もしますし、私が生きている意味ってあんまりないのかなと思ったり。
ただ人は生まれ、ただ死ぬというのは、堪え難い気もします。
なにかおまえには使命があるとかであったらいいななんて思います。
なにもなくただ生きてただ死ぬのはやるせない。

かしこい人が書いた解説を記します。
**********引用開始
「オウム真理教の精神史」大田俊寛 春秋社 2011年
P.124
ニーチェの超人思想

メスマーとは発想も立場も大きく異にするが、近代人にその生の指針を示すために「超人」というヴィジョンを提示したのは、哲学者のフリードリヒ・ニーチェ(1844-1900)である。ニーチェは、近代の世界においてはもはやキリスト教の原理が通用しないこと、より具体的に言えば、キリスト教が提示してきた目的論的な歴史観が執行してしまったという事態に対して、もっとも正面から向き合おうとした思想家であった。
1885年に発表されたニーチェの主著の一つ「ツァラトゥストラ」は、超人賛歌と呼びうる詩的な作品である。主人公のツァラトゥストラは、30歳からの10年間、一人で孤独に山中に隠棲していたが、神が死んだ後の世界に対し、人間の生の指針となる「超人」のあり方を示すために、山から降りて人間たちと接触する。しかし、興味本位でツァラトゥストラに近寄ってきた群衆は、彼の語る言葉をまったく理解しようとしない。彼らは「われわれは幸福を発明した」と口にして、現状に深く自足した態度を見せる。そして彼らはツァラトゥストラに「愛とは何か、想像とは何か、憧れとは何か、星とは何か」といった哲学風の空虚な問いを向けては、思わせぶりな瞬きを繰り返すばかりであった。ツァラトゥストラは、神が死んだということにさえ気づかず、功利主義的で教養俗物的な生き方に自足している群衆を「末人」や「畜群」と呼んで蔑み、彼らの元を離れる。
群衆から身を遠ざけたツァラトゥストラは、独白に近いスタイルで「超人」について語り始める。しかしそもそも、なにゆえに超人の存在が必要とされるのだろうか。
一言で言えばそれは、キリスト教の神がすでに死んでしまったため、神の存在を基準として人間自体を陶治(さんずいではないが表示できず)してゆくという従来の方法が、もはや通用しなくなったからである。ニーチェは、キリスト教的な主体から超人へと至る精神の歩みを、駱駝、獅子、小児という三段階の比喩を用いて語っている。ここで駱駝とは、敬虔の念にあふれた重荷に耐える精神、すなわちキリスト教の規範に従属する禁欲的精神のことをさすが、これに対して獅子は「われは欲す」という欲望と意思の言葉によって、その生き方を打ち砕く。しかし獅子も、新しい価値を自ら創造することはできない。それが可能なのは、無垢な小児である。小児は過去については忘却し、その目は常に新しい始まりに対して開かれ、世界生成のありのままの姿を肯定する。「創造の遊戯」によって新たな価値を生み出すことができるのは、小児=超人である。
ニーチェは、プラトン主義的な形而上学や、神の国の実現という目的=終末を設定するキリスト教的な歴史観を、空虚な「背後世界」の存在を仮定し、それによって人間の価値や存在意義を捏造しようとする錯誤的な思考であるとして、厳しく退ける。それに代ってニーチェが持ち出すのは、いわゆる「永劫回帰」の世界観である。それによれば、あの世などという「背後世界」は実在せず、存在するのはあくまでこの世だけである。そしてこの世において、万物は流れさるとともに、再び同一の状態へと回帰する。死もまた、人間の生にピリオドを打つものではない。人の一生はまったく同じあり方で、同じ世界の中に再び回帰してくるからである。何らの意味も目的も終わりもなく、流れ去っては永久に回帰し続ける世界ーこうした世界観を肯定的に受容できるかどうかという点に、人間が超人へと変容する際の試金石があると、ニーチェは主張する。
既存の意味や目的が失効した時代にあって、その空虚さを肯定的に受け止め、むしろ自ら新しい価値を生み出すことのできる存在=超人になること、そこにこそ、人間の生の意味がある。こうしたニーチェの主張は、きわめて根深い逆説性を孕んだものであり、その思考の歩みはまさに苦闘と呼ばれるにふさわしい。そしてニーチェの思想も、超人という人間観や、永劫回帰の世界観といったその大和くんによって評価されるべきではなく、むしろ逆説に満ちた思想的葛藤の中で彼が示した具体的な霊感の数々によって図られるべきであると思われる。また私は、ニーチェの超人思想が、オウムの思想と直結しているというつもりもない。なぜなら、ニーチェはあの世の存在を明確に否定しているし、、また超人を群衆に対して背を向ける孤独な存在として描いているからである。
しかしそれでもなお、世界史の流れを大局的にみれば、オウムが唱えた「超人類」や「解脱者」につながるような人間像が、ニーチェの超人思想によってかなりの程度造形されたということは、否定し得ないように思われる。それは第一に、キリスト教的理念やその目的論的歴史観を退け、世界の実相として円環的な永久運動を想定したこと、そして第二に、そうした世界観を前提として、人間が現在の事故を超えた存在へと進化しうると唱えたことである。「ツァラトゥストラ」(=ゾロアスター)というタイトルも相まって、ニーチェの提示した永劫回帰の世界観は、優れて東洋的なものとして一般に受容された。また永劫回帰の世界観においては、人間は事実上不死の存在として捉えられ、そして超人は、今や消失した神にとってかわる存在へと高められているのである。ニーチェの思想は、シュタイナーやユングのような20世紀ロマン主義者たちに多くの霊感を与え、またのちに見るように、ナチズムにおける進化論や人種論を支えるバックボーンともなったのだった。

P.139
「ツァラトゥストラ」の記述において事実に反しているように思われるのは、ニーチェが「末人」たちを、現状に自足した存在として描いていることである。実際には群衆は、現状に満足などしていない。彼らは多くの人間が集合することによって作り上げられた巨大な社会から常に物質的な恩恵を被っていながらも、その状況自体に対して、言いようのない不満を抱いている。
群衆は、自らもその一員である群衆を嫌悪し、蔑視する。群衆は自分自身は群衆ではない特別な人間(超人)であり、不愉快にも自分の周りを取り囲んでいる自分以外の他人の群れこそが、魂を失った畜群(末人)であると考える。群衆意識の実態とはこうしたものであり、その意味において「超人」と「末人」は裏側で通底している、あるいは、両者の実は表裏一体のものである、と言わなければならないだろう。
**********引用ここまで

「ツァラトゥストラ」の扉には、「万人にあたえる書、何びとにもあたえぬ書」とあります。
なにやらかっこいい。

「世界の名著 57 ニーチェ」には、「ツァラトゥストラ」のほか「悲劇の誕生」も収録されています。
これの訳者が西尾幹二さん。
聞いたことのある名前だなと思ったら、「GHQ焚書図書開封」を書かれた方でした。
また「国民の歴史」はじめ、著書多数でした。

「竜の柩」と船がつく名の神社 [宇宙人・レプティリアン・爬虫類人]

「竜の柩」高橋克彦 祥伝社 平成元年

デニケンの本に、高橋克彦さんが序文?をかかれていたつながりで、「竜の柩」を読みました。
デニケンは、世界各地の遺跡の中に宇宙人の存在が感じられるとしているひとです。

「いったい竜とは何か?想像上の竜が世界各地に伝説として残り、西洋では悪魔、東洋では聖なる存在なのはなぜか?」

出雲族が諏訪に逃げ落ち、さらに東北に逃げて行ったのではないか?
映画「砂の器」の舞台である山陰の亀嵩と、東北弁のつながり。
出雲族とシュメール文明の関係。
たたら製鉄と、だいだらぼっち。
出雲大社は、牢獄か?
宇宙人の龍族と天孫系の争いがあったのでは?
出雲は龍族。
「日本書紀」は天孫系が征服した話。
龍とは宇宙人のロケットか、船なのではないか?

アララト山にあるノアの箱舟は、宇宙船である。
それが宇宙船であることがばれると、キリスト教にとっては宗教存続の危機である。
だからノアの箱舟を見つけようとする主人公はヴァチカンの攻撃を受ける。

下巻P.188
「龍が見つけられて・・・エイリアンが神だったと証明されたらどうなる?キリスト教そのものが完全に崩壊する。教義の解釈の相違とか、そんな問題じゃあないんだ。神がエイリアンなら、天国も存在しないし、キリストの審判もない。真実であればそれも仕方がない、と納得してくれるほどキリスト教は小さな存在でもない。何十億という信者に対しての責任もある。もはや個人の思惑を超えた巨大な世界なんだ。その頂上に君臨するヴァチカンが、龍の存在を実証しようとしているわれわれの動きを知ったら・・・間違いなく真実の敵と見なす。といって正面からは攻撃できない。それをすれば、ヴァチカンが龍に神経をとがらせていることを世界に公言するようなものだ。暗殺者を送って闇から闇に葬るしか方法はないだろう。」
「そいつはヴァチカンも龍がロケットで、神の乗り物だと承知していればの話でしょう。ヴァチカンはそこまで知りながら、虚構の神への信仰を呼びかけているとでも?」
「ヴァチカンは龍が神であったことを知っている」

**********
神話の世界、古代遺跡などの謎を作者が推理してみせるのが、ほんとうにそうではないかと思われてとてもおもしろかったです。
連想ゲームのようにふと浮かんでくるもの。

この本では龍は宇宙船であるとしています。
わたしとしては龍人説をとりたいですが、どうなのでしょう。

そしてキリスト教は自らの教義を守るために、いろんなことを隠しているのではないかなと思うのです。


そしてふと思ったのが、「船」というなまえのつく神社です。

256px-磐船神社拝殿御神体.jpg
天の磐船神社
https://ja.wikipedia.org/wiki/磐船神社_(交野市)
高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形巨岩を御神体としている。
所在地 大阪府交野市私市9丁目19-1
主祭神 饒速日命

貴船神社

船林神社
「出雲“竜の柩”紀行 船林神社」
http://subaro-blog.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-a9f6.html

9月27日 穂高神社御船祭りと街中ガイドウォーク好
http://www.azumino-e-tabi.net/modules/xpressme/?p=9509
内陸部のお祭りになぜ船が、と古代史ファンの話題にもなっているこの祭りは、安曇連比羅夫の命日とされる9月27日に行われるのが昔からのしきたりで、おそらくこの地を開拓した海人族、安曇氏と深いつながりがあると推定されています。

「船と名のつく岩で想うこと」ー秩父・仙台まほろばの道
http://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/9618da3b0e34bc97ebcd8bf1958990d7
▲船とつく神社-----------------------▼
一例:
・岩船神社(宮城県)----祭神はニギハヤヒ
・磐椅明神(福島県)----船曳き祭りがある。
・岩船神社(茨城県)----鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)が起源。
・岩船神社(新潟県)----ニギハヤヒ、ミズハノメ、タカオカミをお祀りする。(岩と船の由来)
・岩船神社(山梨県)----タカオカミ・クラオカミ=貴船神社(元は木船)
・荒船神社(群馬県)-----荒船山は元はアララト山?
・石舟明神(高知県)---物部氏 ニギハヤヒの船がある。
・熊野速玉大社----御船祭
・磐舟神社(大阪)----平石がある。
・磐船神社(大阪府)---木よりも鉄、鉱石を持つ人たちの強い船ができていた。(祭礼がある)
(深野稔生 船翔ける船紀行 より引用)
まだまだたくさんあるのですが、岩船というとニギハヤヒをお祀りする神社がほとんど。
物部氏と関係している氏族が建てたというのもありますが、
神話にあるニニギやニギハヤヒと「ニギ」という言葉に意味があるようなので、人物名でないことは確か。

「ナーガ(1) -蛇神ナーガと日本-」
http://chaichai.campur.com/indozatugaku/naga02.html
蛇の古語は「カガ」「カカ」などが知られるが、「ナガ」「ナギ」もまた一部に存在しているし、そこから「ナダ」「ニギ」に訛ったともされている。

岩船というとニギハヤヒをお祀りする神社がほとんど。
ニギが蛇という言葉なので、蛇族、龍族の乗り物となりますね。


「悪魔は裏返された神」 [魔法・魔術]

「図説 近代魔術」吉村正和 河出書房新社 2013年
P.104
1890年、イェイツは黄金の夜明け教団に加入する。 教団名は、Demon est Deus Inversus(「悪魔は裏返された神」)である。


「現代オカルトの根源ー霊性進化論の光と闇」 大田俊寛 ちくま新書 2013年
P.74
ルシファーとは「人間の中にあらゆる熱狂的な力や、あらゆる神秘主義的な力を呼び起こす能力を備えた存在」であり、それに対してアーリマンは、「人間を唯物論という迷信へと導き、無味乾燥で散文的で俗物的な存在にする力を持つ」(「悪の秘儀」107ページ)。人間はルシファーの幻想的な力とアーリマンの唯物論的な力の間で均衡を保たなければならず、そうした妖精から、「キリスト」という霊格を求める衝動が生じた。 シュタイナーは、キリストの本質は「太陽神」であると述べている。

P.118
神の掟の子ら」と「悪魔の子ら」の争いによって、アトランティスの文明は、紀元前5万年、紀元前2万8000年、紀元前1万年の3度にわたって破局を迎えることになる。 アトランティス文明では、太陽光のエネルギーを結集するクリスタルが動力源として用いられ、航空機や自動機会、電気通信がすでに実用化されていた。そして「悪魔の子ら」はクリスタルを利用して強力なレーザー兵器を開発し、地上を完全に支配しようと目論んだのである。「神の掟の子ら」はそれに反対したが、「悪魔の子ら」は兵器の使用に踏み切り、そのたびに火山の噴火や大地震が誘発された。結果としてアトランティス大陸は、いくつかの島々に分断され、そして3度目の破局においては、大陸全体が水没してしまった。

**********

ひっかかることはたくさんあるんですけど、まとまらなくて、覚書です。
神智主義、ヘルメス、黄金の夜明け教団、ブラバッキー、アリスター・クロウリー、カバラ。

アポロ計画は捏造でしたー「インターステラー」 [Cinema]

映画「インターステラー」を見ました。
ネタバレあります。
近未来で、食糧危機が起きている。
主人公は中年の男で、かつては宇宙飛行士であり、エンジニアであったが、いまは宇宙関係の仕事はなくなり、農業をやっている。
娘の部屋では、度々本棚から本が落ちる。
幽霊かと怖がる娘に「現象を観察し、記録するように」という父。
巨大な砂嵐の後に部屋に残された砂の模様からメッセージを読み取る。
不思議な導きにより、秘密裏に復活していたNASAにいき、そこで地球のために移住可能な惑星をさがすミッションを打診される。
二人の子供と離れたくないが、いつかもどってこれると思い、ミッションを受諾する。
ワームホールを抜けて、惑星に行くうちに、トラブルに巻き込まれる。
ある惑星ではそこに1時間いると、外の世界では7、8年たったことになっている。
こちらに数時間いたら、元いた世界では30年近い時が過ぎていた。
娘は宇宙科学者になっている。
移住に適した惑星はなかなか見つからない。
ブラックホールに吸い込まれる。
機体がこわれそうなGがかかり、機体から脱出して落ちて行くうち、気づくと不思議な格子状のもののなかにいる。
そこは娘の部屋の本棚の後ろ側だった。
格子状の中の場所を移動すると、また違う時間の娘がいる。
そこは5次元の次元だった。
娘にメッセージを送ろうと、本を後ろから落とす父。
ふと父が目をさますと、病院でそこは筒状の宇宙コロニーだった。
父は40代ぐらいのままだが、娘は7、80歳になっている。
コロニーには娘の功績をたたえ、その名字がついている。
かつて住んでた家は、記念館として再現され、コロニーにおいてある。

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本棚から本が勝手に落ちるという話をした時、「未知のものを認めるのが科学でしょ」と娘はいう。

父は、娘がアポロ計画の教科書を示して友達とけんかになったと娘の担任から聞く。
その教科書は父が使っていたもので、現在は改訂版が使われている。
改訂版には、「アポロ計画は捏造でした。理由はソ連を破産させるために、宇宙開発競争に参加させるためでした」と書かれている。

5次元の空間、時間を自由に移動できる。


「人間は月に行ってない 大学生の2/3」ー逝きし世の面影
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/13a009fd04cc2371389971188e5e9309
『権威が高いほど、真っ赤な嘘をつく必要性が生まれる』
私がアポロの話を自分の『逝きし世の面影』ブログで何回も取り上げている動機は、別に宇宙開発に特別な興味や感心がある訳ではなくて、『権威ある政府がわざわざ、ばれたら大恥になる真っ赤な嘘を付く筈が無い』との、何とも日本的な一般常識に対する反証(誰にでも判る身近な例題)として、半世紀前のこのベトナム戦争当時のアポロ計画を出しているだけなのですね。
常識や固定観念を疑い、思考を柔らかくする為には一番うってつけの例題なのです。

「アポロは月に行ったか?」
https://togetter.com/li/822342
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